一応あぁちゃん病状memo

脳脊髄液漏れによる、様々な症状の記録を読んで下さり感謝。

愛子様素敵です

2024年03月28日 | 病状

愛子様は益々素敵です!

伝わる優しさ・雰囲気が素敵!毎日、ニュースをみるのが楽しみです。

堤治山王病院長も白髪交じり、すっかりお爺さん(笑)、、私が交通事故の後遺症で順和会山王病院通院中、遠くから近くからお目にかかれる。脳神経外科高橋浩一医師は数少ない髄液異常(脳脊髄液減少症、正常圧水頭症など)診療が出来る病院でもあり、山王病院はいつも、患者さんが大勢待って、混む。暗くなっても、脳神経外科だけは診察が終わらないので堤治院長先生が気にしてだ様子を思い出した。

 

下に読売新聞記事をリンクして保存する。

 

 

 

 

 

天皇、皇后両陛下はお二人での育児を体現…愛子さま出産を支えた堤医師インタビュー : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

 2023年06月09日

 『ご結婚から8年半後の2001年12月、待望の長女愛子さまが誕生された。東宮職御用掛として出産を支えた堤治・山王病院名誉病院長(73)に当時の思い出を聞いた。

――愛子さまが誕生された時の様子は。

愛子さまの出産を手がけた山王病院名誉病院長の堤治医師(4月4日、東京都港区で)
愛子さまの出産を手がけた山王病院名誉病院長の堤治医師(4月4日、東京都港区で)

 大きな産声が宮内庁病院内に響き渡ったのを覚えています。愛子さまを抱っこした皇后さまは、優しい母の顔をされていました。「生まれてきてありがとう」と後の記者会見で述べられましたけれど、あの時の表情には、まさにそうした思いが表れていました。

出産直後、私は別室で待機していた陛下に「たった今、内親王(皇族女子)さまがお生まれになりました」と報告しました。出産まで「性別を調べ、教えてくれる必要はありません」と言われていたので、陛下はその時初めて女の子と認識されました。

 いち早くお二人のもとへ行かれたかったでしょう。でも、私の前で姿勢を正し、「安心して誕生を迎えることができました。先生にお願いして本当によかった」とおっしゃってくださいました。私もプレッシャーがあったので、優しい言葉に涙をこらえきれませんでした。

陛下が新生児を抱かれたのは初めての経験だったので、肩に力が入っていましたね。ただ、表情からは喜びをかみしめられているのを感じました。

 ――皇后さまは出産までどう過ごされたのか。

 両陛下に初めてお目にかかった時、「お産と受験は勉強が大事」と申し上げ、妊娠や 分娩ぶんべん の仕組みを説明しました。皇后さまは手帳に細かくメモを取り、鋭い質問を何度もされたのを覚えています。

 30分くらいの散歩をお勧めすると、ストップウォッチで計ったのではというくらいきっちりとされました。模範的な妊婦生活でした。

 ――天皇陛下はどのように支えられたか。

陛下は妊婦健診にいつも付き添われていました。夫が身重の妻の健診に付き添うのは今では当たり前ですが、20年ほど前はこうした慣習はありませんでした。

 忙しい陛下がわざわざ健診に行かれるのはいかがなものか報じるメディアもありましたが、陛下は意に介されていませんでしたね。皇后さまを守り、二人で出産、育児をやるんだという強い気持ちがあり、それを体現されました。

 両陛下は、出産、育児、子育てのモデルを身をもって示してくださったと思います。(小野沢記秀)』


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