新古今和歌集の部屋

歌論 正徹物語 上 20


こと葉一句を殘す哥あり。業平の、

月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我身ひとつはもとの身にして(古今 伊勢物語)

の哥は、心得ねば面白くもなき歌也。是は去年の春の比二條の后にあひし事を思ひ出でて、西の對へゆきてよみたる哥也。月があらぬか、春がもとの春であらぬか、我身ひとつはもとの身にして、こよひ逢ひつる人こそなけれといひたる也。されば業平の哥は、其心あまりて、詞たらず、しぼめる花の色なふして匂ののこれるがごとしといふ本にも、此哥を出したるは、この心なり。こよひ逢ひたる人こそなけれと云ふ一句を殘して詠みたる也。扨こそ面白くも侍れ。寂蓮が、

恨みわびまたじいまはの身なれども思ひなれにし夕暮の空(新勅撰)

にては、はてぬ哥也。夕暮の空をばさていかにせんといひたる哥也。さていかにせんの一句をのこしたる也。
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