森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

あっ、そうか。

2018-12-31 23:57:53 | 梢は歌う(日記)

夫殿が

「あと45分で、今年も終わるな。」と言いました。

「あっ、そうか。じゃ、お片づけなんか遣ってる場合じゃないな。ブログを書かなくちゃ。

なんたって、平成最後の大晦日じゃ、書かないわけにはいかないだろうな。」ってなわけでもないのですが、ブログを書きだしました。

また今年中に終わるかどうか、競争です。

なんだか最後に日に、家事魂に火がついて、大掃除ほどではないにしろ、普通の家事に燃えておりました。

テレビでも「平成最後の」と言う言葉の大サービス。ワタクシ自身も、その言葉を大いに自分の心の中に取り入れて楽しませていただいています。

しかし「昭和最後の大晦日」「昭和最後の新年」いわば昭和64年の新年を、私は何を思って過ごしていただろうかと、ふと思いました。昭和の終わりは唐突にやって来たのですよね。

何気なく当たり前のようにやって来る毎日。

その毎日は決して当たり前ではないのですよね。

 

良く年末は、「まっ、良いか」と言うタイトルで、一年の締めくくりやまとめの記事を書いている事も多かったかもしれません。

だけど今年はあまりまとめ記事とか書けないような気がします。

楽しい事はたくさんありました。心動く風景もたくさん見たし、新しい出会いや、勇気を出して始めた事や、また違う勇気を出して止めた事もありました。映画もお芝居も私の今の生活の出来る範囲でたくさん見ました。

でも2018年、私にとって一番大きな出来事は、沢山遊んでいただいた愛子さんとの別れに他なりません。

2017年の一年は、私の人生の中でも「何じゃ、こりゃ」と言うほど、星子さんと愛子さんと遊びました。その年は自治会や仕事の事でもかなり忙しかったにもかかわらず、寸暇惜しんであっちに行ったりこっちに行ったりで、多すぎてまとめ記事が書けないくらいに感じていました。

今思うと、あれは運命だったのだと思うのです。三人でそんなたくさんの想い出を作ると言う運命ー。

 

私たちと出会うまで、ファミレスにも行ったことがなかった愛子さん。

何が本当は良かったのかは分からない事ですが、夫でさえ言うのです。

「あの人、最後は本当に楽しかったと思うよ。良かったと思うよ。」と。

私はその言葉を信じたいと思います。

そして私も、その出会いに感謝しています。

 

誰が言っていたのでしたっけ。

人生はすべて出会いと別れの繰り返しだと。

いつもなら検索してから記事を書くところですが、今は時間と競争しているので申し訳ありません。

 

もう別れを恐れて生きるのは止めようと思います。

いつの間にか誤解されて疎遠になってしまった友人の事で悩むのもやめよう。

なんだか理不尽だと思う事で、人を恨んで苦しむのもやめよう。

 

今ある出会い、また過去の時間の出会いに感謝して生きて行こうー。

 

時には傲慢な気持ちになって、「赦してやる。」と呟いてみよう。

そしてまた愚かな自分をも許すのだよ。

 

そう言えばね、この前「ムンク展」の感想を書いたじゃないですか。結構「叫び」と言う作品について、思った事を書いてしまったのですが、あれは耳を塞いでいるのではなくて、耳に手をやり音を意識して聴いているのでしょうか。

この前、ふと「あっ、そうか」って思ったのですよ。

私、最近、思っている事は、「叫び」と言うのは、私にとってもテーマなんじゃないかなって事なんです。

歌にしても、絵画にしても、そこから「叫び」のようなものを感じた時に、私は感動するのかも知れないなって。

 

またつい先日、四字熟語を子供と勉強していて、私は初めて「円転滑脱」と言う言葉を知りました。

意味などを書く時間もないのですが、なんとこんな風に生きられたらと思うと、そう言う風に生きられる人がうらやましくも感じました。ところが例文を見ると、世の作家さんたちは良い風には書いていないのですよね。

 

今だに世界中には、知らない事が星の数ほどあって、そして物事は複雑で、だから生きていくのって楽しいと、そう思いませんか。

無知ゆえに、私は毎日が楽しいです。

まあ、今日は「愚かゆえに苦しい」と言う部分はスルーしておきましょう。

 

と言うわけで、今年も一年ありがとうございました。

そして、あと3分後に訪れる(カップラーメンか)←おばさんは、どうしても言いたい^^

2019年もよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 


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1月の飾り

2018-12-30 22:24:49 | ちょっと楽しいつまし...

今年も大掃除はそこそこにしかやる予定ではないのですが、一応お片づけと普通のお掃除をして、飾り付けなんかをしました。

昨年もお友達に頂いたコニファーを今年も頂きました。ただ頂いたのが17日でしたのでクリスマス用には間に合わず、お正月用に昨日作ったのが、トップ画像のリースです。

ちょっと画像がゆがんでいるかも^^;

 

ついでながら、玄関も飾りました。

こんな風に・・・・・ !?

 

 

ちがーう !!!

 

って、これは毎年のお約束ですね。

 

もともと持っていたものを利用してと言うのもありますが、少し追加しました。

はっきり言って、百均大活躍です。

最近は、意外と百均でも侮れないものもありますよね。

 

下のは、もちろん百均ブランド物は一つも紛れていませんが、四年目になる飾りです。

 

毎年飾っていたこれは・・・・・・

我が家で猫のあんずさんの被害にあわないところに飾りました。

と言うそこは・・・・・・

まあ、その部屋の名前はトイレとか言いますでしょうか。

 

あちらこちらのカレンダーなどもチェンジして、

今日中にやっておかなくてはいけないのは、お供え餅を飾ることですね。

明日になっては一夜飾りになってしまいますから。

 

ではもう少々、普通のお片付けの続きをする事にします♪

 

コメント (2)
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藤原竜也の二回道 #10 #11

2018-12-29 15:48:47 | テレビ・ラジオ

やっぱりこれを書いておかないと、2018年は終わらないような気がします(ブログ的には)

本当は#10 と#11の最終回は、一緒に書いてはいけないような気もしないではないのですね。

でも年末でと言う事もあって仕方がない事です。

じゃあ、レポではなくて感想なんだから、なんでさっさと書かなかったのかと言うと、たとえ感想でも三回ぐらい見てからじゃなきゃ、書けないような中身の濃さがあったじゃないですか← ?

だって笑いっぱなしでしたよ、二回とも。

中身があるって、これ、言えない ?

iyaiyaiya・・・・・・・・・・・・・・。

やっぱ、ないか(笑)

 

だけど本当に楽しかったですね。

鋼太郎さんにだけココイチのカレーを出してしまう所とか。本当に悪戯の天才じゃないですか。あのビリビリボールペンも。

 

#11,最終回のゲストにまさかの中村勘九郎さんが出てくるとは思いませんでした。

で、見抜いちゃうじゃないですか。

横田栄司さんの「竜也と遊んでいられないの。」とか言いながら、シャイに絡むさまも良かったです。

ビロビリボールペンの所では、横田さんは竜也さんに
「申し訳ないけれど、鋼太郎さんも小栗も面白かったよ。」とダメ出しなんかもされて苦笑いと言うのも笑えました。

だけど勘九郎さんが出てくると、彼に竜也さんの方がさりげなくいろいろと指示をされたりなんかして、何回もビリビリボールペンの被害にあう羽目になる竜也さん。

 

結局、「二回道」は「藤原竜也とゆかいな仲間たち」と言う番組だったと思います。

トークが本当に自然体で良かったです。

そう言えば、竜也さん自体も「ニカイ道」って言ってしまいましたよね(笑)

 

一回、二回と数字の数を増やしただけではなくて、ちゃんと中身もバージョンアップさせたと思いました。

前回は移動中の酔っ払いでしたものね m(__)m

だけどスタッフも知らないうちに、鋼太郎さんを仕込むとか、本当に彼自身が、この番組に対してまじめに向き合っていたと思います。

ところで私、夫殿に録画してあるものをさっさと消せとガミガミ言われています。それで先日から、仕方がなく少しずつ消していたのですが、2018年の1月28日の「ボクらの時代」のゲストが藤原竜也×溝端淳平×吉田鋼太郎 でした。バタやんが鋼太郎さんや竜也さんの先輩からの激励に涙ぐんだところで終わった良いトーク番組でした。

是非ともまた「藤原竜也とゆかいな仲間たち」を・・・・・じゃなかった、

是非とも「三回道」をお願いいたします。

 

まあ、次回があったならば、とりあえずはかけっこですかね^^

 

しかしながら、ラストに出てきたあの固定カメラに映った映像は
何なのでしょうか !!!

あれは本物なんですか ?

思わず頭の中であの言葉が響いてしまいました。

「ファンファンファンファン

ユンユンユンユン・・・・」って。

アレッ、「ゆんゆん」じゃなかったでしたっけ。

くさくさした時などにこの番組を見直しておおらかに笑うと良いのではと思います。

 

もう予約がアマゾンでも出来るみたいです。

【Amazon.co.jp限定】藤原竜也の二回道[セカンドウ]DVD-BOX (特製ブロマイド3枚セット付)
藤原竜也,中村達也,溝端淳平,小栗旬,吉田鋼太郎
Happinet

 

 

 

 


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漏れなし抜けなし再チェック

2018-12-29 01:02:14 | 梢は歌う(日記)

昨日、バイト先に今日のシフトの内容について、確認の電話を入れたところ、最後に

「バタバタしてまして、説明不足ですみません。」と言われました。

来年は、「バタバタ生きない」などと目標を立てたものですから、その言葉に過敏に反応をしてしまいました。

考えてみれば、私の周りの現役バリバリの人たちは、皆バタバタと生きているのです。

見た目は優雅で上品に振る舞っていますが、時には分刻みで頑張っているのを知っています。それを思うと、バタバタ生きると言う事は、決して悪い事なんかじゃないかもなと、また私の心は揺らぐのでありました。

 

だけどそうやって生きていると、漏れがあり抜けがありと言うのも事実。若い時は「おっちょこちょい」で済む話が、歳を重ねていくと「認知の駆け出し」かと不安にもなるってものでしょう。

 

だからどんなにバタバタしていても、「漏れなし抜けなし再チェック」する余裕を持てと言う事なんですよね。

 

テストの前に時間を5分から10分残し、見直しをしっかりしましょうと言っても、時間がぎりぎりで見直せないと言われれば、どうしようもないじゃないですか。そこに能力の問題が存在するのですよね。

どんなに分刻みでバタバタしていても、見直し時間を持てる余裕、つまりのその力を持つことが大事なポイントなのかも知れませんね。

 

なんだか些細なつまらない事を、真剣に考えているんだなと思われると思います。

だけど、「バタバタとしていまして」とか「バタバタ生きる」って、どこかかっこ悪いような気がするのですが、それでも私は、本当はそう言う人たち(自分をも含めて)の方に、愛を感じているのかもしれません。

来るべき差し迫った未来には、私はかなり暇になり、むしろ「バタバタと生きたい」と願う人になりそうな予感もするからかもしれません。

人はいつだって失われつつあるモノに、愛を感じるものなのでしょうか。

 

ところで、26,27日と二日間、炊飯器ケーキを作りました。

白いエプロンをつけて、素敵な音楽を聴きながら・・・・・・・なんて優雅に作るなんてことはありません。

それこそバタバタと作って、冬休みに家に来ている中学生のおやつに出したのです。

写真を撮る時に、素敵にテーブルセッティングをしてなどとは(今のところ)無縁なお話で、裏をばらせばケーキの画像が大きいのは、すぐそばにテキストなんかが積んであるからです。

だけど今はそれで良いんじゃないかと思いました。

「二日目の方が美味しいな。」と自画自賛な私の独り言に、

「はい。」と素直に答える中学生。

作った甲斐があると言うものです。

※       ※       ※

 

ところでリアルタイム解析などを時々見ていますと、過去の記事を読んで下さっている方がいらっしゃって嬉しく思います。

昨日、気になった記事は、「ANJIN -イングリッシュサムライ」でした。何か検索したくなるような事が、世間様であったのでしょうか。むしろそこが気になる所ではあります。そしてその中に

>ドメニコが、按針が家康謁見の前に言ったのセリフ。
「人はいつかみんな死ぬ。それが今なのかが決まるだけだ。」

後から考えると、そんな生死感に救いを感じてしまったのでした。

 

と、あるのでしたが、なんか今の私には、深く胸に刻み付けたいようなセリフだったと思いました。

 

 

 


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バタバタするな。

2018-12-27 11:26:41 | 梢は歌う(日記)

先日、ブログに書きたいことが溜まっていて、「ジャカスカ更新する」と書いたのに結局二つで終わってしまいました。まあ、そんな事だろうよと自分でも思っていたわけですが、本当は三つめも書き終わっていたのです。

だけどそれは自分にとっては意外と重要な話で、それでいて世間様には何のヒントにもならないようなそんなお話だったし、かなりプライベートに踏み込んだものだったので公開しなかったのでした。

それは公開ブログってどこまで書けるものなのかと、ふと思ってしまった真夜中だったと言えるでしょう。

それにしたって、あった出来事をブログに記録して行かないと、何かそこだけ抜け落ちるような感覚になるという気持ちこそ、かなりまずいブログ中毒と言えるのかも知れません。

もう、それ止めようと思いました。

で、魔法の言葉を唱えます。

 

「まっ、いいか。」

 

※       ※       ※

 

老後の備えと言ったら、まずはお金の計算かも知れません。

だけどそれだけではダメですよね。

私、この前の忘れ物をしての病院往復は、気持ち的には相当堪えたのですよ。肉体は平気です。(ポジティブ馬さんと鹿さんが心の中に住んでいるので。)

本当は前にも同じことはあったのです。

でもその時は自分が思いついた提案で事なきを得たのです。だけど今回は、本当はそれがどういう事なのかと自分で感じてみたかったのだと思います。自分のミスが人に余計な仕事をさせないで解決するには、どのような負担が自分に来るのかと言う事をです。

 

ちょっとしたミスでも、それをカバーして行くのは大変な事なんだと身に沁みました。

そそっかしい性格の割には、時間ぎりぎりで生きるギリギリウーマンな私。

だからバタバタといつも生きているー。

 

来るべき年金生活に向けてやっておくことは、まずは広がってしまった家計を小さくしておくことだと思っています。(今の時点では、思っているだけだけど。だけど夫が一度目のリタイアをした時に、けっこういろいろやりました。生命保険などの見直しとか)

それと今強く思う事は、人によっては能力半減する加齢を意識して、広がってしまった生活もシンプルにしていくべきなのかと言う事です。

大事な事だなあ。

 

と、いうわけで、これからの目標の一つは「バタバタ生きない」に決まりました。

 

ところでこの季節、

普通のおうちのイルミネーションも綺麗ですよね。

上のは、11月に実家に帰った時に、公園の木々の向こうに光っている灯りに誘われて、近くまで行ってしまって撮ってしまいました。今はけっこう皆さん早くから点灯するのですね。

で振り向いたら、トップ画像の明かりが、また木々の間から光輝いていたのです。

 

それは

 

遠くに見える街の灯り。

 

私たちの街って、一年中お祭りみたいなものなんじゃないかしら。

※      ※      ※

「二回道」最終回、楽しみですね♪

 

 

 

 

 

 

 


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馬さん鹿さん豚さん

2018-12-25 23:31:34 | 梢は歌う(日記)
 
12月の飾り
昨日、24日の朝、ふとそうか、今日はクリスマスイブって言う日ね。と思いました。私の家はクリスチャンではないので、クリスマスはどちらかと言うとどうでも良いイベント......
 

上の囲みは昨年の12月25日に投稿したものです。その昨年の記事のひとつ前には23日に姉妹で日比谷のクリスマスマーケットに出掛けた事が書いてあるのです。そのまた前年の12月24日には一人で弥生美術館に出掛けた後、そのままクリスマスマーケットに立ち寄り、雑踏の中の孤独を感じていたのでした。

光の如く過ぎていく日々。

何もない毎日は本当にないのですよね。

今年の23日は一応、クリスマスっぽいお食事をしました。でもテレビが点いていちゃパーティーとかにはならないのよね。(慢性の不満事項☆マンネリズム夫婦なので対応不可)だから普通のお食事です。

だけどそれでもそれなりのメニューを考えました。今年は和幸でカツサンドとかフライドチキンなどを注文し、23日に取りに行きました。

その時に、ちょっとイルミネーションも見たいと思って、夕方にルート君にお願いして、その他の買い物にも付き合ってもらいました。

けっこう買い物に疲れてしまって、そのイルミネーションを見ると言う、私的ミッションを果たせませんでした。

 それでも夕食は美味しくて、ルート君との短いお出掛けは楽しかったのです。そうなると、いつも思うのは、ひとりで暮らすラッタさんの事。

楽しいことあったかな~。あって欲しいな~。

もう私の子供たちは良い歳の大人。

だけどね、親って幾つになってもこんなものなんじゃないかしら。

そしてね、あなたたちのお母さんは、ずっと変わらないように見えて、やっぱり徐々に老いて行っているのですよ。

ああ、悲しいね。

 

※       ※       ※

ある時、馬さんと鹿さんが今年最後の病院にお出掛けしました。

出掛ける直前には、馬さんはゴミ捨ての事ばかり考えていました。鹿さんは病院の帰りに寄ろうと思っていた銀行の通帳の事ばかり考えていました。

そしてバタバタと出掛け、病院についてから、会計時に提出しなければならない×××管理手帳などをそっくり机の上に置いて来てしまった事に気が付いたのでした。

そんなミスは誰だってある事だし、大したこともないのかも知れません。

でも私にはそう思えません。

そそっかしい人なのだと、自覚はあります。

だけどこういうのって、そそっかしいだけじゃなく、年齢を重ねる事によって成長してしまった私の中の馬さんと鹿さんのせいだと、私には思えてならないのです。

なんたって病院での待ち時間が長かったものだから、こう言う事の対処法を、うーんうーんと考えました。そして、

― やっぱりさ、歳を重ねてきたらバタバタ生きちゃいけないんだよ。

こんな程度の結論に達したのでした・・・・・・・・・・いやいやいや、達してはないけれどね。

 

長く待たされても、自分の番になるとその丁寧さが嬉しい主治医の先生です。

旅行に行って疲れからか、ずっとお腹が痛かった話とか、整形の受診の翌日からバッドタイミングで腰痛になってしまった話とか、おとといから怠くて、ここで待っている間に喉が痛くなってしまったとか全部聞いてくれてお薬なども出していただきました。加えて、

「ストレスは大丈夫ですか。」などと言ってくれるのですよ。なんだか甘えたくなっちゃいますよね。

だけど旅行は楽しかったし、今はストレスなしだと言うと、だからいろいろと数字が良いと検査結果を見せてくれました。

「あとは、やっぱりコルステロールがね。」と言うので、

「そこね、ちいっとも頑張れないんです、私。むしろ過食になっちゃって。」とヘラヘラと笑う豚さんなのでありました。

 

忘れ物は結局一度家に帰って、又出直して提出してからの清算になりました。

簡単に「取って来て」と言われましたが、バス移動でそんなに近くないしエライコッチャてな感じでした。

だけど私、意外とこういうのは平気です。

私の中の馬さんと鹿さんが、感覚を鈍くさせているのかもしれません。

 

なんだかんだと言って、9時半に家を出て、結局、最終的に家に帰ってゆっくりお茶を飲めたのは午後6時過ぎでした。

なんじゃ、こりゃ。

それでも近頃運動不足だったのに、12000歩も歩きました。

 

それに私、23日にはゆっくり見る事が出来なかった風景を楽しんできました。

あらッもしかしたら、私があれらを忘れてまた取りに戻り、夕方ここを歩く羽目になったのは、今年もこの風景を見る為の必然だったのじゃないかしら―ーと、私の中のポジティブ馬さん&鹿さんが申しておりましたとさ。

 

《「ちょっと出番が少ないんだけれど」とポジティブ豚さんが言いました。》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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桜木神社の十月桜

2018-12-24 23:33:21 | お散歩&写真日記

で、二つ目。

何が二つ目かと言うのは、「高円寺に行ってみた♪」をお読みください。

※       ※       ※

 

いつも見に行く家の近くの公園の十月桜の事は「十月桜と秋薔薇」と「十月桜はせつない花です」に書きました。10月22日に観た桜の事を11月13日に書いたのです。

だからその記事の最後に

>「十月桜」は今年は珍しく他の所でも見ました。

それはまた別のお話です。

と、書くことが出来たのです。ここに桜を見に訪れたのは11月7日だったのですから。

 

なんだか電車賃を使って図書館に行くと、それだけでは勿体ないような気持ちになってしまう私。

で、前から気になっていた野田市の「桜木神社」に十月桜を見に行ったのでした。

大きな森の横を行くとたどり着く、けっこう大きな神社でした。

ちょっと「へぇ」と思ったのは

なんで『目玉のおやじ』がたくさん居るのと近づいてしまったのですが、違いましたね。

「けんけんぱ」って厄落としの遊びだったのか。

まったく知りませんでした。

またもう一つ、「へえ」と思ったのは、

神社内は、あちらこちらで十月桜が咲いていました。

 

 

   

なんか切りもなく、沢山の写真を撮ってしまいました。

凄いです、ここの十月桜は。こんな満開のこの桜を私は見たことがなかったです。

だけどこの花からは、私が毎回思うところの切なさや儚さは感じられないなと思いました。淡雪のような儚さと言うのは、こんなに満開じゃない、別の言い方をすれば「しょぼい」または「地味」だからゆえに感じてるものだからなのかも知れませんね。

 

ついでながら11月7日のお散歩日記。

神社なので、広い敷地は花の他は深い緑に覆われていました。

自然の美を鑑賞した後は人口の美。

私、ちょっと鉄塔って好きみたい。

だけどなんでここを撮ったかと言うと、いつも見ているキッコーマンの表側じゃないから。まさに裏通り。

私、思うのですが、カメラの好きな人って、ひとりウロウロって、結構楽しいし飽きないのではないかしら。

 

 

 

そしてやっと図書館。

そしてやっと遅い昼食。もう2時過ぎてました。

お腹がペコペコ~。

だからって、食べすぎじゃん !?

 


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高円寺に行ってみた♪

2018-12-24 22:17:45 | お出掛け日記

ええと、

クリスマスがどうのこうのって言う事よりも、来週の月曜日の今頃は「紅白」なんか見てるのかなあなんて思うと、ドキドキする、なんとなく。

焦るなあ、私。

別に出掛けた記録とかが抜けたとしても、別に良いやと思えばそれでいいのですが、なんか埋もれてしまう感じが嫌じゃないですか。

だから今から、ジャカスカ更新しちゃう。

(いつもそう言うけれど、大したことない(^_^;)

私、実は一つの記事を書くのに、結構時間かけている時があるのよ。

だけど今から3時間ぐらいで、どれだけ更新できるかチャレンジするのも面白いかも知れないね。

まあ、それは「ムンク展ー共鳴する魂の叫び」みたいに長いのは書かないから、大丈夫。

※        ※        ※

それでひとつめ。

※        ※        ※

11月の「東京散歩」は「高円寺」。

『ピエール・ボナール展』」には11月5日に行ったのですが、その後「高円寺」に移動しました。

「高円寺」って聞くと、吉田拓郎ファンは意味もなくトキメクと思います。

私もその一人。

「だって毎日ちがーう女の子に~♪」って高音の声で歌っていた昔。

懐かしいけれど、だけどその街に来たことがなかったのです。

 

「高円寺」は古着屋さんと古本屋さんが多い街でした。ちょっと古く感じる商店街も、凄く楽しそうでした。

この街には、私が来たいと言ったのに、リサーチはお友達。

トップ画像は、ここで頂いたラーメンですが、卵が半端ないでしょ。なんだっけなあ、名前があるのですが、忘れてしまいました。

 

 観光地でもない街歩きって、兼ね合いとかプランが難しいと思うのです。

最初はこの商店街の外れまで行ってみようとブラブラしました。

古着屋さんではない可愛い服を売っているお店があって、スカートと上に羽織るものを一枚買い求め、ちょっと衝動買いだったのですが、最近そのスカートばかり着ていて重宝しています。

 

その後、この街に来たかった本当の目的でもあった、このお店に行きました。

 なんでこのお店に来たかったのかは、「ほんのちょっとの心の刺激」と言う記事の中に書いてあります。

行ってみたら、お店のオーナーはいなかったのですが、飲んでみたかったチーズ珈琲は頂きました。

チーズと珈琲、意外と違和感ナシ。

ちょっとこれ、家でも作りたいなって思いましたよ。

美味しかったです♪

ちょうど帰る時にオーナーが戻って来て、一緒に写真を撮りました。

(彼の子供時代を知っているからです。懐かしかったです。)

 

その後は、

こちらの商店街も散策。

なんとお友達が違う街で贔屓にしていて、そして無くなってしまったパン屋さんが、ここにある事を発見しました。

じゃあと、私も買ったのですが、お友達が勧めるだけあって本当に美味しかったです。

私はそうそうこの街にまた来ることは出来ないけれど、彼女はそうでもないようで、またこのお店でパンを買う事があったら、私の分まで買ってきてとお願いしたくなるような美味しさでした。

 

なんか「行きたいね。」と言うと、たまたまテレビでその街が紹介されることが多くて、その情報をしっかり入れて来たお友達お勧めのお総菜屋さん(?)のコロッケを買って帰りました。

またそのコロッケのポテトが濃厚って感じで美味しかったのです。

 

ちらっと覗いた八百屋さんの野菜は安いし、なんか住みやすそうな街で、また楽しそうな街だと感じました。

東京にはお洒落でリッチな街もたくさんあるけれど、こんな風に庶民的でおもちゃ箱がひっくり返っているような、楽しいところがたくさんあるように感じたのでした。

 

※      ※      ※

やっぱ、長いじゃん^^

 

 

 

 


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ムンク展ー共鳴する魂の叫び

2018-12-23 10:40:46 | お出掛け日記

12月20日、東京都美術館にて鑑賞してきました。

 

私は昔、ちょっと今よりは感性が過敏であったのではと思います。

もう精神に突き刺さってくるような気がして、怖くてムンクの絵を見る事が出来なかったのです。その後だいぶ経ってから、ゴッホもちょっと苦手なのだと分かりました。

だけど私は、あまり食わず嫌いと言うのも嫌いだし、苦手なものをずっと避けると言うのも好きじゃないみたいなのです。

だからずっと昔の事ですが、「ムンク版画展」が池袋の西武美術館であると分かった時に、「エイっ、ヤー」っと見に行ったのでした。

気合を入れて見に行くと言うのも変ですが、まさにそんな感じだったのですよ。

やっぱり、ムンクは心に突き刺さりました。だけど好きな作品をいくつも見つけて、ちゃんと見る事が出来るようになったのです。

その絵画が描かれた背景を知った今にして思うと、その頃の私は、それらの絵画に触れた時、その作家たちの精神状態さえも受け止めてしまっていたのかも知れません。

だけどそのような風に書くと、まるで特殊能力があったかのようですが、若い時の感性って意外と侮れないものがあったようにも思うのです。

 

そして時は流れ流れて、そんな感性などすっかりどこかへ去ってしまった今となっては、

「わーい、(*´▽`*)、ムンク展に行くぞ~。」ってなものですよ。

 

ところでずっと昔に行った「ムンク版画展」の事ですが、チケットにも買っておいた絵葉書にも開催年の記録が書いてなかったのです。「いつ」と言うのは、その時は「今」なのでさほど重要性を感じないものですが、「時は経つもの」であるならば「いつ」と言う記録は大事な事だと思います。

「昔」っていつの事だったかと、自分でも分からなくなってしまいました。

だけどネットのない時代のことも、ちゃんと記録として整理され残されているので本当に助かりました。

それは1977年の事だったのです。今から41年も前。

きゃー、そんな前か~ !!!

感性も衰えて当然だし・・・・・・・いや、歳もばれるな。

41歳よりは上だって。←しらじらしい (^_^;)

で、その時のチケット。

 

 その時に買った絵葉書。

  

そしてこれ。 ↓ タイトルは「女」。

清純・成熟・そして老い。この絵(版画)が凄く好きで、その後の私の一部になったように思います。

上の三点とチケットの絵は、今回の絵画展にはなかったと思います。

だけどムンクこの女性のテーマを色を使って表現していました。

ー 白と赤と黒。

ホームページからお借りしました。↓   【生命のダンス】

だけどムンクの絵は、やっぱりどこか怖いー。

後ろの緑のオジサン、どう見ても妖怪じゃん。

この絵、女性たちの手にも作家の意志を感じるような気がしました。

 

ムンクは同じテーマでいくつも作品を描きました。

【病める子】

 (1977年に買い求めた絵葉書。)

私、音声ガイドを聴いて、初めて思わず泣きそうになってしまいました。

ムンクのひとつ違いの姉。15歳の時に結核にかかり亡くなりました。

「ねぇ、あれが見えないの。」と言ってカーテンの向こう側を指さす少女。

「あれは死神よ。」

 

 (今回、買い求めてきた絵葉書)

見守る家族の深い悲しみと絶望を感じざるを得ません。

 

ムンクのテーマには「孤独」や「嫉妬」がたくさん描かれていたと思います。

 (1977年、ムンク版画展の物)

 (今回、油彩)

【二人、孤独な人たち】

この絵画も好きです。二人でいても寂しい。だけど二人でいなければもっと寂しい、そんな二人・・・・・かも。

 

 ムンクの自宅から遠い街を見下ろして描いた【星月夜】

私は展示の絵画を一通り見たら、部屋の中央から離れて見るようにしています。この絵が展示してあったのは細長い部屋だったので、部屋の外れまで行った時に振り返って見たのです。

驚くほど美しかったです、この絵。

誰もムンクの事を「色のマジシャン」などと評していませんが、ちょっとそれを感じてしまいましたよ。

だけど間近で見た時に、この絵から私が感じたものは、やはり孤独だったのです。遠い街の明かりを見下ろす、ひとりの伸びた影。

私が思うには、ムンクはかなりハンサムな人だっと思います。人妻との恋に悩んだり、その人生も決して寄り添う人がいなかったわけではありません。だけど生涯独身を貫きました。

振り向いた時に、本当に綺麗だと無視できなかった【庭のリンゴの木】

 ファイルで買ってきました。

大きな家と、たわわに実ったリンゴ。向こうに座る赤い服を着た女と男。リンゴの季節で春ではないけれど、あの人たちにとっては春のようなものなんじゃないかしら。

何か見逃しているかもしれないけれど、珍しく明るい絵だなと感じました。

 

 

葉書は1977年の物ですが、今回も展示されていました。両方とも繰り返し描かれたモチーフで

【接吻】と【マドンナ】ですね。

私が意外と気に入ってノートで買ってきたのが

 【肖像画、時計とベッドの間】です。

「子供たち」と呼んだ自分の作品に囲まれて、時間を表す時計と横たわるためのベッドの間に立つムンク。なんか示唆的ですよね。

ムンクの絵画は、物語のページを捲って行くような面白さがそこには存在していると感じました。

ムンクの絵画は、キャンバスに描かれた小説。

もしかしたら、彼が求め完成させた「生命のフリーズ」が、私にそれを感じさせたと言うのでしょうか。

 

 

ところで、ムンクの手帳の走り書きメモには

『もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。』

と言うのがあって、絵画展の中にも紹介されていました。

私、思わず、この美術館の近所でやっていて絶大な人気のある「F」に喧嘩でも売ってるのかと笑ってしまいました。(もちろん違います。)

 

たぶん私は美味しいものは最後に食べるタイプなのでしょう。

最後にやっぱり語りたいのは、

 (絵葉書なので光ってしまってすみません。)

「叫び」についてですよね。

もちろんチケットも

 上手く撮れなかったので止めたのですが、チラシもこれ。

叫びづくしです。

当たり前ですね。ムンクと言ったら、まずは「叫び」だと言えるくらい有名な作品ですし、なんとこの絵(油彩・テンペラ画)は初来日なんですものね。

絵画展でも、この絵の前で人々が留まり会場内が混雑しないように、その絵の前だけ一列に並んで進むと言う工夫がされていました。

お蔭で人の肩の隙間から見なければならないなんてことはありませんでした。

また更に見続けたい方は、ロープの後ろから見続ける事が出来ます。

 

もちろんこの絵を怖いと思う私は、今はいません。

むしろ感動しました。

この絵のインスプレーションを得た時のムンクの日記(1892年1月22日)。

「私は二人の友人と一緒に道を歩いていた。日が暮れようとしていた。突然、空が赤くなった。私は立ち止まり、疲れを感じ、柵によりかかった。そのとき見た景色は、青黒いフィヨルドと町並みの上に炎のような血と舌が被さるような感じだった。友人は気にせず歩いていたが、私は不安に襲われてその場に立ちすくんだ。そして私は自然を通り抜けていく無限の叫び声を聞いた(感じた)。」

絵画展でも紹介されていましたが、覚えていられなかったので「https://www.artpedia.jp/work-the-scream/」から引用させていただきました。

 

自然の叫びー自然は何を叫んでいたのか。

その叫びには、耳を覆いたくなるような不安を人々に感じさせる力がある。

人々がこの絵に共鳴し愛し続けるのは、同じような共通体験を持っているからではないのだろうかなどと、ちょっと大胆な推理をしてしまいます。

また今となっては常識でもある、この絵の中の人が叫んでいるから「叫び」ではなく、「叫び」に耳を閉じているから「叫び」なのだと言うお話。

だけどこの絵を最初に見た人は、この絵の中の人が叫んでいると思いますよね。

私は、ある物語にこの絵の事が引用されていて、それもあってこの絵の中の人が叫んでいるのだと思っていました。だから違う事を知った時に「ああ、なるほど~」としみじみと思いました。

だけど私が思うには、この人だって叫んでいないって言えないなと言う事です。

耳を覆いたくなるような叫びを聞いた時、人はきっと目も瞑り口もきゅっと閉じるのではないでしょうか。だけどその自然の叫びに呼応するかのように、この人が叫んでいないとは言えないのではないかしら。だから目を見開き、口を大きく開けているのです。

それゆえにこの絵を一目見た人のほとんどが、「叫び」はこの人が叫んでいるからと思ってしまうのではないでしょうか。

 

と言うか、ムンクが生前の時に、誰も聞かなかったのかしら。

「この人も叫んでないの ?」って。

聞けよ~って思っちゃいますよね^^

 

またちょっと思った事ですが、この絵を見て不安感がかきたてられるのは、もちろん色使いにもあるかもしれませんが、その中のひとつにリアリズムから離れた描き方にもあるのでしょうか。

トップ画像は、出口近くにある一緒に叫びのポーズを取ることが出来る場所なんです。

入口でも写真を撮ったのに、こちらは余計な文字もないので、また撮りました。

 その時思いました。この人はにゅろ~と言う感じで、異様に腕が長い。

もちろん私はチビなので腕も短いから同じにはならないとは思うのですが、でも人間ってバランスがあるじゃないですか。家に帰ってから、180近くある息子君に同じポーズを取ってもらいました。

やはりこうはならない・・・・・。

この異様な構図が、人々を惹きつけ続けているのかもしれません。

 

そう言えば、この記事の最初の方で、昔はムンクもゴッホ(彼は今も)も怖いと書いたのですが、この記事が長いので忘れられたかも(^_^;)

少々ネット検索していましたら、とんでもない絵を見つけました。

コソッと載せさせていただきます。(ゴッホ&ムンク)

 この絵を見ても怖いとは思いませんし、神経にも触りませんが、「ちょっと~」とは思いますよね^^;

 

「そう言えば」のその2

お土産にコラボのファイルを買ってきましたよ。

 

 手が、手が耳に届いていないじゃん (笑)(笑)

 


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平成最後の12月の日々に(上野の山で)

2018-12-22 03:32:31 | お散歩&写真日記

またも真夜中更新。

一応ね、ゲームとかで遊んでいるのではなく

明日のお仕事の準備をして、頭を使っていました。

ふぅふぅ

私、この前何かに刺激を受けて、

これからだって、滅びゆく肉体(脳も含まれる)を駆使しながら

まだまだ「老後」などを生きたくないなって、

ふと思ってしまいました。

叶うならば

あと30年ぐらい

余生などではなく、人生のど真ん中を生きたいって思ったのです。

あっ、何に刺激を受けたのかって思いだしました。

「朝ドラ」ですよ。

大器晩成の萬平さん。

大器晩成って結構遅めに結果が出ると言う事だけれど、

ちゃんと晩年までど真ん中って事でしょう。

 

私、いまだに何もこれと言って結果なんか出していないって事は、

逆説的に考えれば

「大器晩成」の可能性がないわけじゃないのよね。

皆さんだってそうなんじゃないの。

(すぐに人を巻き込む人^^)

 

と言うわけで長生きしたけりゃ、このような夜更かしはダメって事だけれど、

仕方がない時もあるよね。

 

もう寝るんで、ちょっとだけ息をつこうとブログ更新です。

 

20日の日に「ムンク展」に姉と二人で行きました。

 

なんで腕をあげてるかって言うと、同じポーズで写真を撮ったからなんです。

よー遣るわって自分でも思うのだけれど、

だけどだから毎日が楽しいよ、私。

(ムンク展の感想はまた後日)

それで上野駅から東京都美術館に向かう、ほんの短い間の上野のお山の散歩です。

 

上野って不思議。

まだ歩くと今まで気が付かなかったことがたくさんあるのですよ。

上野は結構来ている方だと思うのですが。

こんなのあるの知らなかったし、

 

 

 

もう秋とは言わず、季節は冬ですね。

 

それでも上野の山は葉を落しきらずに

秋の雰囲気。

 

  

ころんころん。

それは私。

そこは無視して、綺麗な背景の輝く黄色を見てね。

トップ画像は、上野の山にあったPOST。

さすが上野ですよね、パンダポストだなんて。

 

ところで姉は19日に、かねてから行きたいと思っていた

「ボヘミアンラプソディ」にやっと行ってきたのです。

そして翌日に、「ムンク展」。

そしたら一緒に暮らしている母に

「毎日遊んでばかりいる。」って言われたのですって !!!

 

何ゆえ母上殿は、姑のような事を言ったのだろうか。

実の母であっても、いろいろと大変なこった。

姉が遊んでばかりなんてとんでもない事ですよ。

やっとの想いで映画に行き、時間を作って美術館に来たと言うのに

何言ってるんだって思いましたよ。

 

だからっておごってあげると言う事は無しです(^_^;)

上野駅構内で頂いた

タイメイ軒のオムライス定食。美味しかったです。

 

 

美術館の半券で100円引きでした。

ヤッタね✌

短い時間でしたが、楽しい時間が持てました。

 

と言うわけで、もう22日。

今日と言う日もたくさんの幸せな気持ちに出会えますように。


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