森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

何処かに行った気分 ♪

2020-04-29 23:09:25 | お散歩&写真日記

昨日、マンションのサークルで草むしりをしていた時に

「思った通り、あそこは穴場だったわ。ほとんど誰もいなかった。」と私が言いましたら、

「この前、車がいっぱい止まっていたよ。」とそのお仲間が言ったのでした。

「ええっ?

じゃあ、平日のしかもお天気がイマイチの時にお散歩に行ったから良かったのかしら。」と私は言いました。

 

「ここが良かったよ。」と書いて、人がたくさん来たら困る事なので、今回は敢えてどこどこと名前は書かない事にしますね。

だけどこの場所は私の大好きな空間で、たびたびこのブログ内にも登場してきている場所で、同じ地域の知っている方には分かる場所だと思います。

 

ほとんど仕事にも行かなくなって、家に引きこもって自粛生活をしていましたら、本当に体力がドドドと落ちてしまった事に自覚が出てきました。毎日体操をしなければとも思いますが、やはりご近所をこっそりとウロウロしたいなと思ったりもしています。

Googleのフォトが「昨年の思い出」というアルバムをスマホに送ってくれたりしたのを観ましたら、25日にはその周辺をウロウロしていたことが分かりました。

そして閃いたと言うわけなんです。

「そうだわ。そこがあったじゃない!」と。

その街の中の森は、あまりにも人がいない場所で、姉の蝶子さんに「一人で行かない事 !」と釘を刺されていた場所だったのです。

 

そしてお久しぶりに会ったお友達の星子さんと、ご一緒にお散歩をしてきました。

しかし、なんて言う美しい季節なのでしょうか。

しばしの間、すべてを忘れて森の緑を楽しみました。

 

 

この橋の向こうに男の人が立っていました。私たちが渡るのを待っていてくれたみたいです。

でもその人は、ここの管理の人で、私たちが橋を渡ると

「キンランの花が咲いているよ。」

と、教えてくれたのです。

なんて可愛い黄色でしょう。

キンランの花の写真を撮っていたら、また向こうから男の人がやって来て

「向こうの十二単はもう見たかい ?」と聞きました。

「ううん、まだです。」と答えると、

たくさん咲いているよと教えてくれたのです。

 

行ってみると、本当にたくさん咲いていました。

今マンションでも、十二単がたくさん咲いているのですが、白い野生の十二単は、また少し趣が違います。

 

また歩みを進めていたら、遠雷が・・・・。

森に居てはダメなんじゃないと、いそいそとそこから脱出しました。

だけどその時、歩きながら白馬でも同じ事があったねと、星子さんと二人で思い出を語り合ってしまいました。

あの時は森ではなく原っぱで雷が鳴りはじめ・・・・・

愛子さんは凄く背の高い人で、私はこの人の傍にはこんな時には居たくないなぁと超薄情な事を考えていたりして・・・・

あの人はもう居ないんだなぁ・・・・・・

 

 

街の中の街路樹も可愛らしい。

本当は歩いているだけで楽しい季節なのです。

街路の傍にある池も、いつの間にやら初夏色に染まっていました。

雷とポチポチの雨はすぐに立ち去ってしまいました。

だけどそのせいでお散歩時間は2時間そこそこ。

それでも私は、どこかに行ったような満足感を得ていたのでした。

そして12200歩、歩きました。

 

ここはやっぱりお散歩の穴場だと思いました。

入口辺りで若いお母さんと幼児がブランコで遊んでいました。

沼の所で二人の方が絵を描いていました。

橋を渡ったところで、キンランを教えてくれた管理のオジサン。

十二単を教えてくれたお散歩のオジサン。

その十二単の写真を撮っていたら、後ろを過ぎて行ったご夫婦。

出会ったのはその方たちだけ。

それだって、ここでは今までで一番多くの人に出会いました。

そしてきっと皆、ここは昔からその人たちのお気に入りの空間だったのではないかしら。

じゃなかったら、ここを思い出すわけがないもの。

 

 

 

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麒麟がくる 第十五回「道三、わが父に非ず」

2020-04-29 01:12:38 | ドラマ (大河)

蝶子さん(姉)とは、月曜日には定期的に用が無くても電話し合うのが習慣です。

その時に「麒麟がくる」の感想などを言い合ったりもするのですが、

「あの暗殺のシーン、怖かったね。」と彼女が言いました。

「うんうん。怖かったね。」

ー 「兄上、」と声をかけると、襖がバーンと閉まって、そしてあっと言う間に孫四郎も喜平次も・・・・・

だけど

「木下ほうかさんが、凄く手ごたえがあったとツイッターで言っていたね。」と続けて言ったので、ああ、あっちだったのかと分かりました。

「うんうん。怖かった。」と私はまた言い直しました。

 

まるで合わせ鏡のように、物語が進んでいくような気がしてしまいました。

あっちの暗殺、こっちの暗殺・・・・・。

 

尾張では、信長の叔父の信光が守護代の清州城城主織田彦五郎を殺害します。

ここまで書いてから、実はずっとずっと織田家家系図を見ていました。

えーと、えーと、えーと ??????

応仁の乱以降織田家では・・・・・・・って、とても人様には説明できません。要するに信長の家は分家なんですね。信光は叔父さんだけど、彦五郎は遠い遠い親戚みたいなものと考えたら良いのかしら。

 

叔父さんと言えども、家督を継いだ信長に気を使っている様子の信光は、彦五郎に碁を打ちに来いと誘われている。行ったら信長はどう思うだろうかと言うのです。

ところが帰蝶はその時微笑んで、「何たる好機ではありませんか。こちらも手詰まりだった故、是非打ちに行きなされ。」と信光を促すのでした。

打ちに→討ちに

なんと恐ろしいかけ言葉なのでしょうか。

けっこう緊迫した暗殺のシーンでしたね。

まあ、ドラマですから、この後信光はどのように脱出をしたのか、またはどのように信長が来るまで持ちこたえたのか、更にまたは・・・・とその先の事は深く考えないのがルールなのかも知れませんね。

しかしやっぱり蝮の娘だったのだと、テレビ前で皆思った事でしょう。

私も信長が帰蝶の前では自分をさらけ出して泣いたり甘えたりするのは、帰蝶が美しくて一目ぼれをしたからだけではなくて、帰蝶の中に同族の自分と同じ何かを感じていたからだったのかと思いました。

 

そしてもう一つの暗殺。

高政の兄弟殺し。本当になぜ道三は正室の子供ではない高政に家督を譲ってしまったのでしょうか。

どうもタダでは教えてもらえないらしいので、どなたかお支払いをして聞いて下さらないかしら。

 

確かに家督を奪い取ろうとする動きがあって、孫四郎は危ない存在ではあったのです。だけどキャピキャピはしゃぎながら孫四郎を伴って鷹狩りに出掛ける道三たちを、厳しい顔で見つめる高政からは、それ以上に憎しみがあり、そして寂しさがあったようにも感じました。父に愛されなかった寂しさが。家督を譲ったと言う事が、愛の証とは受け取る事が出来なかったのかも知れません。

「高政よ」「高政よ」と名前を呼び、ことあるごとに酒を飲みかわし、共に野原を駆け回り、そして嘘でも良いから何かしらを褒める・・・・・

彼はそんな程度の事を、もしかしたら望んでいたのかも知れないなんて妄想をしてしまいました。

だけど高政は知らないのです。

信長が生きていた頃の父に何をやっても褒められず、それどころか母にさえも愛されずに育ったことを。

 

息子たちの亡骸を目にした道三。その嘆きは、まるでシェークスピアのお芝居を観ているかのようでした。

「出て来て、この血の匂いを嗅ぐがよい !」

セリフも良いけれど、本木君、素晴らしいです。

そして伊藤さんも。

彼らは自分の演技に拘る演技派ばっかりなので、この演技合戦は果てしなく続き終息を見る事がない。

コロナと違って、こちらのそれは嬉しい限りですね。

 

そして我らが主人公の光秀は、孫四郎からの先頭に立って旗を振って欲しいと言う要望をそつなくお断りしただけのような気がしてしまうのですが、今は仕方がありません !!

 

 

《駒ちゃんに藤吉郎、触れてあげなくてスマヌ。》

 

 

 

 

 


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「ライフ・イズ・ビューティフル」、それを思い出し彼女は涙した。

2020-04-27 02:14:46 | 同じ時代の船に乗る

岡江久美子さんは、元気印のような明るい人でしたね。とてもこのような厄災で死を迎えるなど想像が出来ないような方でした。それゆえ、スマホを開けた時に、そこに反映されていたニュースで彼女の訃報を知った時は、本当にショックでした。

「私の人生これからよ。」と言っていた人のこれからを奪ったコロナは、本当に恐ろしいと思いました。志村けんさんだって、これから映画の主演を務め、それから来週からの朝ドラ「エール」にも出ていらして、初老と言えども、まだまだ「これから」だったと思うのです。

確かに無念。

だけど今まで歩いてきた道で、彼らが残したものは多くの人の心の中にあると思います。

記憶の中に一輪の花のように刻まれたそれを大切にしたいと思うのです。

 

「天まで上がれ」と言う昼ドラで、13人もの子供のお母さんを演じた岡江さん。

子育て真っ最中の頃、このドラマは私たちの仲間うちでも人気がありました。でも私たちがじっと見ていたのは、そのストーリーにではなく、その食卓と家事のやり方、そしてお母さんの身なりだったのではないかと思います。だから物語は、せいぜい長女の結婚話くらいしか覚えていないのです。

ドラマでありながら、大家族の食卓には何が並んでいるのだろうかとか、子供たちが手伝ってくれるからと言っても洗濯機は何回回して何時くらいに終わるのだろうかとか。後は家計はどうなっているのだとか。そして私と友だちで一番話題になったのは、この大家族のお母さんが、いつだって身綺麗にしているということだったのです。

その時だって「ドラマだよ !!」と突っ込んではいましたよ。それでもどんなに家事や育児に追われていても、化粧するくらいの余裕を持とうと、このドラマには励まされていたような気がします。

この視点、岡江さんは知っていたかしら・・・・・・・。

 

そして彼女のお仕事の代表的な物と言ったら、やはり17年も続いた「はなまるマーケット」だったと思います。ここ数日始まった時と終わりの時の映像が、何回もテレビで流されましたね。でも私が思い出すのは、ちょっと違った場面です。

いつも自分の近況を言うコーナーがちょっとだけあったと思います。

その時岡江さんが

「昨日思い立って気になっていた映画を見に行ったんです。」

そしてちょっとだけ映画の内容に触れたかもしれません。

「これ、後からジワジワ来て、その後帰りに買い物して帰ったのだけれど、そのお買い物の時にもウルウルときちゃったんですよね。あっ、今思い出しても涙がでそう。」

もちろん言葉は正確ではありません。

ただその映画は、私もちょっと気になっていた映画でした。それを聞いて、行きたいなと言う想いが強まったのでしたが、なかなか行けず、結局はレンタルビデオで借りて観たのです。

その映画のタイトルが「ライフ・イズ・ビューティフル」。

 

この映画の初めの方で、あまりにも思っていたものと違う展開だったので、ちょっと驚きました。要するに日本人と外人さんとのユーモアの許容範囲が違うのではないかと、その違いによるものなのかと思います。なんで今、そこまでこの映画の事を書かなくてもと思うと思います。でもこの記事で、ふとこの映画を初めて見てみようと思われる方もいらっしゃるかと思うので、ちょっとだけ予防線を張りました。

驚かされるのは最初だけです。その後の展開には、印象深いシーンも多く、本当に心に残る名作だと思います。

下の方にネタバレを含むあらすじを貼っておきます。

私は今でも、この映画のあるシーンを思い出し、そのたびに涙がこぼれるのです。

「あっ、今思い出しても、ちょっとまずいかも。」と言って目頭に手を当てた彼女の脳裏には、

私が想うシーンと同じところが浮かんでいたかも知れません・・・・・。

 

そしてまた、この映画のタイトル「ライフ・イズ・ビューティフル」は、まさに彼女に相応しいものだったかもしれませんね。

 

※        ※        ※

 

《あらすじ》ネタバレしています。「映画.COM」さんより

1937年、イタリアはトスカーナ地方の小さな町アレッツォ。本屋を開く志を抱いてやってきたユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は美しい小学校教師ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)と運命的な出会いをする。当座の生活のため叔父ジオ(ジュスティーノ・ドゥラーノ)の紹介でホテルのボーイになり、なぞなぞに取り憑かれたドイツ人医師レッシング(ホルスト・ブッフホルツ)らと交流したりしながら、ドーラの前に常に何度も思いもかけないやり方で登場。ドーラは町の役人と婚約していたが、抜群の機転とおかしさ一杯のグイドにたちまち心を奪われてしまった。ホテルで行われた婚約パーティで、グイドはドーラを大胆にも連れ去り、ふたりは晴れて結ばれた。息子ジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)にも恵まれ、幸せな日々だったが、時はムッソリーニによるファシズム政権下。ユダヤ人迫害の嵐は小さなこの町にも吹き荒れ、ある日、ドーラが自分の母親(マリザ・パレデス)を食事に呼ぶため外に出たすきに、グイドとジョズエは叔父ジオと共に強制収容所に連行された。ドーラも迷わず後を追い、自分から収容所行きの列車に乗り込んだ。さて、絶望と死の恐怖たちこめる収容所で、グイドは幼いジョズエをおびえさせまいと必死の嘘をつく。収容所生活はジョズエがお気に入りの戦車を得るためまでのゲームなのだと。とにかく生き抜いて“得点”を稼げば、戦車がもらえるのだとグイドはことあるごとに吹き込み続けた。強制労働の合間を縫って、女性の収容所に押し込められたドーラを励まそうと、放送室にしのびこんで妻に呼びかけたりと、グイドの涙ぐましい努力は続く。そんなある日、グイドは軍医として収容所にやってきたあのなぞなぞ好きの医師レッシングと偶然再会。レッシングから「重要な話がある」と耳打ちされたグイド。ドイツ軍の士官たちのパーティの給仕を命じられた彼は、監視の目を盗んでレッシングに話しかけるが、なんとレッシングは新たななぞなぞの答えをグイドに聞いただけだった。戦況は進み、収容所は撤退準備をはじめる。この機を逃さじとグイドはジョズエをひそかに隠して、ドーラを捜すうちに兵士につかまった。グイドはジョズエの隠れ場所を通るとき、おどけて行進ポーズをとる。それが彼の最後の姿だった。ドイツ兵が去った後、外へ出たジョズエは進駐してきたアメリカ軍の戦車を見て歓声をあげる。戦車に乗せられたジョズエは生きていたドーラを見つけ、母子は抱き合った。これが幼い息子を生きながらえさせようとした父親の命がけの嘘がもたらした奇跡の物語だ。

 

 

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「Sky presents 藤原竜也のラジオ」67回

2020-04-26 09:04:38 | テレビ・ラジオ

ちょっとお久しぶりに竜也さんのラジオの感想を書かせていただきます。

長く続けてもらいたいと思っているので、それでは延々と感想などは書けない事だなと思って、そっと静かにフェイドアウトしていました。

しかし近頃いろいろありまして、自分のお気に入りの方々にも真摯に向き合うエネルギーが湧き出てこなかったものですから、聴くこと自体ちょっと止めていたのです。だけど何でか自分の好きに向き合う気持ちがようやくむくむくとようやく湧き上がってきたのです。家にずっといるからかも知れませんが、木々が新緑と言う緑に衣替えをしだしたからかも知れません。

最近、私のブログ記事でずっとかなりの方が来ていただいている記事があるのですが、それが

藤原竜也「宝くらべ」よみきかせ日本昔ばなし

なんです。2011年の国難の時にも、このような形で支援していたのですよね。

でね、この「宝くらべ」の朗読が素晴らしいんです。もうね、「新、日本昔ばなし」を作れるんじゃないのと言うレベルですよね。

 

そして今回の朗読も良かったですね。

 

 

 

最後にちゃんと読み直した完成度の高い朗読(笑)も良かったのですが、最初に読んだ、内容を把握していなかった時の子供らしい読み方も良かったと思いました。いやむしろ、最初に読んだ方が好みだったかも。だけど完成度が高かった朗読は最後のおじいさんの言葉が生きていましたね。あっ、ちょっと偉そうな感じになってしまったでしょうか。

服がチクチクしたり、靴下がずり落ちたり、服の中でシャツの袖が丸まってしまっていたりで、みんな外側から見たら分からない事で、ちょっと困ってる。だけどおんなじ悩みにはなかなか出会えない。

空はこんなに青いのに  僕はちょっぴりもれたろう

海はこんなに広いのに  僕はちょっぴりもれたろう

失敗したこどもの気持ちを軽くする子供向きの絵本かも知れませんが、子育てお母さんの気持ちも軽くするような気もしましたし、なんだか比喩的に読めて、なかなかなお話だなと思いました。

良いじゃないですか。

空はこんなに青いのに 僕は・・・・・ってね。

 

今は時間がいっぱいあるから、家で「書く」とか言っていたけれど、私的には「大人の」は要らないな。

大人って言うけれどね、意外とその中身は子供と同じようなものですよ。きっとお子様に向けて作ってくれた物語の方が、良いものが作れるような気がするのです。

是非是非、よろしくと言うところ。

そしてまた、このような企画をお願いしたいです。

 

(家で、シャボン玉をお子様と毎日やっていた竜也さん・・・・。良いパパさんですね^^)

そして彼も言っていた

「自分の身は自分で守る」という意識は大事な事ですね。公園にも行ってないと言ってましたが、小さなお子様だったらそのぐらいの意識は大事だと思います。公園は今、夕方どころか朝からずっとマスク無しの子供たちで密になっていることもあるのです。大きな声で騒いでいたりもします。

何か夏休みの前倒しと思っていらっしゃるのか、子供は外で遊べばいいのよと追い出すお母さんもいるのかと首を傾げたくもなる時もあるのです。

そして新中学生のP様の息子さんの時々制服を着て勉強をしてると言うお話、思わず胸がキューンとしました。

子供たちも頑張れ~ !!!!

 

 

・・・

ぼよよん行進曲


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近くて遠い散歩道

2020-04-25 02:03:00 | お散歩&写真日記

22日、ルート君が連れて行ってくれた江戸川の土手の風景。

マンションの花壇にも植えた菜の花も、明日抜くらしい。

 

だからもう

山村暮鳥の「風景 純銀もざいく」のような風景はナイナ。

それでも水辺の風景や野の花に癒される。

私は元々、こういう場所が好きだからね。

家から真っすぐ来れば、車で15分。

ということは、自転車でも30分から40分ぐらいで来られる場所なんだよね。

昔はちょっと自転車で、どこでもウロウロしてたけれど、

今はもう、そんな元気がないんだよね。

 

 

別にふるさとの横浜が、すこぶる都会と言うわけではなかったけれど、

近くにはこういう風景が無かったから、

だから、私は田園の風景を見るだけで、

少々の「どこかに来た !」と言う気分になっちゃうんだよね。

ああ。好きな風景だなぁ。

予想通り、殆ど人もいないしね。

まあ、向こう岸にはいるね。ゴルフ場だから。

でもなあ・・・・。

今はなあ・・・・。

帰りに食事しながらガハハと笑い自慢話などをしちゃダメなんだからね。

いやいや。余計なことを言ってしまった。

向こう岸の菜の花の黄色を撮りたかっただけなのに。

 

猫ちゃん発見。

菜の花と猫。

この時何処からともなく麦笛ならぬ笛の音が聞こえてきたの。

この階段の下で、誰かがピッコロかフルートの練習をしていたの。

区別がつかなかったのかと言われたら、恥ずかしいような気もするけれど、

そのぐらい微かな調べで、だけど素敵だったな。

 

 

そして野の花マニアを楽しむ私。

   

  

風も強くて上手く撮れなかったけれど

 

 

 

元はこの中に咲く小さな花たちなので、

ここまでで許してと言うところかな。

 

そしてちょうど、雨雲アラームが鳴ったので、いそいそと帰りました。

 風景 純銀もざいく 山村暮鳥

  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  かすかなるむぎぶえ
  いちめんのなのはな

  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  ひばりのおしゃべり
  いちめんのなのはな

  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  やめるはひるのつき
   いちめんのなのはな。

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《2020年の》主婦の日常日記 その3

2020-04-24 02:03:41 | 梢は歌う(日記)

別に遠くに行きたいわけじゃないんだよね。

扉を開けて、

ここじゃないどこかに、

もっと先の

閉ざされていない自由な未来に

行ってみたいだけなんだ、きっとね。

4月19日日曜日

お昼ご飯の記憶って、数日たつと本当に怪しくなると思いませんか。スパゲティを(夫殿が)作って食べたのが土曜日で、日曜日はみんなでレトルトのハヤシライスを頂いたのだっけなぁ。まあ、それはどうでも良いや。日曜日はお昼に親子丼でも作ろうと思っていたけれど、何かチマチマと片づけだすと、その手を止めたくないので、やっぱりお昼は手抜きにすることにしたのです。だけど意外と美味しかったです。

それに非常食も兼ねてとレトルトやカップ麺を買っておいても、いつも食べる事もなく、賞味期限ぎりぎりになって、私がお昼に消費する習慣になっているので、こういうのもみんなでちゃんと食べて回すと言うのも大事な習慣なのではないかと思えてきました。

しかし私のお片づけは、私の楽しみだけでやっているので、豪快に「ここがスッキリ~!!」なーんてことにはなかなかなりません。(まあ、少々は…。)

そこを望んでいるわけではないので。

基本、捨てるのはゴミのみです。

しかしながら、明らかにゴミでしかないものが、勇気を出さないと捨てられないものがあるのです。

例えば

息子たちの子供時代の遊んだ跡。

幼児の頃に鉛筆を使ってノートで遣るバトルゲームを教えてあげました。ひとりで小学生になっても遊んでいたのでしょうか。

別のページにアイテムなどの説明もあって、テレビゲームのアナログ盤のようになっていました。

可愛いなぁ~。

と、しばししみじみとした後に捨てたのです。と言うか、これを今までも取っておいたと言うのも、他の人には理解できないことかもしれませんね。でもこれは私にとってはアルバムのようなものだから。

私は自分以外にはゴミでしかないものは取っておくけれど、誰かの役に立ちそうな服やおもちゃの処分はバンバンとする方です。あちらこちらに差し上げていた時代がありました。

この日は、ゴミ袋一杯に紙ごみを捨てて、他には姉妹とラインし合ったり「仁」を見て泣いたり、そして夕方には「麒麟がくる」を見て、なんだか一日が終わってしまったように思います。

ふと外を見た時に見た雲。

ただの雲ですが、今見ると、ネズミが急いで駆け抜けていくように見える・・・・・。

早く今が過ぎ去って欲しい・・・・。

でもなぜかこの時は、豚さんに見えたのです。深層心理で何かあるのか、私 ?

 

4月20日月曜日

とうとうルート君の会社も一日起きの出社になってしまいました。仕事柄テレワークは不可なのです。だからお休み・・・・・のはずなんだけれど、バンバンと電話がかかって来ていて、これでは休みとは言わないと思いました。

それでも一応お休みなんで、銀行に連れて行ってもらいました。

季節は、ちゃんと次へと移っていました。

町中にハナミズキの花が咲いていました。

帰りにケーキ屋さんによって、そしてマックをお昼にとドライブスルーで買い求めて帰ってきました。

マックも今はほとんど食べないのですが、たまに食べると美味しいですよね。

   夜に頂いたケーキ。 

ケーキ屋さんはいつでも人がいます。こういう時代、人は甘く美しいものを求めてしまうのでしょうか。

 

4月21日火曜日

私は「ドクターX」などを見過ぎているのでしょうか。

蝶子さんがスノウさんから電話を貰ったと電話してきました。連絡網のようなものです。

まだ馴染みのない名前なので、説明いたしますと、姉は蝶子さん、すぐ下の妹はスノウさん、一番下の妹はなっちゃんです。

だけどその内容は「肝臓がんは手術なし」と言うものでした。切ればなんとかなると思い込んでいた私は、かなり動揺しました。すぐにlineで「聞いたよ。」と連絡を入れ、直接話をメールでですが聞きました。

要するに、原発が乳癌なので、そこを徹底的に薬で叩くと言うらしいです。

だけど説明の中に「切らなくても良い癌も切ったから云々」と言うのがあって、妹は驚くとともに怖くてどういう意味かと聞けなかったと言いました。

私もそれはどういうことなのかと気持ちがざわつきましたが、今は主治医の言う事を信じていくしかないのかも知れないと思ったのでした。

コロナのせいで、みんなで6月に温泉に行くと言う案は流れてしまいました。だけど今度の件があって、コロナが無くても行けなかったと思いました。いや、スノウさんのことだから無理をしても行くと言ったかもしれません。

秋になったら行こう・・・・。

いや、秋だって無理じゃないかと思います。来年、来年こそ行こう。

だからね、絶対に生きてなくちゃダメなんだからね。それはみんなもだよ。そう私は心の中で思っているのです。

 

4月22日水曜日

なんと夫殿もルート君もお休みでした。だけど私は午前中はサークルで花の植え替えに参加(ちゃんと熱を測りマスクをしての参加で密にはなってませんので)。

戻って来てからのお昼ご飯を作る気がしなくて、この前のレトルトのハヤシライスを思い出し、その日はカップ麺にしようと言う事になりました。またこれが意外と美味しかったのですよ。

そればかりじゃ、健康的にはどうかと思いますが、たまには良いのではないかと食べながら思ってしまいました。なんたって安上がりだと思うのですよね。

午後からルート君とヤマダ電機に出掛けました。ちょっとマウスが限界に近づいてきているので便乗です。だけど今は食品も売っているので、消費してしまったレトルトとカップ麺の補充もついでにしたいなと思ったのです。またついでにマスクとかもあったら良いかもとは思っていましたよ。そしてマスクはあったのです。でもそのマスクの話はまた今度。

その後、ルート君が江戸川の土手まで連れて行ってくれました。

「別に何処かに行きたいわけじゃなけれど、ただ車に乗って街の風景を眺めて走る事がこんなに幸せに感じるなんて。遠回りして帰りたいわ。土手の菜の花とか見ながら。」と私が月曜日に言ったことを覚えていたのですね。

とっても幸せな時間でした。

そして夫殿には、またもケーキ。

 そして 

ルート君が前に行った結婚式の引き出物の一つの蟹が届いたので、その日の夕食に頂いたのでした。

 

4月23日木曜日

何も無い一日ではなかったけれど、すべてが岡江久美子さんの訃報で吹っ飛んだような気がしました。大好きな人が亡くなったショックもありますが、3日に発熱して3日間も様子見で、6日に急変。そして23日に死に至るとは。

ほぼ3週間、苦しかったし寂しかったのではないかと思ってしまいました。元気印のような人だった人が、そのような目にあって、本当に可愛そうで、そしてまたコロナが本当に恐ろしく感じたのでした。

多くの人が、あなたの死を悼み、あなたの事を思っています。

どうか安らかにお眠りください。

 

 

 


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麒麟がくる 第十四回「聖徳寺の会見」

2020-04-22 09:05:53 | ドラマ (大河)

聖徳寺にての会見は、面白かったですね。

当たり前のように見ていましたが、ふとさりげないこの場面の説得力にすこぶる感心したのです。何に感心したのかと言いますと、光秀がこの場に居て、歴史の目撃者に当たり前のようになっていた事にです。

大河ドラマは、そこにいもしない主人公を歴史の重要な場面に如何に絡ましていく事が出来るかは、重要な課題ですよね。

私は関係のない人はナレーションで終わらせるか、主人公には伝聞と言う形のみを取って、そしてその場面は別に丁寧に見せてくれると言うのが一番説得力があって好きです。

信長が本能寺でまさに落ちようとしている時に、襖を開けたらそこに江の幻がいる・・・・・・・なんて言うのは恐ろしいトラウマです。

ところがこのドラマの中の光秀は、あの場所のあそこに座っていて当然であると言う説得力があるのです。

史実の中の青年期の光秀は、道三には仕えていたらしくも不明な点の多い人なので、どのくらいの重用されていたかも分からない事だと思います。フィクションでありながら、現実であったかのようにさえ感じさせるこのシナリオは、本当にうまいなと感心せざるを得ません。

 

二人の息子の対比も見事でしたね。

織田信秀の息子の信長は

「我が父は、織田は大した出ではない。元は何処どの神主で成り上がりものであると、常々申しておりました。」と、むしろそれを誇らしげに言い、「ゆえに」とこうで有らねばならないと言う未来の展望を語ります。

300の寄せ集めの鉄砲隊、舅好みの着物は皆、帰蝶の作戦だとバラシ、なにげに夫婦間は良好であると仄めかす信長。

この対面は生きるか死ぬかと言う、恐ろしい一騎打ちであったことを信長も帰蝶も承知でやって来ていて、それゆえの策がことごとく生きていましたね。次男・三男の失うもののない男たちを重用し、それを護衛に伴うと言うアイデアも素晴らしく、道三は信長に自分の若い時を重ね、信長が帰る時には、門まで見送ったと光秀が語っていましたが、そこまでのお気に入りになったのです。

「帰って帰蝶に伝えよ。」のようなセリフがあったと思いますが、(ことごとくセリフは不正確です。)このまま無事に帰すと別の言葉で道三が言ったわけで、この時代はボーっと人の話を聞いていてはダメなんだなとレベルの低い事を思ってしまったのですが、良いセリフだなと思いました。(の、割には不正確にしか書けないってどういうわけ(^_^;)

 

この新しく息子になった信長との会見は上手くいっても、もうひとりの道三の息子の高政はー。

以前の感想にも書いたことですが、彼は父が成り上がりである事を受け入られない男だったのだと思います。

彼は凡庸な男。会った事もない信長の事を噂のみでウツケと断言します。そして自分の考えに囚われて「こうであらねばならない。」を曲げる事も出来ず、豪快な父に着いて行く事が出来ないと言う事実には気が付かず、相手ばかりを責めるのです。

そこだけ見ちゃうと、やっぱり彼は道三の息子じゃないんじゃないのとか思ってしまったり・・・・・。

だけど道三は、分かりやすく高政を良い子良い子と可愛がることはなかったかもしれませんが、側室の子でありながら長子である高政に家督を譲ると深芳野に伝えていたのです。

 

なぜ深芳野は死んだのでしょう。

高政の父に逆らう行動に、まだ家督は譲れないなどと不安になるような発言を道三がしたからでしょうか。

それとも高政が言ったように、タダ何もせず飲んだくれて道三を待つだけの生活に耐えられなくなったからでしょうか。

(もしそうであっても、あまり同情できないなぁ。なんだかやっぱりみな人のせいってな感じ。ヤなやつだ。)

しかし深芳野が自分の死と引き換えに勝ち取ったものがありましたね。

それは次回と言うところ。

 

ええと、後は・・・・。

駒と藤吉郎との関わり。それから菊丸はあそこで何を・・・(まあ、分かってますが。)

しかし東庵と言う人は、あちらこちらの重要人物に医師として会える人で、狂言回しとして便利な人なんだなと感じました。

雪斎は後二年生かして欲しいと言いました。

フムフム。

何かがだんだんと近づいてくるような気がしましたね。

 

と言うわけで、また来週~☆

 

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《2020年の》主婦の日常日記 その2

2020-04-20 18:25:39 | 梢は歌う(日記)

真夜中に書いた、「《2020年の》主婦の日常日記」

の続きです。

そう言えば、この前ちょっと考えていました。私たち四人の姉妹は、時々

『―姉は長女らしい文字をその名前の中に持ち、次女であり2月生まれの私には「春」を望む音があり3月生まれの妹には逆に冬を偲ぶ音が名前に隠されている。一番下の妹は7月生まれで、まさに夏の象徴的な名前である。そんな私達には秋はない。つまり飽きは来ないのである。―』と「四季の家」として紹介させていただいているのですが、この姉妹の話をする時に、姉とかすぐ下の妹とか、一番下の妹とか言うのがなんとなく煩わしくなってきたので、お友達の星子さんのように名前を付けてしまおうかなと、ふと思ったのです。

姉は「長子」さんでは、つまらないので「蝶子さん」にしようかなと思い、時々、今ではごく稀になってしまったようなのですが、このブログを読んでくれる姉に言ってみたら、あまり喜んではいませんでした。もっと仮想空間的なぶっ飛んだものか煌びやかな名前が良かったのかも知れませんが、意外とシンプルなのがこのブログの中の登場人物の名前です。

3月生まれのすぐ下の妹はスノウさん。そして7月生まれの妹は、なっちゃん。

蝶子さんが言いました。

「なっちゃんは、夏の子供なんだから、本当だったらコロナちゃんとかが・・・・」

「良いわけがないでしょ !!!!」

まったくねぇ。

いやいや、蝶子さんを責めたのではないですよ。本当にこんな時代で無かったら、太陽のコロナの頃奈ちゃんとか名付けたかったかもしれませんよね。

と言うわけで、4月14日の夕方、私はチョキチョキと使い捨てぞうきんを作っていました。テレビでは新しい声優さんたちのドラえもんの映画をやっていて、別にチャンネルを変える必要もなかったので、何とはなしにそれを見ていた午後4時近くだったのです。

蝶子さんから電話が入り、呑気に「なあに ?」と言うと、

「スノウさんが大変な事を言ってる。」と言いました。そして続けて

「今度は肝臓がんだって。」と言ったのでした。

「えっ? はぁ?   なあにそれって・・・・まっ、とにかくラインを見てみるね。」と電話を切ってスマホを開けたのでした。

だけどスノウさんは「平気平気、また切ればいいのだから。」なんて、また感動レベルの強さを私に見せつけたのでした。

 

その日の夜もテレビでは、東京の感染者数・死者数を報道していました。

「どうでも良いや、そんな事。」

その夜の私の気持ちは、闇の中の住人のようなそんな気持ちに陥っていたのでした。

けれど妹の病気の事も、考えていたって何も始まらない事なのです。

時を待ち状況を見て、そして信じていくことしか出来ない事なのです。

 

4月15日水曜日。

お友達がまたお電話をくれました。いわゆるご近所のコロナ情報です。15日の私のミッションは。遅咲きの桜を見に行く事だったのですが、ずるずると時間ばかりが過ぎて、結局はテレビ(wowow)で、「グッド・ドクター」を見続けていたのでした。

山崎賢人の日本版の続編とかもあったら良いのになと思ってしまいました。

珍しくお昼寝を1時間近くしました。

この日本と言う国にも絶望しかかっていたので、もう疲れていました、本当に。

 

4月16日木曜日。

ひとりの友達にラインでメールを送りました。

また一人の友達とはお電話で長々とお話をしました。

皆、家に引きこもっています。何気に日本人はマジメだと思います。

午後からは、また別のお友達がお電話をくれて、ライン電話だったので1時間半近く話してしまいました。

その後、1時間だけの仕事をして・・・・・・・

後は何をしたというのかしら。

まあ、ブログだけは書いていると言うわけですね。

それから毎日、蝶子さんと電話をしているのです。そうでなくては心の中に溜まっていくものを吐き出していく事が出来ないからだと思います。

夜、急転して一律10万円給付の話が実現しそうになって、ほんの少しだけ気持ちが復活しました。だけど困窮者への30万円の保証の方は無しにしてなのかと思ったら、どこまでも闇の深さを感じました。

だけど政治ネタは、今は自分が疲れるから誰とも話したくないような気分です。

 

4月17日金曜日。

ふと、自分で「ヤバイ」と思いました。

何をかって言うと、自分の気持ちが崖っぷちです。心の内側から震えが来るのではないかと思いました。

それでも郵便局に用があったので出掛けました。通帳がいっぱいになってしまったので、新しく継続の通帳を作りに行ったのです。その時に小銭貯金も持って行きました。また年賀はがきの書き損じと一枚だけ当たったお年玉年賀状の交換、そして何か良い感じの記念切手もあればと思って行ったのでした。

 

 今年は蝶子さんから来た年賀状が一枚だけ当たったのでした。昨年はゼロだったので、嬉しかったです。

書き損じはがきは皆切手に買えてもらいました。

それから、選んだ記念切手は

 なんか私らしいのに巡り合えたような気がしました。

小銭貯金は10円と1円だけなのに5400円もありました♪

 

帰り道、八重桜が綺麗に咲いていて、それを見ながら自転車を走らせていたら気持ちが明るくなりました。

崖っぷちから遠のいたような気がしました。

午前11時からはラインで姉妹ミーティングでした。

そうそう、その前の私のが自分に課したミッションの一つは

 マスクを洗う事だったのです。

マスクは、本当はまだ困っていません。それにそろそろ市場に出回って来るんじゃないかと予想しているんです。いろいろな企業が頑張ってくれていますから。ただしノイローゼになってしまっている方が、毎日早朝に並ばれては手に入るかは分からない事ですが、それに対しても対策を講じだした県も現れましたよね。

予想が外れて、この先も入手困難だったら作ればいいやと思っているので、マスクには不安はありませんが、今は大掃除と言うか大片付け中なので、マスクは作りたくないのです。それでストックはありますが、少々ケチる事にしたのです。

そして夕方からは1週間に一度だけになってしまったバイトに行き、また元気を取り戻した私でしたが、帰り道でスーパーに立ち寄った時に、そこに至る道が真っ暗で、また人もほとんどいなくて、また私はなんだかしょんぼりとした気持ちになって行ってしまったのでした。

スーパーで買い物をしていたら、偶然、お友達に会いました。

「元気が出ない。」と言ったら、「私も。」と、なんだかお互い励まし合って別れたように思います。

そうは言いながら、その友達も、一応私もいろいろな事を、「ああ~」とか「はぁ~」とか言いながらやっているような気がするのは、単なる自己満足なのでしょうか。

そう言えばレジ前の棚に、アルコール入り除菌ペーパーが一個だけコロンと転がっていて迷わず買いました。探し回った事もなかったのでしたが、こんなこともあるんだなと嬉しく思いました。

 

4月18日土曜日。

自分を叱咤激励するために、ピアノのお稽古帳を作りました。今の気分ではないので、まったく練習をしていないのですが、この自粛生活が、5月の連休が終わったら終わりと言うわけにいくわけがないと思っているので、少々の準備をしているのです。

相手はウイルスなんですから、カレンダーの予定通りなんかに行くわけがない事です。

  

この前、紙袋の整理をしたと言いましたが、綺麗に取っておいた方からではなくて、いろいろな所で使って処分する予定のものから選んでカバーにしたのでヨレヨレですが、後で来になったらアイロンを掛けようと思っています。でもこのヨレヨレな雰囲気が好きな時もあるんです。

  

 

テレビで「仁」を見ていましたがそれが終わり、雨が上がったのもあって夕方から買い物に行きました。だいたい三日分の買い物。ビューンと言ってビューンと帰ってきたつもり。そこまで意識が高いわけではありませんでしたが、行った時にはまあまあの空き具合で、ただ皆考える事は同じらしくて、

「ママ、ヤバイよ。激混みになりつつある。」と夫殿が言うので、そそくさと帰らざるを得なかったと言うわけなのです。

無塩バターが全くなくなっていたのが、印象に残った買い物でした。

 

この日の午前中は園芸サークルのミーティングでした。

最後に私が

「皆さん、生き延びてくださいね。」と言い、皆で笑い合いました。

私は別に冗談を言ったつもりは、まったくなかったのでした。

 

と言うわけで、本日二回目の投稿でした。単なる日記ですが、こういう記事の方が、後から読み返したくなることも多かったりするのですよね。

なんだか元気がなくなってしまっても、そう言う方はあなた様だけではないですよ。

空を見て花を見て、テレビなどをぼんやり見て、お昼寝をしたり電話などをしたりして、気分をあげていけたら良いですよね。

 


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《2020年の》主婦の日常日記

2020-04-20 02:57:38 | 梢は歌う(日記)

なんだか最近、「どうせマスクするから」と、すっぴん太郎丸を毎日しています。だけどなーんとなく冴えない感じ。

先日、ピアノの先生が『しばらくお稽古はオヤスミ』と言う連絡をくださった時に、私のバイト先の雇い主様の状況を尋ねました。それは自分が主となり教室を経営している同じ立場だからではないかと思いました。

これは凄く理解できることです。私も以前のようにある所の傘下に入ってのお教室だったらどうだったろうか、またはそうでなくても家にやって来る子供が数人いたらどう思うだろうかと、そんな事を思わず考えてしまうからです。そしてそんな状況だった昔にこの疫病騒ぎが起きなくて良かったと、本当に思ってしまうのです。

「頑張って張り切ってはいるけれど、なんだかひどく疲れた感じは隠せない感じでしたよ。」などと言うと、

「やっぱりそうですか。なんだかどんどん歳を取っていくように、私も感じてしまいます。」と彼女は言いました。

 

でもそれは仕事などで自分であれやこれやと考える事がない人でも、同じじゃないかと思います。

本当に、なーんか冴えない感じです。

巷では「ころなり・こん」じゃなくて「コロナ離婚」と言う言葉以外にも「コロナ太り」と言う言葉も流行りだしたとか。こういう流行にはしっかり乗ってしまいそうなワタクシです (^_^;)

それで今日の夜は、前髪を切り髪を染め、眉のお手入れなどを久しぶりにしました。

 

なんだかこのような状況だと、家に居たら何かをしなければならないという気持ちに駆られませんか。

もしくはその逆で、まったく何もヤル気が起きないという気持ちに押しつぶされそうになるとか。

私はこれが波のように繰り返して交互にやってきているような気がします。

 

「何かしなくちゃ」の気持ちでやった事は、

エッグベネディクトを作る。(4月13日月曜日)

ポーチ・ド・エッグを初めて作ったので、ちょっと見た目がね。二回目はもっと上手く作るつもり。味は美味しかったので、もうこれに誘われて、ホテルのモーニングに行く事はないでしょう(本当かな・・・・、今のところはね・・・・( ̄ー ̄)ニヤリ)

 

火曜日(14日火曜日)は、またも

 この画像、前の使いまわしではないのです。以前にも同じような画像を載せた事があるのですが、つまりこの洗濯ハンガーのピンチは全滅になったと言うわけなのですね。そしてまた直して使うワタクシ^^

以前の記事は→それが良いのか悪いのか、考えないから分からない。

(昨年の11月に投稿)

 

そしてその日は、使い捨てぞうきんなども作りました。

 それから私はその日は、炊飯器で小豆のケーキを作ったのです。

上にリンクした昨年11月の記事を読むと、私は似たような事ばかりをしているのですね。

 

火曜日はほとんど家に居て(つまりゴミ捨て以外)、主婦的お仕事はまあまあの進捗度だったと思います。

が、

その日の夕方すぐ下の妹からとんでもない言葉がラインに入っていて、・・・・・・

ちょっと気持ちが落ち込み、復活するのに数日かかりました。

 

眠くなってしまったので、続きはまた明日~。

 

☆「《2020年の》主婦の日常日記 その2」

に続きます。

 

 

 

 

 

 


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「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」から

2020-04-18 02:40:21 | テレビ・ラジオ

4月10日から月1で始まった「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」ですが、1週間も経ってから感想もないものだと思いますので、あれやこれやと詳しい感想と言うわけではありません。

10日の日、午後10時に帰宅してそのままradikoで聴きました。だけどネット環境に時々不具合が生じ、radikoも時々切れてしまっていたのです。ふと気が付くと音もなくついでに意識もない状態が少々あったりして……所謂寝落ちと言うやつですね。

聴きそびれた部分を、やはりradikoのタイムフリーで聴こうと思っていたのに、また聴きそびれていて、ふと気が付けば昨日がリミットでした。(正確には18日、今日の午前4時59分まで)

それで背後では夫殿がドラマの「コウノドリ」の感想や今日の安倍ちゃんの会見の感想とかいろいろ言っていたのを、生返事しながらもう一回聴きました。

拓郎氏が、セットリストの事を考えていると楽しくて寝られなくなるみたいなことを言った時に、心の底から「イイナぁ」と思いました。

「あーん、もう、ワクワクしちゃう ♡」

ってなこと、今の私のこの数日間で有ったかなぁ ?

あっ、イヤ、実際には声に出しては言わないですよ。もうおばさんなんで。

中身は相当幼稚ではあるのですが、器の方がちょっと草臥れてきちゃったので「あーん、もう~、ワクワクしちゃう♡」なんて言うわけもないのですが、そのぐらいのテンションで「なんか楽しい事プリーズ」と思ってしまったのです。

もちろん楽しい事は自分で見つけていくしかないわけですが、やはりこんな風にワクワクしている人に触れるということは、元気が出るし大事な事だなと思ったのでした。

拓郎氏、本当に楽しそうでしたね。

 

紹介された映画は「男と女の観覧車」。今ではないいつか見たいなと思います。

Kitri(キトリ)と言う姉妹のユニットを紹介してくださったのも嬉しかったです。彼女たちの「アン・ドゥ・トロワ」はキャンデーズが歌った歌と同じとは思えないくらい別の歌に聞こえてきました。だけどすごく良かったです !

拓郎氏も大絶賛でしたね。

 

と言うわけで、次回は5月8日。次もテレワークかしら。その時は是非うちの人の生活音とか聞きたいものですね^^

それらも含めて楽しみです ♪

 

下に1曲だけ貼りました。歌詞の冒頭に励まされます。

今はこの時代のこの世界の中にいるということは、逃れられない事です。

この世界の中から見るべきものを見て、感じられるものを感じて生きて生きたいと思う毎日です。

 

that's it やったね

 

歌詞などは→こちらで

 


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