幼い日に 南こうせつ
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昨夜、仕事を終えて母からメールが届いた。
幼い頃から自分を可愛がってくれた「大叔母」さん(祖母の妹)が、老衰で亡くなったらしい。
幼い頃の思い出で、祖母と自転車でおばさんの家へ遊びに行ったことがよくあった。
ちょうど、この歌のイメージになる。
農家の家系らしく、日に焼けてとにかく明るく、僕を見守ってくれた人だった。
祖母が亡くなったあとも、自分が社会に出るまで何かにつけ気にかけてくれた人だった。
しかし、晩年は認知症になってしまい、5年以上前に訪ねた時は
もう自分のことがわからなくなっていた。
悲しかった。
泣きたいくらいに。
以来、おばさんは介護付き有料老人ホームに入り、二度と会うこともなかった。
この歌を聴いて、彼女を何度思い出したことだろう。
もう90歳以上だったし、老衰だったから、
「大往生」なのかもしれない。
でも、自分を育ててくれた人が亡くなるたびに、
「帰れる場所が確実になくなってゆく」淋しさがつのる。
左右が断崖絶壁の稜線を歩いている気分になる時がある。
おばさん、今までありがとう。
時を同じくして、三笠宮さまが逝去された。
昭和を「正しく語れる生き証人」がどんどん去っていく。
嗚呼。
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昨夜、仕事を終えて母からメールが届いた。
幼い頃から自分を可愛がってくれた「大叔母」さん(祖母の妹)が、老衰で亡くなったらしい。
幼い頃の思い出で、祖母と自転車でおばさんの家へ遊びに行ったことがよくあった。
ちょうど、この歌のイメージになる。
農家の家系らしく、日に焼けてとにかく明るく、僕を見守ってくれた人だった。
祖母が亡くなったあとも、自分が社会に出るまで何かにつけ気にかけてくれた人だった。
しかし、晩年は認知症になってしまい、5年以上前に訪ねた時は
もう自分のことがわからなくなっていた。
悲しかった。
泣きたいくらいに。
以来、おばさんは介護付き有料老人ホームに入り、二度と会うこともなかった。
この歌を聴いて、彼女を何度思い出したことだろう。
もう90歳以上だったし、老衰だったから、
「大往生」なのかもしれない。
でも、自分を育ててくれた人が亡くなるたびに、
「帰れる場所が確実になくなってゆく」淋しさがつのる。
左右が断崖絶壁の稜線を歩いている気分になる時がある。
おばさん、今までありがとう。
時を同じくして、三笠宮さまが逝去された。
昭和を「正しく語れる生き証人」がどんどん去っていく。
嗚呼。