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音楽大好き男の徒然なる日記

〔訃報〕村上“ポンタ”秀一さん(1)フォーク&ニューミュージック編

2021-03-20 | 音楽
3月も下旬になり、テンプレートを「残雪にかくれたふきのとう等の若芽」の
早春モード(=白と新緑)に替えました。

切り替え時は「札幌の積雪情報が0cmになる時」か、「春分の日」のどちらを基準としていますが、
2021年は後者だったようですね。
では、今日の話題は……
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う………嘘やぁー!


スポニチアネックス 2021年3月16日付記事
「村上“ポンタ”秀一さん死去、70歳 
日本を代表するドラムス、「イカ天」審査員としても活躍」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/03/16/kiji/20210315s00041000641000c.html

日本を代表するドラムスとして音楽界を支えた
村上“ポンタ”秀一(むらかみ・ぽんた・しゅういち、本名村上秀一=むらかみ・しゅういち)さんが
3月9日に視床出血のため、都内の病院で亡くなっていたことが15日、分かった。
70歳。

兵庫県出身。
葬儀、告別式は親族で営んだ。
喪主は遺族の意思で非公表。

関係者によると、2月8日に自宅で倒れ、そのまま入院。
以降、意識が戻ることは一度もなく、治療のかいなく今月9日、息を引き取ったという。

バンド活動を経て1973年からスタジオミュージシャンに転身すると
ピンク・レディーや坂本龍一(69)、井上陽水(72)、
松任谷由実(67)、沢田研二(72)ら、
そうそうたるメンバーから引っ張りだこになった。

参加したアルバムは1万枚以上。
最も録音した年は2780セッション。
関係者によると「携わったレコーディングは1万4000回以上」という。


最盛期は1日5本以上の仕事を掛け持ち。
ジャズピアニスト山下洋輔(79)の翌日にさだまさし(68)、
その翌日に泉谷しげる(72)と、ジャンルを超えて重宝され、神格化されていった。

信条は「ドラムは楽曲の香辛料」。

歌詞を見て曲の世界をイメージし、楽器やチューニングを決める。
多少のズレはお構いなしの、楽譜に縛られない味のある演奏は唯一無二。

「俺のドラムは音符を叩くんじゃなくて歌なんだ」と公言し、
ミュージシャンは「歌いやすい」と絶賛した。

1989~90年にはTBS「三宅裕司のいかすバンド天国」の審査員を務めるなど
お茶の間にも親しまれた。

酒を愛し、タバコを愛した。
親しい知人によると、お気に入りはキューバ産の葉巻。
一時、酒浸りになり音楽を離れた時期もあったというが、2017年ごろに酒をやめ再び精力的な活動を始めた。
関係者は「コロナ禍の前は、月30日中30日、ライブでドラムを叩くような生活だった」という。

最後のライブは昨年3月27日、宮城県石巻市での公演。
以降は肺炎の既往症があるためコロナ禍で自粛を徹底し、演奏からは離れていた。
関係者は「最後に電話したのは1月下旬。
“ワクチン早く打てるといいね。コロナ明けたら(音楽)やりましょう”と話していた。
さぞ無念だったと思う」としのんだ。


▽「視床出血」 
脳出血の一つで、脳の一部である視床からの出血を指す。
高血圧や動脈硬化で50代から増えてくる高血圧性脳出血では、約15%が視床出血。
部位としては大脳にある被殻出血に次いで2番目に多い。
症状には、しびれ、まひ、感覚障害などがある。
また、左右の目の位置がずれて、中央に寄ったり、両目が下を向いて動かなくなったりする。
手術を行うが、後遺症として意識障害や半身まひなどが残ってしまう場合が多い。

◆村上“ポンタ”秀一(むらかみ・ぽんた・しゅういち、本名村上秀一=むらかみ・しゅういち)
1951年(昭26)1月1日生まれ、兵庫県出身。
中学時代に吹奏楽部で音楽を学び、指導に来ていた指揮者の故朝比奈隆さんに打楽器を薦められる。

1972年に上京し、ドラム歴わずか1週間ほどながらオーディションで見いだされ、
フォークグループ「赤い鳥」に加入。
1993年には自身のバンド「PONTA BOX」を結成した。


村上さんの公式サイトは
「村上“ポンタ”秀一が2月8日に視床出血により入院しておりましたが、
令和3年3月9日享年70歳にて永眠いたしました」 と報告。
「葬儀・告別式は親族のみで執り行いました」 とし、
「ここに生前に賜りましたご厚誼に深謝し謹んでご報告申し上げるとともに
故人のご冥福をお祈りいたします。
誠に勝手ながら御香典・御供花はご辞退申し上げます。
お別れ会等は行う予定です。
詳細はおってお知らせいたします」 と記した。

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……悲しい😢。

志村けんさんもそうだったが、「酒とタバコ」は決して身体には良くない組み合わせだったのに……

でも、
ほんとうにフォーク&ニューミュージックからジャズ&フュージョンまで
幅広く貢献された人でした。

そこで、当ブログでも追悼記事をお送りしたいと思います。

まずはプロになったきっかけはフォークグループ「赤い鳥」に参加したことでした。

フォークソングの抒情性を持っていた、現「紙ふうせん」の後藤悦次郎氏と平山泰代氏と、
コーラス&ポップス志向で解散後に「ハイファイ・セット」を結成した山本潤子(旧姓新居)・山本俊彦・大川茂の各氏が合流、
5人組の「赤い鳥」となる。
ウィキペディア解説は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%B3%A5_(%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97)

村上ポンタ秀一氏が加入した最大の目的は「大村憲司(ギタリスト、1949-1998)と一緒に音楽したい」事で、
加入の際も明言してメンバー&スタッフ間でもめた程だったそうだが、当時音楽性の違いでのバンド崩壊を救った事で
ロサンゼルス録音のための渡航費を事務所社長から出してもらったそうだ。
(リットーミュージック刊「俺が叩いた。」より)

論より証拠のインタビュー映像を。
村上"ポンタ"秀一 さん 追悼 「赤い鳥オーディション」



では、ポンタ氏のプロとしての初めての録音曲として、「みちくさ」(1973)をどうぞ。
赤い鳥 『 みちくさ 』  
大村憲司作詞・作曲、
大村憲司&村井邦彦編曲



  あくまでも歌うメンバーはこの5人。 現在は『GOLDEN☆BEST』で聴くことができます。

代表曲の「翼を下さい」「赤い花白い花」「竹田の子守唄」とは明らかにカラーが違いますね。
エリック・クラプトンを思わせるギターソロとゴスペル(いや、R & B ?)調のブラスアレンジ。
大村憲司氏って、良いソングライターだったのねぇ(・□・;)。

当時自分はまだ幼稚園児から小学校低学年のため、当時の音楽状況など知るよしなどなかったが、
グループはすでに過渡期だったはずです。
当時の邦楽は演歌&歌謡曲でなければフォークソングかGS扱いが多く
(なにせエレキギター持ってるだけで「不良」呼ばわりされてた時代だ)、
ソフトロックやAORなどの評価もされなかった頃。
グループも最初のオリジナルアルバム3枚は洋楽ポップスカバーだけで構成され、
次の『竹田の子守唄』(1971)は一転してフォークソング色。
洋楽色を残しながら日本語ポップスの進化を模索するなか大村憲司&ポンタ両氏が迎えられたが、
両氏は特にこのグループに愛着はさほど感じてなかったのでは。
だからアルバム2枚に関わったあとは次のステップ目指して脱退し、
”紙ふうせん”の二人と“ハイファイ・セット”の3人(&アルファミュージック)の志向性の溝は深そうで、
このグループが長く続くはずがなかった、と自分は思えます。


続いて、1977年にさだまさしさんがリリースした名盤中の名盤『風見鶏』から
シングルカットもされた「吸殻の風景」をどうぞ。
写真が“文学青年”してますねぇ…
吸殻の風景/風見鶏収録曲 # さだまさし(CD音源)




「風見鶏は殆どの曲で、ドラム 村上秀一、ギター 松原正樹、
アコギ 吉川忠英、ベース 高水健司、
ドラムの一部 林 立夫 が、録音に参加しています。
吸殻の風景 での、村上秀一のパワードラムと、
松原正樹の炸裂するような、ギターソロが、印象的です。」
  fm recopal さんのコメントが的確です。

事実、この歌はかなりロック寄りのサウンドカラーでしたが、
明らかにポンタ氏のドラミングと松原正樹氏のギターソロが効果的でした。
さださんのアルバムは今もなお自分にとっては『風見鶏』『私花集(アンソロジー・1978)』がベストです。

何と言っても素晴らしいのは、さださんの作品中でもドライブやフィットネスのBGMにも使える、
数少ないアルバムでもあります。
「海は死にますか、山は死にますか」(防人の詞 うた)とか
「人殺し、あんたを許さない」(償い)なんて歌がかかってきたら、
耐えきれなくなって曲やチャンネル替えますよね?



当然ですが、まだ続きます。

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