北海道新聞 2019年12月1日付社説
「中曽根氏死去 戦後総決算が残した影」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/370109?rct=c_editorial
中曽根康弘元首相が死去した。
戦後政治の生き証人と言える最後の政治家だった。
まさに「巨星落つ」の感を禁じ得ない。
憲法9条の下で軽武装、経済重視の政策を進めた吉田茂元首相の保守本流路線に異を唱え、
自主憲法制定を主張した。
その流れは安倍政権に色濃く継承されている。
ただ首相在任時に「戦後政治の総決算」を掲げたものの、改憲は封印した現実主義者でもあった。
業績とされるのが巨額の赤字を抱えていた国鉄の分割民営化だ。
レーガンの米国、サッチャーの英国と並び、規制緩和や民営化で経済活性化を図る
「新自由主義的政策」に日本もかじを切った。
だが国鉄民営化は今、JR北海道の経営難という負の遺産として道民には重くのしかかる。
小泉改革に連なる新自由主義路線は、格差の拡大や地方の衰退を招いた。
中曽根政治を語る時、総決算の影の部分を指摘せざるを得ない。
国鉄民営化は社会党を支える主力労組の国労に打撃を与え、労働運動衰退の一因になった。
多くの労働者の切り捨ての上に民営化があったのは紛れもない事実だ。
非正規雇用の増加など働く者を軽んじる潮流の原点としても、民営化の功罪はいま一度問われていいのではないか。
ロン・ヤス関係が象徴する日米同盟強化路線も、時を経て安倍政権に生き写しになった感がある。
1986年に日本は「単一民族国家」だと発言、アイヌ民族が抗議したことも忘れてはなるまい。
しかし単純にタカ派政治家と呼ぶことはできない。
例えば韓国の全斗煥(チョンドゥファン)大統領や中国共産党の胡耀邦総書記と友好関係を築いたアジア外交は
高い評価の声がある。
先の戦争は「間違った戦争」と答弁するなど、いわゆる歴史修正主義とは明確に一線を画した。
海軍主計将校として戦地で多くの部下を失った戦争体験、
若手時代から外国訪問を重ねて培った国際感覚、
豊富な読書量に裏打ちされた政治哲学が、中曽根政治の懐の深さを形づくったのだろう。
それだけに、1985年の靖国神社公式参拝で今日に至る歴史問題のしこりを残したのは悔やまれる。
早くから原子力開発を推進し、ロッキード、リクルートなどの大型疑獄事件で名前が挙がるなど、
ほかにも批判点は少なくない。
中曽根氏は引退後、著書に「政治家は歴史法廷の被告席に座っている」と記した。
一面的には捉えられない101年の人生は、さらなる検証が必要だ。
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中曾根康弘氏の政策を、読売新聞と日本経済新聞は「功績」として手放して取り上げていた。
しかし、自分はその姿勢に異論を唱えたい。
原子力発電の普及推進のために「札束で顔をひっぱたく」ことをやってきた人物だった。
その成れの果てが、「福島第一原発事故」「福井県高浜町の贈収賄」だったことを忘れてはいけない。
そんな町で若者が誇りを持って働き、家庭を築けるだろうか……
「兆単位」の赤字が積み重なった国鉄には、確かに民営化の発想は必要だったのかもしれない。
しかし、明らかに「分割」は間違っていた。
北海道は鉄道が地域を支えていた点が多く、その廃止によってコミュニティーも崩壊して
「原野」に還ってしまった風景を見てきた。
今、札幌市内で「北海道新幹線の建設推進」を唱えるスローガンが目立つ。
しかし、残った道内の多くの駅でキオスクやお店が消えた寒々しさに言葉を失う。
いくつかの駅は移転して、近場の「道の駅」に隣接させないと鉄道駅そのものが消えかねないのもある。
なによりJR北海道は国鉄の影を引き継いだように「赤字」を積み重ねている。
まずすべきは多角的な視点でさまざまなアイディアを出して道内の在来線の活性化をはかる事で、
整備新幹線完成を急ぐことではない筈だ。
いや、むしろ赤字しか生まない整備新幹線の運営そのものから「JR北海道」が手を退くことではないだろうか。
独断を言えば、稚内・根室・オホーツク海沿岸路線は、国土防衛の観点から「再国有化」の意味があると思うが。
「戦後政治の総決算」が、「戦前回帰」に向かいかねない政治を止められるのは
私たち有権者の理性にかかっています。
次の選挙こそ、自公政権へ「No!」を突き付けなければなりません。
合掌。
「中曽根氏死去 戦後総決算が残した影」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/370109?rct=c_editorial
中曽根康弘元首相が死去した。
戦後政治の生き証人と言える最後の政治家だった。
まさに「巨星落つ」の感を禁じ得ない。
憲法9条の下で軽武装、経済重視の政策を進めた吉田茂元首相の保守本流路線に異を唱え、
自主憲法制定を主張した。
その流れは安倍政権に色濃く継承されている。
ただ首相在任時に「戦後政治の総決算」を掲げたものの、改憲は封印した現実主義者でもあった。
業績とされるのが巨額の赤字を抱えていた国鉄の分割民営化だ。
レーガンの米国、サッチャーの英国と並び、規制緩和や民営化で経済活性化を図る
「新自由主義的政策」に日本もかじを切った。
だが国鉄民営化は今、JR北海道の経営難という負の遺産として道民には重くのしかかる。
小泉改革に連なる新自由主義路線は、格差の拡大や地方の衰退を招いた。
中曽根政治を語る時、総決算の影の部分を指摘せざるを得ない。
国鉄民営化は社会党を支える主力労組の国労に打撃を与え、労働運動衰退の一因になった。
多くの労働者の切り捨ての上に民営化があったのは紛れもない事実だ。
非正規雇用の増加など働く者を軽んじる潮流の原点としても、民営化の功罪はいま一度問われていいのではないか。
ロン・ヤス関係が象徴する日米同盟強化路線も、時を経て安倍政権に生き写しになった感がある。
1986年に日本は「単一民族国家」だと発言、アイヌ民族が抗議したことも忘れてはなるまい。
しかし単純にタカ派政治家と呼ぶことはできない。
例えば韓国の全斗煥(チョンドゥファン)大統領や中国共産党の胡耀邦総書記と友好関係を築いたアジア外交は
高い評価の声がある。
先の戦争は「間違った戦争」と答弁するなど、いわゆる歴史修正主義とは明確に一線を画した。
海軍主計将校として戦地で多くの部下を失った戦争体験、
若手時代から外国訪問を重ねて培った国際感覚、
豊富な読書量に裏打ちされた政治哲学が、中曽根政治の懐の深さを形づくったのだろう。
それだけに、1985年の靖国神社公式参拝で今日に至る歴史問題のしこりを残したのは悔やまれる。
早くから原子力開発を推進し、ロッキード、リクルートなどの大型疑獄事件で名前が挙がるなど、
ほかにも批判点は少なくない。
中曽根氏は引退後、著書に「政治家は歴史法廷の被告席に座っている」と記した。
一面的には捉えられない101年の人生は、さらなる検証が必要だ。
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中曾根康弘氏の政策を、読売新聞と日本経済新聞は「功績」として手放して取り上げていた。
しかし、自分はその姿勢に異論を唱えたい。
原子力発電の普及推進のために「札束で顔をひっぱたく」ことをやってきた人物だった。
その成れの果てが、「福島第一原発事故」「福井県高浜町の贈収賄」だったことを忘れてはいけない。
そんな町で若者が誇りを持って働き、家庭を築けるだろうか……
「兆単位」の赤字が積み重なった国鉄には、確かに民営化の発想は必要だったのかもしれない。
しかし、明らかに「分割」は間違っていた。
北海道は鉄道が地域を支えていた点が多く、その廃止によってコミュニティーも崩壊して
「原野」に還ってしまった風景を見てきた。
今、札幌市内で「北海道新幹線の建設推進」を唱えるスローガンが目立つ。
しかし、残った道内の多くの駅でキオスクやお店が消えた寒々しさに言葉を失う。
いくつかの駅は移転して、近場の「道の駅」に隣接させないと鉄道駅そのものが消えかねないのもある。
なによりJR北海道は国鉄の影を引き継いだように「赤字」を積み重ねている。
まずすべきは多角的な視点でさまざまなアイディアを出して道内の在来線の活性化をはかる事で、
整備新幹線完成を急ぐことではない筈だ。
いや、むしろ赤字しか生まない整備新幹線の運営そのものから「JR北海道」が手を退くことではないだろうか。
独断を言えば、稚内・根室・オホーツク海沿岸路線は、国土防衛の観点から「再国有化」の意味があると思うが。
「戦後政治の総決算」が、「戦前回帰」に向かいかねない政治を止められるのは
私たち有権者の理性にかかっています。
次の選挙こそ、自公政権へ「No!」を突き付けなければなりません。
合掌。