つい先日、RADWINPSの新曲「洗脳」「PAPARAZZI」のMVを観た。
洗脳 RADWIMPS MV
歌詞:J-Lyric.net
http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l040267.html
PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~ RADWIMPS MV
はっきり言って、ガッカリした。
吐き気を覚えるほど不快だった。
失望するに充分な資料でしょう。
結果、彼等が関わった「天気の子」観賞と評価は棄権させてもらいます。
新海誠監督には申し訳ないけど。
作者・野田洋次郎がまるで世間を舐め切ったような冷めた視線で
「キモチワルイダロウ、ザマァミロー!」と言った感じさえしました。
“自分は10代の味方だ”と言う反面、年長者(特にメディア関係者へ)の敵意を振りかざす。
分断をあおる「ファシスト」がよくやる手段に似てますね。
万単位のオーディエンスを従えて「敵」を糾弾する、さぞかし気分が良いでしょう。
だが人は必ず歳をとる。
どこかの不況の会社が年齢一律で人を切るように、
不寛容な今の世相のままでは、あなた達が40を過ぎたら「石もて追われる」身になる事もあり得るでしょうね。
ミュージシャン心理で言えば、『ソリッドステイト・サバイバー』(1979)で大ブレイクしたYMOがミーハーを間引く意味で
ヘヴィーな『BGM』(1981)をリリースしたように、
映画「君の名は。」でとりついたミーハーを振り切る意味もあるのでしょう。
でも、「君の名は。」関連の歌でポジティブさを真正面から描いたことで『人間開花』は2枚目のデビューアルバムになった、という事を述べていただけに、
あの歌ではまた欲求不満を自分で抑える術を知らず、ナイフを振りかざして自分の弱さ醜さを誤魔化して
自己顕示欲を満たす"引き籠りのネトウヨ"みたいな元の木阿弥に返ってしまったと言ってもいいでしょう。
野田のソロプロジェクト"illion"として入れるのなら黙ってますが、
世間的にブレイクしたRADWIMPSでは、この手のはもう歌ってはいけない「禁じ手」だと僕は思います。
Amazonでの「てくてく仔犬」さんのディスクレビューに賛同できるものがある。
愛を語っていたRADが「PAPARAZZI」のような曲を出したのが残念だ。
今までも攻撃的な曲はもちろんあった。
でも同時に「その曲の中で」相反する裏の思考も含めていたはずだ、今までは。
怒りが沸いて当然の状況、その「PAPARAZZI」の曲の中で詞がどう展開されるのかと聴いてみると、
結局最後までただただ怒りっぱなし、吐き出しっぱなし。
20代前半なら許される思考だけど、もう30代でしょう。
世の中の理不尽さ、個人では抗えない社会の圧力、
歯車として生きるしかない歯痒さ、誰もが持っている醜いWIMPSの部分、そんな視点を入れて欲しかった。
むずかしい言葉は自分を守ったかい
降りまわす刃は自分を守ったかい
望みはすばしこく 何処へでも毒をまく
やがて自分の飲む水とも知らないで
(「風にならないか」 作詞:中島みゆき)
しかも、30過ぎてて“ボクチン”(事務所名)ですか?(笑)
誰ひとり子供のまま生きてはいけない
(「Sweet Little Darnin'」 作詞:浜田省吾)
大切な人が出来たり、家族がかけがえのないものとわかったら、
そんな人々を守るためには自分の身を挺してでも守ろうとする気にならないか。
それが成長なんだと思う。
「君の名は。」挿入歌で「なんでもないや」は名曲だと思ってます。
その感性をもっと育ててゆくべきじゃないのですか?
できるなら次のアルバムかシングルで、
星勝・梁邦彦・斎藤ネコあたりのプロ編曲家による弦をフューチャーした「なんでもないや(with strings ver.)」くらいのものを聴きたいものです。
------------------------------------------------------------------------------
で、そんな「成長」の歌はなにかをセレクトしました。
毎日仕事で擦り減っている親、特に父親を思いやる。
「45歳の地図」(1989、アルバム『I.B.W.』収録、現在廃盤のため入手困難)
悲しい姿を笑いで包んだ歌です。
爆風スランプ『45歳の地図』の歌詞
そして、敬愛する浜省の歌も忘れてはいけません。
浜田省吾 『I am a father (ON THE ROAD 2005-2007 My First Love)』
浜田省吾 『I am a father』の歌詞
悪魔同然の冒頭2曲と打って変わって、人に勇気を与える2曲です。
「悪魔」なら聖飢魔Ⅱ(せいきまつ)のほうがよっぽどエンターテイナーだ。
あばよ、ラッドウィンプス。
自分は「大人」として、責任もって社会で生きていく。
あなた方は悪態つき続けて、それ相応の末路を辿って下さい。
And, in the end,
the love you take is equal to the love you make.
“The End”(1969,The Beatles)
さあ、明日がある。
寝るべ。
洗脳 RADWIMPS MV
歌詞:J-Lyric.net
http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l040267.html
PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~ RADWIMPS MV
はっきり言って、ガッカリした。
吐き気を覚えるほど不快だった。
失望するに充分な資料でしょう。
結果、彼等が関わった「天気の子」観賞と評価は棄権させてもらいます。
新海誠監督には申し訳ないけど。
作者・野田洋次郎がまるで世間を舐め切ったような冷めた視線で
「キモチワルイダロウ、ザマァミロー!」と言った感じさえしました。
“自分は10代の味方だ”と言う反面、年長者(特にメディア関係者へ)の敵意を振りかざす。
分断をあおる「ファシスト」がよくやる手段に似てますね。
万単位のオーディエンスを従えて「敵」を糾弾する、さぞかし気分が良いでしょう。
だが人は必ず歳をとる。
どこかの不況の会社が年齢一律で人を切るように、
不寛容な今の世相のままでは、あなた達が40を過ぎたら「石もて追われる」身になる事もあり得るでしょうね。
ミュージシャン心理で言えば、『ソリッドステイト・サバイバー』(1979)で大ブレイクしたYMOがミーハーを間引く意味で
ヘヴィーな『BGM』(1981)をリリースしたように、
映画「君の名は。」でとりついたミーハーを振り切る意味もあるのでしょう。
でも、「君の名は。」関連の歌でポジティブさを真正面から描いたことで『人間開花』は2枚目のデビューアルバムになった、という事を述べていただけに、
あの歌ではまた欲求不満を自分で抑える術を知らず、ナイフを振りかざして自分の弱さ醜さを誤魔化して
自己顕示欲を満たす"引き籠りのネトウヨ"みたいな元の木阿弥に返ってしまったと言ってもいいでしょう。
野田のソロプロジェクト"illion"として入れるのなら黙ってますが、
世間的にブレイクしたRADWIMPSでは、この手のはもう歌ってはいけない「禁じ手」だと僕は思います。
Amazonでの「てくてく仔犬」さんのディスクレビューに賛同できるものがある。
愛を語っていたRADが「PAPARAZZI」のような曲を出したのが残念だ。
今までも攻撃的な曲はもちろんあった。
でも同時に「その曲の中で」相反する裏の思考も含めていたはずだ、今までは。
怒りが沸いて当然の状況、その「PAPARAZZI」の曲の中で詞がどう展開されるのかと聴いてみると、
結局最後までただただ怒りっぱなし、吐き出しっぱなし。
20代前半なら許される思考だけど、もう30代でしょう。
世の中の理不尽さ、個人では抗えない社会の圧力、
歯車として生きるしかない歯痒さ、誰もが持っている醜いWIMPSの部分、そんな視点を入れて欲しかった。
むずかしい言葉は自分を守ったかい
降りまわす刃は自分を守ったかい
望みはすばしこく 何処へでも毒をまく
やがて自分の飲む水とも知らないで
(「風にならないか」 作詞:中島みゆき)
しかも、30過ぎてて“ボクチン”(事務所名)ですか?(笑)
誰ひとり子供のまま生きてはいけない
(「Sweet Little Darnin'」 作詞:浜田省吾)
大切な人が出来たり、家族がかけがえのないものとわかったら、
そんな人々を守るためには自分の身を挺してでも守ろうとする気にならないか。
それが成長なんだと思う。
「君の名は。」挿入歌で「なんでもないや」は名曲だと思ってます。
その感性をもっと育ててゆくべきじゃないのですか?
できるなら次のアルバムかシングルで、
星勝・梁邦彦・斎藤ネコあたりのプロ編曲家による弦をフューチャーした「なんでもないや(with strings ver.)」くらいのものを聴きたいものです。
------------------------------------------------------------------------------
で、そんな「成長」の歌はなにかをセレクトしました。
毎日仕事で擦り減っている親、特に父親を思いやる。
「45歳の地図」(1989、アルバム『I.B.W.』収録、現在廃盤のため入手困難)
悲しい姿を笑いで包んだ歌です。
爆風スランプ『45歳の地図』の歌詞
そして、敬愛する浜省の歌も忘れてはいけません。
浜田省吾 『I am a father (ON THE ROAD 2005-2007 My First Love)』
浜田省吾 『I am a father』の歌詞
悪魔同然の冒頭2曲と打って変わって、人に勇気を与える2曲です。
「悪魔」なら聖飢魔Ⅱ(せいきまつ)のほうがよっぽどエンターテイナーだ。
あばよ、ラッドウィンプス。
自分は「大人」として、責任もって社会で生きていく。
あなた方は悪態つき続けて、それ相応の末路を辿って下さい。
And, in the end,
the love you take is equal to the love you make.
“The End”(1969,The Beatles)
さあ、明日がある。
寝るべ。