(神代植物公園のムクゲ 7月5日撮影)
本社資材部での業務は4年半ほどでした。新社員時代もご紹介したように資材部所属でしたが、ここからは2年目以降の3年半の資材部時代のお話をしたいと思います。
入社2年目、担当も金属材料の購入担当に変更になるとともに、後輩も入ってきて、何やら一人前の気分でいた時に起こったのが、「オイルショック」でした。
オイルショックは、中東の原油の高騰をきっかけに起こった世界的な経済混乱ですが、具体的に国内で起こったことは「物不足」によるインフレでした。一般的に今でもオイルショックの代名詞のように取り上げられるのは「トイレットペーパー不足」です。
まあ、トイペー不足ぐらいなら、経済混乱とは言えませんが、実際に企業レベルでもあらゆるものが高騰し、しかも入手が難しくなったのです。
私が担当する金属材料も例外ではありませんでした。しかも全社的にみても重要な資材、それが入手できなくなっては生産に大きな障害となります。しかも調達担当は本社資材部ということで、普段から赤ら顔で怒鳴りまくっていた部長の怒鳴り声がいっそう大きくなったのは当然の結果です。
「何を座っているんだ!出かけて行って物を集めて来い!」
すでに、資材不足で生産が遅れるということが起こっていて、問題になりかかっていたので当然ですが、前回もお話したように、重要な部品に加工される材料は規格が厳格で、市販のJIS規格品では利用できないのです。それと、急に新規取引といってもどこでもいいわけではないのです。
とは言え、座っていると怒鳴られるので、ともかく外出です。行くのはまずは、馴染の商社です。主要金属材料の場合、当時はメーカーとの直取引ではなく、商社経由が普通でした。
メーカー系の商社の場合はメーカーが限定されますが、複数メーカーとの取引のある商社や商社自身が倉庫をもって市販材を在庫販売している場合もあるのです。
結果的には自社の仕様と同じものを調達することは不可能なのですが、社内でも大問題になっていて、市販品を短期間でテストして使うという体制が早期に完成していたのです。
ということで、ともかく社内にはおられず、外出して物集めの毎日でした。新しい取引先も3社ほど行いました。
こういった状況は、金属材料に限定された事態ではなくあらゆる資材で起こっていました。
営業応援とか、現場応援とか、販売や生産の応援で他部署から応援するということが時々起こりましたが、この時は私のメーカー勤務時代で唯一の「資材部応援」があった時期でした。
もっとも、物不足の期間は半年程度とさほど長くなかった記憶があります。それより、他部門の応援が終わった後、慣れない調達業務の間違いの後始末が大変だった記憶があります。
そして、その後、調達が安定した時期に、前回のお話の部長によるメーカー変更事件が起こることになります。部長の一言「テストをすぐしてもらえ!」というわけです。資材不足も落ち着いてきて、今度は簡単にはテストをしてもらえない状況だのですが・・・
(オイルショック おわり)