(神代植物公園のムクゲ 7月5日撮影)
入社2年目に昇級試験がありました。今日はそのお話です。
会社経験のある方ならご存知のことですが、重役などの経営者ではない一般の社員には2つの身分があります。一つは仕事上の身分・職位(係長、課長、部長など)と給料の基準となる身分の二つです。 昇級試験は、この給料の基準となる身分を上げるための試験です。
この会社では、昇級とあるように、給料の基準となる身分が10級(最低)から1級(最高)の10段階ありました。
大学を卒業して入社すると全員7級が与えられ、2年目で全員6級に自動的に昇級しました。そして3年目の春の昇給を前に、5級昇進への試験があるのです。
会社によっては、仕事の身分・職位を上げるための昇進試験もあるようですが、私の会社ではそれはなく、昇級試験もこの6級から5級への昇給の時が唯一の試験制度でした。
試験は2つあって、一つは共通テストで、10問程度の設問に文章で答えるものです。主に、仕事への取り組み方を問われる設問になっていました。もう一つは課題論文で自分の仕事の改善策を提言するもので、論文提出後内容のプレゼンを行います。
それで、大変なのは課題論文です。適当に書いて提出すれば良いというものではないのです。唯一の昇級試験とあって、ある種部署対抗の運動会のようなもので、個人の問題では終わらず、部のメンツの問題になっていたのです。「部として不合格は許さない」というわけです。上司の厳しい添削が待っています。
最初の上司への提出は期限の1週間前でしたが、それからほぼ徹夜の毎日でした。終業時間後に上司から指摘があって、夜に寮で徹夜で書き直して翌朝提出、夕方には上司の指摘、夜書き直し、それが1週間繰り返されたのです。当然、昼間はまともに仕事が出来ません。昼寝していたのを今でもよく覚えています。
期限が来て、上司には納得いく出来ではなかったようですが、時間切れで提出となりました。
で、いよいよ試験です。まずは共通テストでした。内容は私にはほぼ問題なく答えられる設問ばかりで、あっさり終わりました。
そして、翌日が課題論文のプレゼンでした。発表はスムーズに終わりましたが、試験官の質問に答えたものの、その答えの中で何やら納得されていない雰囲気も一部で感じられました。とは言え、ともかく試験は終わりました。
試験が終わって1週間ほどで発表があったのですが、その結果で社内に激震が走ったのです。受けたのは30名でしたが、合格者8名だけだったのです。
実は、課題論文で苦労するのはいずれの部署でも同じことですが、それはある種教育の意味が大きかったのです。苦労して課題に取り組むことに意義があるという趣旨もあって、これまで、昇級試験はほとんどの人が一発合格していたのです。それが、半分も合格しなかったということで、大騒ぎになったのです。
どうやら、団塊世代の入社ということもあって、採用人数も多かった時期で、その年から試験を厳しくするという方針が事前に決められていたようです。とは言え、突然の方針変更、いつの時代も団塊世代=競争世代だったということです。
ところで、肝心の私の結果ですが、どうにか「合格」でした。
どうやら、課題論文は不合格、共通テストは1番という結果だったようで、あの怖い部長が、隣の部長さん、つまりは総務部長さんに頼み込んでくれたようです。幸い本社の同じ建屋で、隣が総務部という立地条件も幸いしたようです。
それと、本社所属というのもある種有利だったのかもしれません、本社所属の同期3人は全員合格でした、
ということで、昇級試験狂騒曲は無事終わりました。それと、翌年からはまた方針が変わって、不合格の同期も翌年には全員合格しました。
そして、同期の昇級・昇進競争もここからスタートしたのです。
(昇級試験 おわり)