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出かける気もなく、夕飯食べてテレビを見ていたけども、花火の音が聞こえると、ダメもとで、出かけて行った、もちろん、自転車。少し走ると、ベランダに出て、花火を見ている家があり、うろうろっとすると、家の間から、よく、見える。「やった!」という感じ。花火の見えたことに、まず感謝。音だけで我慢のつもりだったので、本当にうれしい、小さな遠い花火ですけれども。花火の上がって行くときの、「次は、どんなのだろう?」という期待がこころに(花火のように)上がり、(花火)開いて、そして消える。「私は野次馬か、見たがりか、アホか」だと、小さな花火に喜ぶ自分に呆れる自分がいる。家でテレビを見ている夫に電話して、「(花火)見える」と電話しても、「もう、いいわ。家にいる。」という返事。こんなに遠い花火だから、確かに、「どうでもいい」のかも。ひとり、道に立って、花火を見た。少しさみしく、少しつまらなく、でも、きれい、外に出かけてよかった。お盆が終わる。また、いつもの時間に戻る。