今、私の住む近くには、地蔵盆している町内がある。私の町内はない。そこに住んでいるので、どうすることもできないけれども、本当は、地蔵盆がないのは残念かも。私の小さなとき、私の住んでいたそばに公園があり、そこで、地蔵盆があった。配られたおやつ券をもって、おやつをもらいに行った。じぶんの名前の入った赤い提灯があるのを、何度もみた。寺の坊さんが来て、拝んでいた。紙芝居もあった。さて、何がよかったのだろう?お菓子はもらったけど、そこにいるのは、知らない大人だった。公園で、櫓が組まれ、盆踊りもあった。今思うと、地蔵盆のテントの中にいらした地蔵様は、お一人ではなく、そこらここらの地蔵様だったのだろうか。大きな範囲で、テントを立て、何人もの地蔵様たちにお出ましいただいてたような気がする。
すべてが遠く、ぼんやりとした思い出。私が小学校高学年になる前に、盆踊りはなくなった。地蔵盆のおやつは、いつまでもらいにいったのだろう?私にとって、地蔵盆は裸電球を入れ、明るく灯っていた自分の赤い提灯が誇らしく、大きな数珠を回すお婆さんたちが、御詠歌をあげていて、ちょっとした異空間だった。日の暮れたとき、公園のテントの提灯の回りだけが明るく、暗い公園へ来たドキドキ感と明かりのある安心感とが混ざった。「夕方、早く家に帰らないと、ことり(子盗り?)がくる」と言われこ公園に、地蔵盆の提灯が灯っていた。
すべてが遠く、ぼんやりとした思い出。私が小学校高学年になる前に、盆踊りはなくなった。地蔵盆のおやつは、いつまでもらいにいったのだろう?私にとって、地蔵盆は裸電球を入れ、明るく灯っていた自分の赤い提灯が誇らしく、大きな数珠を回すお婆さんたちが、御詠歌をあげていて、ちょっとした異空間だった。日の暮れたとき、公園のテントの提灯の回りだけが明るく、暗い公園へ来たドキドキ感と明かりのある安心感とが混ざった。「夕方、早く家に帰らないと、ことり(子盗り?)がくる」と言われこ公園に、地蔵盆の提灯が灯っていた。