こんにちはこんばんは今日は少しセンシティブな内容について語りたい1192296です。
内容が合わない方も居ると思いますので
注意でお願いします。
まず初めに
自分は対人恐怖症なのですが
対人恐怖のストレスが高まると
鬱状態の様になり自死について頭をよぎる落ち込みの時期みたいなのはたまにあります。
自分の病気は正確には鬱ではないので
鬱状態といって長続きするものでも一応ありません。
しかし今日ついさっき、この「落ち込み」があったのでブログに記録しておきたいと思ったのですが
この「◯にたい」と思う感情って何なんだろうって、ふと思った時に
ああ、この感情これは「絶望感」なんだなって感覚的に思いました。
問題を解決できないと思っている(思い込んでる)
絶望感が
大きくなっている
だから「◯にたい」んだなって思うんだなって思います。
◯にたい=もうこれ以上何も考えたくない
とも言えると思います。
あとは別で罪悪感の場合もあると思います。
それ以外もあるかもしれませんが、今回は割愛。
これらの対応として考えたのが↓
1問題を解決する、解釈を変えて納得する
2小さくする、別のことをして逸らす、誰かに相談する
3とりあえず時間に身を委ねる
4罪悪感は自分を許す、罪悪感は相手への思いやりの裏返しという事を知る
解説すると
問題自体を解決できれば絶望感が解消されて「〇にたい」というのが軽減されるはず
なので
問題は変えるのが難しくても自身の解釈を変えれば軽減する可能性も大
2は大きくなった絶望感を小さくすればいいので
違うことして逸(そ)らしたり、誰かに相談して解決してもらったり、まるで水たまりに水を入れて大きくするようにあまり深く追い求めて考えない、あんまり見ないようにするのがベターかもしれません
3とりあえず「◯にたい」ときは無理して考えないのも吉
4罪悪感の場合は過去の自分を振り返って自分を責める事だと思うので
実は罪悪感は相手への愛や相手への思いやりの裏返しという事を知るといいと思います。
問題や解釈は上手く解消できない時もあると思いますので
逸らす、寝てしまう、相談する、話を聞いてもらう
絶望感が小さくできるかもしれません。
もう一度絶望感の定義についてお話すると
絶望感は問題を変えたくても変えられないという気づき(思い込み)によって希望を無くしてしまうこと。
有名な本の「夜と霧」の内容で
この世の苦しみの様な絶望的なアウシュビッツ収容所での暮らしで著者は
「なぜ生きるのか問うのではなく、人生にどう生きるのか問われているのだ」
のような名言を残しましたが
問題自体の解決は難しくとも
自身の解釈で納得し絶望感を軽減させたのだと思います。
中には孤独で「〇にたい」という人も居ると思いますが
孤独という問題を解決できないと思っている(思い込んでる)
絶望感が大きくなっている。
とも言えると思います。
それも対応は同じく
解決できないなら
何かして逸らす、寝る
などして絶望感を小さくしていきましょう。
それでは今日は絶望感、自死についてのお話でした。
あくまで自分が思う範囲の事を書いてるだけですが
目に留まった人の少しでもポジティブになれば幸いです。
ありがとうございました。
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