うすい山荘は、昼のみの営業をさせて頂きます。
11時~14時迄とさせて頂きます。
うすい山荘(臼井家)の歴史を遡って行きましょう。
臼井城の歴史
永久二(1114)年、千葉常兼の子・常康が臼井に居を築き臼井氏を称した。
臼井城は印旛沼沿岸に多くの支城網を持つ、本佐倉城の千葉氏の一級支城でした。というより、
戦国末期には千葉本宗家は勢威が衰え、実質的に家老職であった原氏によって牛耳られていましたので、
臼井城が原氏ならびに千葉一族の本拠、といっても言い過ぎではないでしょう
臼井氏は、千葉一族のなかで最も古い一族で平安時代後期に千葉氏から分かれた。
すなわち、下総権介平常兼の子常康が印旛郡臼井郷の開発のために同地に赴任して、のちに臼井氏を称したことに始まったのである。
このように、臼井氏は千葉氏の有力支族である椎名氏・相馬氏・大須賀氏などよりも古い歴史を有し、
白井・匝瑳・海上氏らが勢力を衰えさせたのちも、印旛郡臼井庄の臼井城を拠点として栄えた。
臼井城は、志津城・岩戸城・師戸城などの支城を持ち、臼井氏は一族や重臣を派遣して守らせていた。
臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。
祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。
葛原親王は四品に叙して式部卿となった。
葛原親王の子は高見、孫は高望という。
高望は平氏の姓を賜り上総介となる。
高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。
國香の子は貞盛、良将の子は将門である。
良兼は上総介であり、すなわち 臼井家の元祖である。
天然車えび料理専門、
うすい山荘、臼井 博隆
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