~店主より~
創業50周年目(昭和48年~)
家内と私で車えびを使った車えびランチ・ビジネスランチ・贅沢ランチ・彩りコース・ミニフライコース・ミニ塩焼きコース・ミニフルコース・等々を開発し、お食事ができるようにうすい山荘で提供を始めました。
営業当時は知らない人がほとんどで苦労の連続でしたが、これでもかとプラス思考、後ろを振り向かない精神で営業しておりました。
今もプラス思考で、営業をしております。(2021年6月29日、現在に至る)
昭和58年9月18日日曜日の西日本新聞社(福岡)の朝刊1ページに大きく取り上げていただき、掲載されたのをきっかけに、旅行観光会社の大手JTB さま、東武トップツアーズ株式会社さまとも提携結果、たくさんのお客さまに車えびをご賞味いただけるようになり、遠方や地元のお客さまに支えられて現在に至っております。
山口県秋穂の車エビ料理を有名にしたのは母親・、店主・博隆、家内・の3名と自負しております。
今後とも山口県秋穂の車えびと私どもうすい山荘を宜しくお願い申し上げます。
うすい山荘(臼井家)の歴史を少しのぞいてみましょう。
千葉から臼井へ
千葉氏の項で説明したように、千葉氏の始まりについては様々な説があるが、一般的に租は平良文ということになっている。ところが、上記の臼井氏の由来記によれば、臼井氏(千葉氏)の元祖は良文の兄である良兼であり、良兼の孫が致頼(むねより)、致頼の孫が忠常ということになっている。良兼の妻が菅原道真の娘であったかどうかは他に資料がないが、道真公(菅公)との血統的つながりを願って後孫が作った話であろうか。しかし千葉氏の租を良兼とする説もあるから真実はわからない。その後も臼井氏が自他共に道真公との縁を意識しているのを見れば、何らかの関係があったことは事実だろう。
臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。臼井の地名は現在も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。
源頼朝と臼井氏──筑前国碓井荘を受領するまで
臼井氏は千葉介・上総介などとともに頼朝に仕えた。頼朝の挙兵時は勿論、その後の平氏追討の時も西国に転戦し、又奥州の戦にも参戦している。
臼井氏から出た占部氏の系図にも道真公の真筆が家宝として伝わっていたことが記録されている。やはり平良兼の妻が菅原道真の娘であったからだろうか。その良兼が臼井の租だという話も本当であろうか。
天然車えび料理専門
うすい山荘、臼井博隆
電話 083-984-2426