お盆を間じかに控えて是からは目が回るほど忙しくなる。13日の棚経には3ヶ寺よから子坊さんともども見えるので、お供えやらお布施やらいろいろ大変。15日は施餓鬼があり、寺詣りだ。経費も随分かかる。
先祖のためと皆は言う。私も先祖をないがしろにしょうとは思わない、しかしお寺にしても神社にしても本来の神仏信仰とはかけ離れてしまっているようだ。
神社や寺はまるで、スーパーマーケットの如くなってしまい、合格祈願とか、病気平癒、安産など書いたお守りが山と積まれている。材質により値段もちがい巫女さんなどがこれこれは幾らです。と手慣れた手つきで売り込んでいる。
寺ではまた願い事一つ何千円以上ですと申し込み用紙に記入する手配になっている。
一応わたしも難しくは考えずにどれかを申し込んだり、お札を買ったりしているが、はたして是が宗教なのかと疑問をもつ、
私の基本的な考えだが、神仏は尊ぶべきでもっと恐れ敬うべきと思う、ゆえに今の宗教のあり方を悲しむ。
神仏はわれわれが幾ら大金を積んで手を合わせても
また多くの善行を積んでも、ご利益など授けてはくれないし、数々の悪行を重ねても神仏は罰を与えないだろう。
いま日本で、世界で起こっていることを見れば明らかだ。
世界で今も罪のない何万という子供が戦争や災害、病気で亡くなっている。
日本でもついこの前も頑是ない子供が命を奪われた、
これがこの子たちの罪だろうか?
政治や宗教では人の命は救えない、救えるのは私たちひとりひとりが命を大切にし他人を愛することから始めなければならないのでは、
本来の信仰とは神仏を恐れ敬う心から生まれる。少しでも打算が入ればそれは宗教とは無縁である。
偉そうに書いたが、私は最も未熟な小さな人間である人に何かを語る立場にない、
ただ、いつも魂の純粋さを保てますようにと言い聞かせるのみで、数々の欲望の虜になることしばしばだ、、
でもいつか臨終を迎えたとき思い残すことなくそれじゃ御先にと軽いノリで旅立てたらいいとこの頃思っている。
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