昨日のコーラス練習は雨具を着てのバイク往還だった。
二年目にして初めてのことなので、如何に松山市が雨の
少ない街なのか、ご理解いただけるのではなかろうか。
途中休憩が終了した後に再び登壇したソプラノセンセが、
アメリカのワールドシリーズの話を始めた。
内容は、「高額な観戦料金についてのみ」だった。
で、「私ならとてもじゃないが・・・」と溜息交じりで言うわけ。
・・・ 健全な金銭感覚で良かったですこと ・・・
・・・ センセ、私のブログネタを呉れるねぇ ・・・
今や吾が国も、そのアメリカに近付いているのである。
ワールドシリーズじゃなくても、若い人らが大谷サ~ンを
観に行っているし、海外サッカーを観に行くではないか。
行って物価の高さに驚いても、そもそも行けていることが
お金持ちということになるだろう。
ソプラノセンセなら、渡航にすら二の足を踏むのでは。
もうちょっと踏み込んで私見を述べれば、あれらは狂った
世界である。
そもそも、ボールを蹴ったり打ったりして年俸数十億とか
数百億なのが、どう考えてもおかしい。
で、数年前にイニエスタという選手が日本の某チームに
移籍してきた際、私は次のように歌を詠んだ。
毬蹴つて年俸三十億円の狂気をテレビの
どなたも言はず ぶん
サッカー選手も数百億円を稼ぐ人が居るらしい。だけど、
三十億円でも私にとっては狂気と思える数字である。
そしたら、専門が社会思想と経済思想の斎藤幸平君が、
私と同じことをテレビで言っていたので私は喜んだ。
そうなんだよ!異常と思わないことが異常なのである。
そういう異常に引っ張られないことが肝要なのではないか。
安倍政権が広げてしまった格差を是正する必要がある。
それは絶対的貧困層を少なくするだけでいいのである。
上にだけ手厚い政策は明らかに間違いであり、でないと、
少女は暗がりで立ちんぼになり、少年は強盗に入る。
アメリカに近付くとは、実はそういうことなのだ。
脳がおカネに支配されれば、そういう人は多くなるのだ。
吾が国の戦後史を客観視すると、実は吾々はバランス
感覚に優れた考えの持ち主なのではないか、と思える。
資本主義国なのに、まるで社会主義国のような体制が
敷かれてきたではないか。
だから、実は幻想ではあるものの、「1億総中流」意識が
あったのではなかろうか。
それが崩れ始めたのが、この30年で、今や中流意識など
ぶっ飛んでしまい、金持ちと貧乏の二極化が進んだ。
それを少しだけ揺り戻す必要があるのではなかろうか。
何も、難しいことを求めているわけではないのである。