父は40歳を過ぎるまで、漁師をしていたんだけど、海がね、埋め立てで工業地帯になってから、人生が一変した。漁業補償金が入ってギラギラしてしまった。
私が10歳にもならない頃、大金を手にした我が家には不幸の嵐が舞い降りた。
度重なる母の病気、思春期真っ只中だった上の姉と兄の諍い。下の姉と私はまだ小学生で、クリスマスの夜だった。子どもたちへのケーキを届け、父は創価学会の集会に出かけて帰らなかった。
母は二度目の手術を終えたばかりで入院中。その頃の病院って、今よりうんと長く入院させてくれたんだよ。一回の入院で、二ヶ月くらいいなかったんじゃないかな。
ケーキのロウソクを消して真っ暗になった時、姉と兄が取っ組み合いの喧嘩を始めた。そりゃあすごい勢いで。
姉は兄より二つ上だったけど、中学生の弟には敵わないよね。負けて悔しくて泣き喚いた。私と下の姉は怖くってただ震えてた。捲れ上がったこたつ布団からヒーターの灯りが暗がりの部屋を照らしていた。それだけ鮮明に覚えている。
姉と兄は以前から気が合わない姉弟だったけれど。その日を境に二度と口をきかなくなったんだ。目も合わせず互いを無視して、食事も一緒に取らなくなった。
父はその頃、一攫千金を夢に見たのか、証券会社のセールストークに乗り、信用取引に手を出した。母の入院費にも充てたかったんだろうね。
毎日、株式市場の短波放送をすごい形相で、ボリューム上げて聞いていたな。怖かったよ。
その二ヶ月後、みるみる間に大金は消え、手にした補償金と同じくらいの負債を抱えた。
それが、父のそして、我が家の黒歴史の始まりだったんだ。