「柔道王国の落日」と言う8月4日付読売新聞の朝刊記事に疑問を感じた。「美しい一本に固執」とか「変則対策不足」等オリンピックでの日本柔道の不成績の原因を掲載したものであるが、本来の柔道を歪めていないだろうか。柔道はもはや相手の身体を制して一瞬の芸術とも感じられる柔術とは別の只の力任せの採点競技になってしまったのだろうか。今のままでは力士やレスラー、重量挙げ選手に柔道の選手として出場してもらった方が金を取る確率が高いのではないか。日本発祥の柔道は講道館の嘉納治五郎が「柔よく剛を制す」の精神を広く説いたものが真髄でなかったのか。それゆえ剣道、華道、茶道のように精神的なものを含めて高い道を求めて行くべきものではなかったのか。「金だ」「金だ」と大衆迎合迎合にとらわれず本来の柔道を国際社会に知らしめることが柔道王国の我が国の責任ではないだろうか。そう言う意味では現在の国際柔道の姿を作ったのは我が国の柔道界の諸先輩の責任ではないのか。審判員が自らの判定をひっくり返すような姿を見るにつけ審判員をはじめ国際柔道界に対する教育や指導、本来の柔道の有り方を伝授してこなかった姿勢が今問われており、自らの上に唾を吐いたような形になっているのではないか。柔道がオリンピックに取り入れられて歴史も浅く「礼に始まり礼に終わる」柔道の原点を取り戻すべく努力していくことが今後の柔道の発展につながるのではないだろうか。現状の国際柔道から脱退するぐらいの覚悟で望めば打開できる道はあるのではないか。(2012年8月25日付ニュース和歌山掲載)