東日本大震災&原発フィールドワークに参加しました。
企画や準備をしていただいたみなさま、一緒に参加したみなさま、どうもありがとうございました。
夏休みは始まったものの、色々な仕事が続いており、合宿が終わってからも、しばらくは仕事です。
最近すぐに疲れてしまうことが多いため、合宿に参加しても大丈夫かなぁと思いましたが、仕事のことを忘れ、
ストレスから解放されて過ごすことができました。
仲間と一緒にフィールドワークをしたり学習し考えを交流することは本当に楽しく、貴重な時間でした。
福島県の原発事故後、避難指示が解除された地域へ行くのは今回が2度目です。
かつては人が住んでいたけれど、今は人が住んでいない建物をたくさん見ました。
「帰還困難地域につき通行止め」となっているところも見ました。
以前は商店街だったというところもバスで通りました。
現地を見ることで目に見えない放射能によって何が奪われたのかを想像し感じることができました。
今回、東京電力廃炉資料館に行き、説明を聞き感じたことは、人間が管理することができないものを作ったり稼働させてはならないということです。
Sv(シーベルト)は、μSv(マイクロシーベルト)の1000万倍の単位。
燃料デブリの放射線量が7.6Svで極めて高いという話を聞きました。
燃料デブリの取り出しはすすんでおらず、ロボットを使って燃料デブリの取り出しをする方針だそうですが、その見通しは立っていません。
仮にロボットを使って燃料デブリを取り出せたとしても、それをどこに持っていって保管するのか決まっていません。
原発事故後12年経っても、880tある燃料デブリは1gも取り出せていないということでした。
増え続ける汚染水の問題、被爆労働を前提としなければ成り立たないという問題、地震や津波などの災害にあうリスク、
戦争になったら攻撃対象になりうるということなど、原発は人類の生活を脅かす危険なものです。
だから、原発の危険性、廃炉作業がいかに困難で、廃炉に向けた課題は何かということをきちんと展示してほしいと思います。
福島原発事故を受けてもなお、政府・東京電力経営陣は、リスクを過小評価し、「安全神話」の上塗りをするのはもうやめてほしいです。
地球環境や人命を軽視する原発再稼働方針は許せません。
原発廃炉資料館では、汚染水の海洋放出の危険性は伝えず安全性のみ強調していたので、違和感を感じました。
海洋放出の危険性についても知らせ、海洋放出以外の選択肢をきちんと検討すべきだと思います。
地元の反対の声をきちんと聞くべきです。
今の状況で海洋放出を強行しようとしていることに私は反対です。
とみおかアーカイブミュージアムと東日本大震災・原子力災害伝承館では、津波による被害に加えて、原発事故があったことで、
福島の人たちがどんな苦悩を強いられたのかを知ることができました。
避難の過程でバスの中で亡くなった高齢者もいたこと、放射能被害により生業が奪われ、故郷に帰れなくなったこと、
福島県内の震災関連の死者数が2337人(2023年3月31日現在)で、他県と比較して圧倒的に多いこと。
政府は、このことをどう受け止めているのでしょうか。
福島の報道が減っていますが、被災者が原発事故によって何を強いられ、どういう思いで生活しているのかという声を聞いていかなけばならないと思います。
最後に訪問したのは、請戸小学校です。
締切時間過ぎに伺ったのにかかわらず、施設を施錠したところを開錠して中に入れていただきました。
おかげで、短時間でも中に入って見ることができました。
請戸小学校は、海から300mのところにあり、校舎から海が見えました。
津波は校舎2階の床のあたりまで達したことが表示からわかりました。
校舎から約1.5km離れたところにある大平山に避難し、子どもも教員も全員無事。
頂上を通って山の向こう側にある国道6号線に辿り着いたところをちょうど通りかかった運送業者の人がトラックの荷台に乗せてくれ、避難できたそうです。
この時のことは、『請戸小学校物語 大平山をこえて』という絵本に書かれており、請戸小学校に絵本のページが紹介されていました。
ホームページでも公開されています。
2階の展示で一番心に残ったものは、3月12日早朝から予定していた行方不明者の捜索活動が、
福島第1原発事故によりできなくなったこと時のことを書いた「職員の記録」です。
「窓口で一番辛かったのが、津波被害者の親族の方の『とにかく捜索に行かせてくれ、頼むから行かせてくれ』との言葉。窓口で泣かれたのは1回や2回では無かった。」
と書いてありました。
放射能のせいで捜索活動が開始できたのは4月に入ってからでした。
夜の学習会では、私はレポートを提出しませんでしたが、他のみなさんが、各々の問題意識でレポートを報告し、それに対して、自由に意見を言い合いました。
色々な問題について一緒に学習したり話し合ったりする機会はあまりないので、学習会はとても勉強になるし、
社会問題について自由に話ができるということが、何よりも楽しかったです。
疲れ果てて新聞を取っているのに毎日読んでいない自分を反省し、夏休み中は新聞をちゃんと読もうと思いました。
<また合宿に行きたい>
企画や準備をしていただいたみなさま、一緒に参加したみなさま、どうもありがとうございました。
夏休みは始まったものの、色々な仕事が続いており、合宿が終わってからも、しばらくは仕事です。
最近すぐに疲れてしまうことが多いため、合宿に参加しても大丈夫かなぁと思いましたが、仕事のことを忘れ、
ストレスから解放されて過ごすことができました。
仲間と一緒にフィールドワークをしたり学習し考えを交流することは本当に楽しく、貴重な時間でした。
福島県の原発事故後、避難指示が解除された地域へ行くのは今回が2度目です。
かつては人が住んでいたけれど、今は人が住んでいない建物をたくさん見ました。
「帰還困難地域につき通行止め」となっているところも見ました。
以前は商店街だったというところもバスで通りました。
現地を見ることで目に見えない放射能によって何が奪われたのかを想像し感じることができました。
今回、東京電力廃炉資料館に行き、説明を聞き感じたことは、人間が管理することができないものを作ったり稼働させてはならないということです。
Sv(シーベルト)は、μSv(マイクロシーベルト)の1000万倍の単位。
燃料デブリの放射線量が7.6Svで極めて高いという話を聞きました。
燃料デブリの取り出しはすすんでおらず、ロボットを使って燃料デブリの取り出しをする方針だそうですが、その見通しは立っていません。
仮にロボットを使って燃料デブリを取り出せたとしても、それをどこに持っていって保管するのか決まっていません。
原発事故後12年経っても、880tある燃料デブリは1gも取り出せていないということでした。
増え続ける汚染水の問題、被爆労働を前提としなければ成り立たないという問題、地震や津波などの災害にあうリスク、
戦争になったら攻撃対象になりうるということなど、原発は人類の生活を脅かす危険なものです。
だから、原発の危険性、廃炉作業がいかに困難で、廃炉に向けた課題は何かということをきちんと展示してほしいと思います。
福島原発事故を受けてもなお、政府・東京電力経営陣は、リスクを過小評価し、「安全神話」の上塗りをするのはもうやめてほしいです。
地球環境や人命を軽視する原発再稼働方針は許せません。
原発廃炉資料館では、汚染水の海洋放出の危険性は伝えず安全性のみ強調していたので、違和感を感じました。
海洋放出の危険性についても知らせ、海洋放出以外の選択肢をきちんと検討すべきだと思います。
地元の反対の声をきちんと聞くべきです。
今の状況で海洋放出を強行しようとしていることに私は反対です。
とみおかアーカイブミュージアムと東日本大震災・原子力災害伝承館では、津波による被害に加えて、原発事故があったことで、
福島の人たちがどんな苦悩を強いられたのかを知ることができました。
避難の過程でバスの中で亡くなった高齢者もいたこと、放射能被害により生業が奪われ、故郷に帰れなくなったこと、
福島県内の震災関連の死者数が2337人(2023年3月31日現在)で、他県と比較して圧倒的に多いこと。
政府は、このことをどう受け止めているのでしょうか。
福島の報道が減っていますが、被災者が原発事故によって何を強いられ、どういう思いで生活しているのかという声を聞いていかなけばならないと思います。
最後に訪問したのは、請戸小学校です。
締切時間過ぎに伺ったのにかかわらず、施設を施錠したところを開錠して中に入れていただきました。
おかげで、短時間でも中に入って見ることができました。
請戸小学校は、海から300mのところにあり、校舎から海が見えました。
津波は校舎2階の床のあたりまで達したことが表示からわかりました。
校舎から約1.5km離れたところにある大平山に避難し、子どもも教員も全員無事。
頂上を通って山の向こう側にある国道6号線に辿り着いたところをちょうど通りかかった運送業者の人がトラックの荷台に乗せてくれ、避難できたそうです。
この時のことは、『請戸小学校物語 大平山をこえて』という絵本に書かれており、請戸小学校に絵本のページが紹介されていました。
ホームページでも公開されています。
2階の展示で一番心に残ったものは、3月12日早朝から予定していた行方不明者の捜索活動が、
福島第1原発事故によりできなくなったこと時のことを書いた「職員の記録」です。
「窓口で一番辛かったのが、津波被害者の親族の方の『とにかく捜索に行かせてくれ、頼むから行かせてくれ』との言葉。窓口で泣かれたのは1回や2回では無かった。」
と書いてありました。
放射能のせいで捜索活動が開始できたのは4月に入ってからでした。
夜の学習会では、私はレポートを提出しませんでしたが、他のみなさんが、各々の問題意識でレポートを報告し、それに対して、自由に意見を言い合いました。
色々な問題について一緒に学習したり話し合ったりする機会はあまりないので、学習会はとても勉強になるし、
社会問題について自由に話ができるということが、何よりも楽しかったです。
疲れ果てて新聞を取っているのに毎日読んでいない自分を反省し、夏休み中は新聞をちゃんと読もうと思いました。
<また合宿に行きたい>