昨日の天気予報では当地も雪が降るようになっていましたが、朝雨戸を開けたら雨水のたまりがあり降雪の後は全然ありませんでした。その中で今日も朝から昨日炬燵で過ごしたら座骨神経痛の痛みも柔らいたので、今日も炬燵で過ごす事にし思い出の中国旅行を私のHPから再編集しています。
旅行地 上海・蘇州・杭州の旅
実施時期 1987年5月28日~6月1日
29名で参加し、上海では2組に分かれ、市内観光と黄浦江遊覧船で長江合流点まで。私は船に乗る
5月28日
成田発中国民航924便は、初夏の上海紅橋空港へ定時着陸。上海も馴染みとなったが、大陸の土を踏んだ感慨は少しも薄れていなかった。空港では独特な中国の臭いを感じる。
上海19時30分発の列車で目的地蘇州へ。列車は広軌、ゆったりとした4人掛けのコンパートメントで、真ん中に小卓があり、女子服務員がお茶のサービス。南京行きの直快(急行)で蘇州まで86㎞、約1時間30分。午後8時30分というのに、暮れきらぬ窓外の麦畑に延々と働く農民の姿が見える。貧しさのゆえの労働で無く、開放政策による働きに見合う収入が保障された農民の労働意欲を垣間見る思いがする。さて、それとは対照的に、日本の働き蜂の一行はしばし労働を休止し、観光気分を満喫、缶ビールを満喫し、腹つなぎの弁当の不味さを嘆き、談笑したり。こちらは目下標準的な日本の観光団の様相。(天に極楽あれば、地に蘇州、杭州あり)と唄われる古都蘇州は長江下流の大湖の東に位置する。京杭大運河と大湖から流れる何本もの川が街を囲み縦横にクリークが走り、いたる所に石造りの太鼓橋が見られる水の都で、東洋のベニスともいわれる。往事の風流人のあこがれの地として知られ、官を辞しての庭園つきの邸宅を建て、蘇州美人と花月風月に囲まれて余生を送るのが昔の中国人の理想とか。今も市内に170余の名園がある。ホテルは市内随一の「蘇州飯店」
5月29日
昨夜の日中チャンポンの酔い覚ましにと付近を早朝散策。運河のホテルの家の前で若い女性の手招きに、さては街娼?中国もここまできたか、それにしてもこんな朝早くに、と逃げ腰で迂回。帰りにそっと覗けばなんとこれが「お土産や」。観光地蘇州だけに看板も日本語併記、大書して「よくいらっしょいませ」とあった。倉浪亭、留園、拙政園など清代を代表する名園を駆け足見学。拙政園は清代の小説「紅楼夢」の舞台といわれる。郊外の「虎丘」へ行く。春秋時代(紀元前500年)呉王夫差が父閤閥を埋葬した所で、正門を入り坂道の突き当たりに岩を深くうがった「剣池」がある。秦の始皇帝が呉王の墓に埋められた3千本の名剣を奪おうと掘らせたが、水が出て止まらず池になったという。剣池を迂回して上に行くと、丘の頂に「雲巖寺塔」が建っている。これは蘇州の象徴の一つ。春秋時代の建立。今では幾分傾いて、中国版「ビザの斜塔」だ。塔の下の赤色の大岩は、塔建立の秘密保持のため、工事使役の人夫たちが何千人かが完成と同時に惨殺され、人夫の血を吸った岩がそれ以後赤い色に変わったと伝えられている。唐代の詩人僧寒山が住んだという「寒山寺」は蘇州観光の目玉である。寺の前の運河にかかる江村橋の下を漁船が行き交い、詩人張継の「楓橋夜泊」の情景を再現。「月落ち鴉啼いて霜天に満つ/江楓漁火愁眠に対す/姑蘇城外寒山寺/夜半の鐘声客船に至る」。おなじみのこの詩、唐朝の官吏登用試験に落ちた張継の心境吐露であると、通訳氏の名解説。境内の鐘楼では、鐘突きの順番待ちの一同、寺の坊さんのあきれ顔もものかわ、夜半ならぬ真昼の鐘声をゴンゴンと響かせていた。寺の外のバス停には札幌市交通局のバスが停車していた。
15時15分蘇州発の列車で上海経由で杭州に20時45分着。宿は「浙江賓館」
蘇州・ホテル近くの朝の運河
蘇州・寒山寺
蘇州・虎丘斜塔
5月30日
杭州は、蘇州とともに「天に天堂、地に蘇杭」で、中国屈指の景勝地。中国政府推奨、外資獲得天下抜群。市の西側に広がる西湖は、三方を緑の連山に囲まれ、四季折々の情景は筆舌につくし難くまさにこの世の天国なり。と知られるようになったのは、唐代の白楽天、宋代の蘇東坡の両詩人が杭州の地方官に任ぜられ、多くの詩編を詠み西湖を宣伝したことによる。特に蘇東坡の「西湖を把って西子(西施)に比せんと欲すれば、淡粧、濃沫総て相宜し」の名文句で、杭州生まれの中国4大美女の一人、西施になぞられてから西湖の名が生まれ天下に広まったといわれる。白楽天、蘇東坡にちなんだ白堤、蘇堤や湖心亭、三単印月、柳浪聞鷲、平湖秋月、曲院風荷などの詩情画意に富んだ「西湖十景」が点在。また、湖畔の山々の中に、千年の古刹の霊隠寺、飛来峰摩崖石仏、六和塔などの名勝旧跡がいっぱい。ハイライトは勿論、西湖遊覧船。仕上げは霊隠寺の精進料理を堪能。
杭州・六和塔で
杭州・西湖で
5月31日
杭州発7時30分発のの列車で上海へ。11時33分着。旅の終わりは上海「黄浦江遊覧」。長江と合流点までの約30㎞を3時間余で往復する船旅である。遊覧船は予約制。呼び掛けて応じたのは一行29名中なんと7人。後はお馴染みのショッピング。上海丸ごとハウマッチで、オプションの上海旅情も、円高景気が優先する。乗船場は外灘、南京路の和平飯店の近くの船着き場。遊覧船は中国最大の双胴船「浦江号」。外人向け1等と中国人用2等に分かれ、1等は20元(約800円)お茶とお菓子のサービス付き。船内ではバンド演奏がある。毎日、朝9時と午後1時の出港である。船着き場を離れ、進行左に上海大履、ガーデンブリッジ、外灘一帯に林立するビル群を眺めながら川風に吹かれ一路北へ進む。行き交う貨物船、外国船、ジャンクの中を行く。風が強くなり、了望塔の灯台が見え、やがて視界に渺々たる大海が現れる。と思いきやなんとこれが長江の本流。船はここでUターンする。このあたりの川幅は800㍍とか。船着き場では、買い物をすませた仲間がバスの窓から迎えてくれた。最後の夜は上海雑伎でパンダの曲芸を見る。
乗船した船から上海大履を見る
長江との合流点
上海雑技 演技をするパンダ
6月1日
上海9時50分発CA926便で12時30分無事に成田着。
旅行地 上海・蘇州・杭州の旅
実施時期 1987年5月28日~6月1日
29名で参加し、上海では2組に分かれ、市内観光と黄浦江遊覧船で長江合流点まで。私は船に乗る
5月28日
成田発中国民航924便は、初夏の上海紅橋空港へ定時着陸。上海も馴染みとなったが、大陸の土を踏んだ感慨は少しも薄れていなかった。空港では独特な中国の臭いを感じる。
上海19時30分発の列車で目的地蘇州へ。列車は広軌、ゆったりとした4人掛けのコンパートメントで、真ん中に小卓があり、女子服務員がお茶のサービス。南京行きの直快(急行)で蘇州まで86㎞、約1時間30分。午後8時30分というのに、暮れきらぬ窓外の麦畑に延々と働く農民の姿が見える。貧しさのゆえの労働で無く、開放政策による働きに見合う収入が保障された農民の労働意欲を垣間見る思いがする。さて、それとは対照的に、日本の働き蜂の一行はしばし労働を休止し、観光気分を満喫、缶ビールを満喫し、腹つなぎの弁当の不味さを嘆き、談笑したり。こちらは目下標準的な日本の観光団の様相。(天に極楽あれば、地に蘇州、杭州あり)と唄われる古都蘇州は長江下流の大湖の東に位置する。京杭大運河と大湖から流れる何本もの川が街を囲み縦横にクリークが走り、いたる所に石造りの太鼓橋が見られる水の都で、東洋のベニスともいわれる。往事の風流人のあこがれの地として知られ、官を辞しての庭園つきの邸宅を建て、蘇州美人と花月風月に囲まれて余生を送るのが昔の中国人の理想とか。今も市内に170余の名園がある。ホテルは市内随一の「蘇州飯店」
5月29日
昨夜の日中チャンポンの酔い覚ましにと付近を早朝散策。運河のホテルの家の前で若い女性の手招きに、さては街娼?中国もここまできたか、それにしてもこんな朝早くに、と逃げ腰で迂回。帰りにそっと覗けばなんとこれが「お土産や」。観光地蘇州だけに看板も日本語併記、大書して「よくいらっしょいませ」とあった。倉浪亭、留園、拙政園など清代を代表する名園を駆け足見学。拙政園は清代の小説「紅楼夢」の舞台といわれる。郊外の「虎丘」へ行く。春秋時代(紀元前500年)呉王夫差が父閤閥を埋葬した所で、正門を入り坂道の突き当たりに岩を深くうがった「剣池」がある。秦の始皇帝が呉王の墓に埋められた3千本の名剣を奪おうと掘らせたが、水が出て止まらず池になったという。剣池を迂回して上に行くと、丘の頂に「雲巖寺塔」が建っている。これは蘇州の象徴の一つ。春秋時代の建立。今では幾分傾いて、中国版「ビザの斜塔」だ。塔の下の赤色の大岩は、塔建立の秘密保持のため、工事使役の人夫たちが何千人かが完成と同時に惨殺され、人夫の血を吸った岩がそれ以後赤い色に変わったと伝えられている。唐代の詩人僧寒山が住んだという「寒山寺」は蘇州観光の目玉である。寺の前の運河にかかる江村橋の下を漁船が行き交い、詩人張継の「楓橋夜泊」の情景を再現。「月落ち鴉啼いて霜天に満つ/江楓漁火愁眠に対す/姑蘇城外寒山寺/夜半の鐘声客船に至る」。おなじみのこの詩、唐朝の官吏登用試験に落ちた張継の心境吐露であると、通訳氏の名解説。境内の鐘楼では、鐘突きの順番待ちの一同、寺の坊さんのあきれ顔もものかわ、夜半ならぬ真昼の鐘声をゴンゴンと響かせていた。寺の外のバス停には札幌市交通局のバスが停車していた。
15時15分蘇州発の列車で上海経由で杭州に20時45分着。宿は「浙江賓館」
蘇州・ホテル近くの朝の運河
蘇州・寒山寺
蘇州・虎丘斜塔
5月30日
杭州は、蘇州とともに「天に天堂、地に蘇杭」で、中国屈指の景勝地。中国政府推奨、外資獲得天下抜群。市の西側に広がる西湖は、三方を緑の連山に囲まれ、四季折々の情景は筆舌につくし難くまさにこの世の天国なり。と知られるようになったのは、唐代の白楽天、宋代の蘇東坡の両詩人が杭州の地方官に任ぜられ、多くの詩編を詠み西湖を宣伝したことによる。特に蘇東坡の「西湖を把って西子(西施)に比せんと欲すれば、淡粧、濃沫総て相宜し」の名文句で、杭州生まれの中国4大美女の一人、西施になぞられてから西湖の名が生まれ天下に広まったといわれる。白楽天、蘇東坡にちなんだ白堤、蘇堤や湖心亭、三単印月、柳浪聞鷲、平湖秋月、曲院風荷などの詩情画意に富んだ「西湖十景」が点在。また、湖畔の山々の中に、千年の古刹の霊隠寺、飛来峰摩崖石仏、六和塔などの名勝旧跡がいっぱい。ハイライトは勿論、西湖遊覧船。仕上げは霊隠寺の精進料理を堪能。
杭州・六和塔で
杭州・西湖で
5月31日
杭州発7時30分発のの列車で上海へ。11時33分着。旅の終わりは上海「黄浦江遊覧」。長江と合流点までの約30㎞を3時間余で往復する船旅である。遊覧船は予約制。呼び掛けて応じたのは一行29名中なんと7人。後はお馴染みのショッピング。上海丸ごとハウマッチで、オプションの上海旅情も、円高景気が優先する。乗船場は外灘、南京路の和平飯店の近くの船着き場。遊覧船は中国最大の双胴船「浦江号」。外人向け1等と中国人用2等に分かれ、1等は20元(約800円)お茶とお菓子のサービス付き。船内ではバンド演奏がある。毎日、朝9時と午後1時の出港である。船着き場を離れ、進行左に上海大履、ガーデンブリッジ、外灘一帯に林立するビル群を眺めながら川風に吹かれ一路北へ進む。行き交う貨物船、外国船、ジャンクの中を行く。風が強くなり、了望塔の灯台が見え、やがて視界に渺々たる大海が現れる。と思いきやなんとこれが長江の本流。船はここでUターンする。このあたりの川幅は800㍍とか。船着き場では、買い物をすませた仲間がバスの窓から迎えてくれた。最後の夜は上海雑伎でパンダの曲芸を見る。
乗船した船から上海大履を見る
長江との合流点
上海雑技 演技をするパンダ
6月1日
上海9時50分発CA926便で12時30分無事に成田着。
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