地域楽集館だより

地域楽集館はみんなが楽しく集まり楽しさも集まる大人の遊び場として2003年に開設しました。そこからの情報の発信いたします

どっかーんと異常な音に出て見れば我が家の壁に車が激突

2018-04-29 10:43:40 | 日記
4月23日午後14:13分ごろ、リビングで本を読んでいた時「ドッガーン」という音がしました。地震?交通事故、何かが落下?玄関に向かうと、あれ?うちが被害そのもの。土台の一部が壊れ、飛び出しているのです。表に出て見たら見慣れた車が壁に突き刺さって居ます。

 運転していた本人は茫然自失。声をかけ、まず、コップに水を一杯差し出す。すぐ事後処理開始。まづ110番、次に保険会社への連絡。そこからレッカー車とレンタカーの手配。リフォーム会社への連絡。30分以内に続々来てくれ、この情報社会の凄さを実感しました。ここでも、やっぱり、ブレーキ、アクセルの踏み間違い。年齢に関係ないらしい。ボーとしているか、考え込みか。保険で修理することで決着はしたものの、他人事とは思えない緊張感が漂う。
 
 一番心配は彼女の立ち直り。今まで通りまた遊びに来てくれること。

自分学び自分育てはエンドレス

2018-04-22 06:30:34 | 日記
 短歌木立4月号の巻頭言の依頼を頼まれ「自分学び自分育てはエンドレス」と題して投稿いたしました。会員の方より好評をいただき、私の友人や楽集館の皆様にもご披露しています。

「地域楽集館」は皆が楽しく集まり、楽しさも集まるという趣旨で、2003年に夫と二人三脚で高齢者遊び場、学びの場としてオープンいたしました。
当時は人生80年の時代、高齢者が元気であることがそれぞれ個人だけでなく、社会的国家的ロスを少なくできるという確信がありました。
その原点は父が丁度私の年齢の頃に「お前を大学に行かせられなくて済まなかった」と涙を見せたことにありました。
 
 高校卒業後、日本交通公社(現JTB)に就職してからも経済的自立亡くして精神的自立なしと、仕事も結婚も子育てもと欲張ってきました。子供たちが自立した時に私に残された仕事は大学進学という夢の実現でした。

 幸い、宇都宮大学、一橋大学大学院と足を伸ばし、還暦を迎えるときに、学んだことを社会にどう還元するか、それが「楽集館」の設立でした。中略
2015年に最大の理解者であった夫を亡くし、その思いを短歌にしたためていたころに、新聞社の選者であり木立の主宰者、栃木県短歌会会長をして活躍しているクラスメートの出会いがありました。

、新たな目的を持って、共通縁で繋がっている人たちが、自分自身を高め、健康になってゆく姿を見ながら、学ぶことの楽しさ、ひととの触れ合いの大切さを感じています。

 この先の余命は計り知れませんが。「これでいい。これが阿久津ワールドなのだ」と一人ごちています。
 




亡き夫今日76の誕生日酒とたばこと線香手向ける

2018-04-20 07:45:53 | 日記
 4月20日は夫俊春の誕生日です。生きおれば あれもこれもと考えますが、享年73歳、これ以上年を取らず、老醜をさらけ出すこともなく、あの笑顔を残して逝ったことを良しとするほかはない。後は、私がいつも元気で暮らせることが、なによりもの供養と考えています。
「新聞のお悔やみ欄の享年を亡夫に重ねる習慣(ならい)侘しき」

花粉症って誰が名づけていつ頃から始まったのでしょうね

2018-04-11 08:22:48 | 日記
 今や国民病とまで言われている「スギ花粉症」テレビのコマーシャルや予報を見ただけでくしゃみ、目のかゆみを覚えるほど憂鬱になるようです。
先日の短歌木立の「山峡」の著者の一首に「いちじるしく杉の花粉の飛べるさま神秘の思いみつつ鎌研ぐ」という短歌がありました。あの黄色い色をだしてスギ花粉を神秘ととらえて、山仕事に精を出していた時は1979年ごろ。

 日光街道には長年杉並木も続いています。私たちも、裏山ですぎっぱを拾ってお風呂の燃料にしていました。目かゆみも鼻水も出ませんでした。
気候変動、アレルギー体質、大気汚染などあるのでしょうか。

「そだねぇ」の響きが詰まった銅メダル小さな北見に大きく凱旋

2018-04-08 07:34:29 | 日記
 「コンビニも信号もない故郷は限界集落山雨に濡れる」私のNHK短歌コンクール入選作)

このような集落が今もそのまま存在しています。それが私が生まれ育った小木須の里である。その隣村横枕の地で、88歳にして親から受け継いだ農業を生きがい、自然を友として、なお現役を貫く沢村さんが、短歌人生40年の集大成として「山峡」を出版しました。

その祝賀会を兼ねて4月7日に宇都宮で「短歌木立」の歌会が行われました。私もこの会に昨年入会し、初めての参加となりました。 前以って参加者が2首提出し、それを一覧にして好きな歌を2首無記名で選び、高得点やユーモアに満ちた短歌が表彰されるものです。38首の中から私の歌も選ばれました。1位はやっぱり沢村さん。「あと1年働けそうな思いして春まき野菜の種注文す」そしてわたくしのタイトルの短歌です。
 
短歌、俳句の会などにも、高齢社会の波は容赦なく押し寄せ、会員の介護・病気・死亡による退会。廃部など相次いでいると聞き及んでいます。通念より少ない参加者だそうですが、その年齢たるや80歳後半、一番上は92歳。(プレバトは、一種のショーでしょうが)


それでも短歌の世界に魅せられて、この道何十年というレジェンドたちは自分の生き様や自然の移ろいを詠んでいます。わたくしも73歳にして人生の余白伸びしろを見つけることができました。まさに挽歌です。私もいつの日か一冊に託したいと願っています。