鉄 時々TDR 27系統

22-Aug-09 松尾鉱山でキハ52と



1枚写真が出てきましたのでスキャンしてみました。
キハ52の模型を買ったときに初めて乗った時のことを書いています。

昭和43年夏に龍が森へ行った途中、大更から分岐していた松尾鉱山鉄道を訪問しています。
その年から客貨分離で電車が登場しています。
盛岡からのキハ52の前に阪和のモヨ100、買収後のモハ20を連結し、これでキハを牽引していきます。
あの片勾配をキハ引っ張って登れるくらい強力な電車でした。
連続26パーミリ、電化前は4110が活躍していた路線です。
なんと、端子電圧750Vで150kwの強力車。

キハは車内の電気供給用にエンジンは回していました。
なんで編成で撮ってないんでしょう。
まあ、連結して運転していたぐらいの証明にはなるかな。
で、この電車、投入後1年で休車ですから貴重な写真だと思う。

石油から高純度硫黄が安く製造され、天然硫黄が産業として成り立たなくなって松尾鉱山が倒産、閉山で旅客営業を翌年には休止してしまったためです。
数年後、弘南鉄道へ売られていったはず。

相棒の電気機関車、ED50の2両は今でも走っているのかな、秩父で。

さて、一日何列車乗り入れていたのでしょうか。
盛岡から大更まで単行で来るとも思えないから、併結してきたのかな。
記憶のかなたです。 昭和42年の時刻表を探すか。

コメント一覧

とらやん
おせっかい
http://torabox.cocolog-nifty.com/blog/
以前もこの時刻表をスキャンして送信しましたね。
ということはこの時期の活動が盛んだったということでしょう。


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「写真」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事