1枚写真が出てきましたのでスキャンしてみました。
キハ52の模型を買ったときに初めて乗った時のことを書いています。
昭和43年夏に龍が森へ行った途中、大更から分岐していた松尾鉱山鉄道を訪問しています。
その年から客貨分離で電車が登場しています。
盛岡からのキハ52の前に阪和のモヨ100、買収後のモハ20を連結し、これでキハを牽引していきます。
あの片勾配をキハ引っ張って登れるくらい強力な電車でした。
連続26パーミリ、電化前は4110が活躍していた路線です。
なんと、端子電圧750Vで150kwの強力車。
キハは車内の電気供給用にエンジンは回していました。
なんで編成で撮ってないんでしょう。
まあ、連結して運転していたぐらいの証明にはなるかな。
で、この電車、投入後1年で休車ですから貴重な写真だと思う。
石油から高純度硫黄が安く製造され、天然硫黄が産業として成り立たなくなって松尾鉱山が倒産、閉山で旅客営業を翌年には休止してしまったためです。
数年後、弘南鉄道へ売られていったはず。
相棒の電気機関車、ED50の2両は今でも走っているのかな、秩父で。
さて、一日何列車乗り入れていたのでしょうか。
盛岡から大更まで単行で来るとも思えないから、併結してきたのかな。
記憶のかなたです。 昭和42年の時刻表を探すか。
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とらやん
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