テレビを見るとアニバーサリージャーナリズムの番組ばっかり。
10年目の区切りというわけか。
自分もあらためて当時のブログを読み返す。
Facebook には転記したけれど、こちらは感想のみ。
鶴見の臨海部にあった事業所から高円寺まで帰宅するの大変でした。
でも車だったからまだよかったのかも。
帰りに同乗していた物流関係の方からガソリンが切れる…という予測がでてました。
案の定、市中在庫で2日ぐらいはもったものの補充が出来ず、街のSSは長蛇の列、しかも10L までの制限とか大変でしたねえ。 2週間ぐらいしてようやく供給が落ち着きました。
私は翌土曜日に車を満タンにして、灯油も確保しておきました。
週明けの各国のカウンターパートからのメール、全部丁寧にお返事いたしました。
その辺もブログに上げてました。
そして各国の同僚が心配したのは放射能で輸出製品が汚染されてないか、コンテナの除染は?
事業所と原発はどの程度離れているなど質問の嵐。
広報部に聞いてとも言えず、FAQ作って送りつけました。
研究所にいたころは英語を使う仕事、こっち来たら2か月間ほぼ英語しか使わない仕事に様変わりしてしまいました。