先日股関節を痛めちゃったみたいでかばって歩く状態。
そして腰をかばうのにエアシューズを履いているけれど、これが重心位置がずれたか普段使ってない筋肉を酷使。
結果、動けない...
でも運動はしないと...
三鷹のあたりに用事で。
ついでだから玉川上水に沿って歩いてみます。
長男が小学生の時、取水口の羽村から新宿御苑の中にある玉藻池まで玉川上水を歩いたことがあります。
この辺歩くのもそれ以来かも。
三鷹駅のホーム沿い右に見える木立が玉川上水です。
三鷹事件で電車が突っ込んだのはこの辺のはず。
用事は萬助橋の近くなので左側を歩く。
途中のむらさきはしの上から。
この辺、うっそうとした木々の中を玉川上水が流れます。
この橋の上流側で太宰治が愛人と入水自殺をしています。
現場とされる場所には大きな石があるのみ。
お墓は三鷹の禅林寺ですね、当時の住職の息子さんが中高の2期上にいましたけれど、今何をされているのか。
もしかしたら現住職?
このあたりの道路の生け垣はドウダンツツジ、漢字で書くと満天星なんて当て字も。
春過ぎた頃に咲き誇ります。
萬助橋に着きました。
この先は井の頭公園。 この先には遠足に来て玉川上水に流された女の子を助けようとした先生が亡くなった水難の碑が建ってます。
橋の上からの玉川上水。
ところで、こんな量の水で入水自殺できるかとか、川に流された子を助けようとして溺れるかと思いません?
実は玉川上水、3つの顔があるのです。
最初の顔は羽村の取水口から、西武拝島線玉川上水駅南の導水管入り口(小平監視所)まで。
本来の用途ですね。 元々の玉川上水は庄右衛門、清右衛門の兄弟が開削して江戸への水供給を図ったもの。
この成功で玉川という名字を名乗ることを許されています。
明治中期に新宿西口に淀橋浄水場を作り、そこへの導水路につかわれていました。
現在は羽村で多摩川から水道源水として取り込んで、小平監視所で導水管に取り入れて山口貯水池に流しています。 ここまでは結構な水量があります。
この結果、そこから下流は空堀になり、埋め立てようかなんて話も有ったとか。
20年ぐらいの放置期間の後、昭和末期に清流復活事業で高井戸まで復活させました。
これが二つ目の顔
使われている水は昭島の下水処理水。
高度処理をしていますから川の水程度までは浄化されています。
鷹の台、田無、武蔵境浄水場の横を抜け冒頭の三鷹駅横から、高井戸、東八道路と中央高速が出会うあたりまで割と一直線。
高井戸で取り込んで地下管の下水に流す。
ここから玉川上水跡は首都高の下あたりを通りますが、遊歩道だったり、公園だったり。
代田橋あたりで水がある川になりますが、これが三つ目の顔。
湧き水を流しているそう。
これが笹塚あたりでぐねぐね曲がる。
台地の上を通して川を作った後です。
水はいったん落ちると上がれませんから、落差を作らないよう迂回しています。
大回りしているのわかるかしら。
そして、幡ヶ谷の先あたりから新宿までは旧京王線跡をトレース。
地下鉄へ乗り入れる京王新線は甲州街道の下、地下化した旧線はこっちのルートです。
水は初台あたりで消えます。
玉川上水跡は新宿駅の西口でセガフレードザネッティのあたりまでは辿れますが後はわかりません。
なんか調子に乗って書いてしまいましたね。
表題を玉川上水の話にした方が良かったかねえ...