スピードの免停も過ぎて普通の生活を送ったある日、健さんが
長崎で一人暮らしの親父は如何しているのかなとつぶやいたので
心配だったら大阪に呼んでやったらと言ったら好いのか、余計な
苦労が掛かるでと言われたが半月後にお父さんが来た、健さんと
似てなくて背が高くハンサムで吃驚、健さんと分け隔てなく尽く
して来た積りだったが2か月後のある夜祐一が寝たので片付け物を
して居たら(あーちゃんこちらに来て儂と一緒に寝んかね)と
言われてエッ全身の血が凍った様な寒気が走り上着を掴んで健さんの
タクシー会社に走って行き入庫してきた健さんに話した、2人で車の
掃除をして居たら気持ちが落ち着いて来たのでその日は何も言わず
黙って次の朝に健さんが、親父女が欲しいのやったら俺に言ってくれ
何処にでも連れて行ってやるけど俺の女房にそんな事を言ったら
一緒に暮らす事は出来ない、前から住み込みで植木の手入れをする
人は無いかと聞かれていたので頼んで来るから好いなと言いそれまで
お前は実家に帰れと言われて3日目に宝塚の大邸宅に行って貰った、
今にして考えると65歳の男の人に23歳のミニスカートを目の前で
見るのは目の毒だったかも知れない、御免なさい。