嬉しい半面「たまゆら探索は、程ほどにしないと~」と少しがっがりした。
お正月に訪れた友人が「行って欲しい」と言っていた「資料館」と「寺院」は、しっかり見に行きました。
「外観がとてもいい感じだった」と言う歴史民俗資料館は、
「僕らの頃は、図書館だった。ここに通ってたんだ~」と昭和の建物。
*1929年年(昭和4年)~1958年(昭和33年)は、公立の図書館として利用*
建物の中に無料休憩スペースがあり、受付のお姉さまが「お茶でも飲んで休んでね」と言われたが、
せっかくなので、100円(JAF割80円)を払って中を見学。
塩の製造の歴史とか農具、過去の偉人。よくある民族資料館。
ここの年代表の最後が1960年塩田の全面的廃止(310年間)で終わっていたので、
竹原にとって塩の製造が一大産業。
広島藩の塩80%をまかなっていた。
製塩業とともに盛んだったのは、酒造業で、町並み保存地区にある竹鶴酒造の竹鶴政孝は、
ニッカウヰスキーの創業者。
竹原の地図を見ながら弟さんが言うには、
その昔はこの町並み保存地区のすぐ横から海だったので、(↓の地図の川から左側部分)
ここから様々なものが、荷揚げされたので賑わっていた。(多分江戸時代辺りまで)
住吉神社は、船の安全祈願をするために、港に作られたんだよ。
川沿いの「住吉神社」の隣の(たまゆら縁の)「日の丸写真館」へ向かう。
「木造で3階建ては、珍しいんだ」「そうそう、しっかりした梁が、必要だからね」と兄弟の会話。
写真店は移転して、今は中に入れないようでした。
ここから見えた一番高い所にある長生寺の普明閣に、
兄弟の後ろからソロソロとそしてパシャパシャカメラ撮影。
「こんなブログにハマってる(私が6歳若いけど)義姉は、どのように見えるのか?」と思いつつ同行。
タイ焼きを食べてちっとも動かない青年も、写ってしまったが、眺めは良く赤く塗られた足組が素敵。
小さい町並みかと思っていたが、意外と広く丹念に回れば1日がかり。
「僕らの頃は、皆泥んこの道だったよね」と言う道路も綺麗に整備され、
溝の蓋が、木を並べた感じになっているのが「とても良い工夫だな~」と思った。
「たまゆら人気」で、休日は1時間待ちの「お好み焼きほり川」にも、
10分待ちで入ることが出来ました。
広島風お好み焼きの生地に酒粕と日本酒が混ぜてあると言うオリジナルのたけはら焼きは、
柔らかな感じで美味しかった。
このお店は、古くから美味しいお好み焼き屋さんとして営業いたけれど、
アニメの「ほぼろ焼き」も再現して、店内も原作に違わないよう少し改装をしたら大繁盛。
(次回に続く)
***竹原は、「安芸の小京都」と呼ばれ江戸後期に塩田と酒造で栄えた町。
町並み保存地区は、整備を重ね2000年に「都市景観100選」に選ばれた。
が、観光客はなかなか呼び込めず、足踏み状態。
「アニメたまゆら」で、この数年休日ともなると観光客で埋まるようになったようです。
「遊んでいた道に、こんなに人が来るなんてびっくりだ」と、兄。
「理由はともあれ、地元がこんな形で潤うのは嬉しい」と、弟。
「主人の故郷の歴史、町並みを学べて満足」と、兄嫁の私。
生まれ育った松江に訪れる人が増えるように松江紹介。
日々、手編みやガーデニングを楽しんでいる。
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そらまめ
hamiママ
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