嘉永6年(1853年)、浦賀沖にペリーの黒船が来航、開国の圧力はいよいよ抑えがたくなっていく。そんな中、井伊直弼をはじめとする南紀派と、水戸藩主・徳川斉昭を筆頭とする一橋派の対立が激化。やがて、大老に就任した井伊は、尊皇攘夷を唱える斉昭らの意見を顧みることなく、独断で開国を進め、あげくは尊王攘夷派の大量粛清に乗り出す。もはや井伊の暴挙を止める手立ては暗殺以外にないと、水戸藩では関鉄之介をはじめとする17名の藩士に薩摩藩士・有村次左衛門を加えた襲撃実行部隊が組織される。
映画館 ★★★☆
歴史ドラマとして大変面白かったです。
この黒船が浦賀沖に来てから明治維新まではたった15年しかたってないんですね。この15年の間にどれだけのことが起きたか・・・ちょっと箇条書きにしてみると
1853年7月8日 黒船浦賀沖へ
1854年1月 ペリー提督率いる黒船団が開国を迫り、日米和親条約締結
1858年4月 井伊直弼大老就任
1858年6月 日米通商条約締結
1858年10月 徳川十四代将軍家茂就任
安政の大獄が行われる
1860年3月 桜田門外の変
皇女和宮降嫁(公武合体運動)
1862年1月 坂下門外の変
1862年6月 この映画の主人公関鉄之介斬首
1862年9月 生麦事件
1863年・1864年 下関戦争
1863年7月 薩英戦争
1863年8月 八月十八日の政変
1866年3月 薩長同盟
1867年1月 徳川十五代将軍慶喜就任
1867年1月 孝明天皇崩御・睦仁親王(明治天皇)が践祚
1867年11月 大政奉還 このあたりから太陽暦です(笑)
1868年1月 王政復古の大号令
1868年1月 戊辰戦争勃発
1868年10月 慶応から明治へ
とまぁ・・・この映画の始まりは1853年で、終わりは1862年なんですが、黒船が来航してから明治維新までの15年って本当に激動の時代です。どの項目もそれを主題に今までに小説化され、映画化されていますね。もちろん、「生き証人」がたくさんいたこともありますし。私が小学校2年の頃に「明治100年」なんて言われていましたが、今はもう「明治142年」なわけで(笑)
映画の話からはまた外れますが、この映画の敵役「井伊直弼」って写真がないんですね。彼によって安政の大獄で死罪となった吉田松陰も写真がありません。しかし、たとえば井伊直弼よりも先に生まれている佐久間象山などは写真が残っています。坂本龍馬も「桜田門外の変」の時にはすでに24歳です。そう思うと、写真が有るか無いかで同時代を生きてた人がまったく違う時代の人に感じるのは私だけでしょうか?(笑)井伊直弼なんて44歳で殺されてるんだもんね。
「安政の大獄」にしろ、「桜田門外の変」にしろ、その時を生きていた人たちはそれが大義だと信じ、変な言い方をすればそういう事件で亡くなった人たちの屍を踏んで明治維新はなされたわけで・・・どちらが正しいとか、誰が間違ってるとかは、本当にわからない話だと思います。井伊直弼の行った日米通称条約などの不平等条約を結ばざるを得なかった立場もメチャ良くわかりますし、それに反対し、いわゆるテロを行った水戸藩士たちの気持ちもよくわかります。
歴史に「たられば」はタブーなんですが、この黒船来航から明治維新後までのいろいろな事件で犠牲になった人たちが生きていたら・・・まったく違う世の中になっていたかもしれませんし、それこそ誰一人無駄な死に方はしなかったんだとも思います。
さて・・・この映画について(笑)
やっぱ映画の醍醐味として「桜田門外の変」は物語のラス前に持ってきて欲しかったかも。もちろんそれじゃ映画としての面白みにかけるかもしれませんが、この映画はまず「桜田門」があって、どうして水戸藩士たちはテロを行わざるを得なかったかという展開で物語は進んでいきます。
見ている方としては、忠臣蔵じゃないんだけど、「桜田門外の変」を行った「大義」をもう少し見せて欲しかったかな?って思う反面、それじゃやっぱ井伊直弼がカンペキなわるもんなので可哀想かなって気もします。
いま発売中の「新潮45」に“「桜田門外の変」烈士子孫の150年”という、記事が載っていました。この映画を観たあとにこれを読むとなかなか面白いのでおすすめです。私はこの記事を読んでから映画を見に行きましたが。
ちなみに、主人公関鉄之介の子孫は・・・息子の誠は神官となり、その息子は銀行マンとなり、その息子は三菱重工のエンジニアとなり、今現在その娘が広告代理店でウェッブデザイナーとなっているそうです(笑)
そうなんです。「桜田門外の変」はたった150年前の出来事なんですね。
私の母方の祖母が新潟で健在で95歳になろうとしていますが、150年前の話って彼女(祖母)のおじいさんおばあさんの時代の話なんですね。私にとっても5代前くらいの話なわけで、そう思うとたった150年前の話なんだなぁって(笑)
映画館 ★★★☆
歴史ドラマとして大変面白かったです。
この黒船が浦賀沖に来てから明治維新まではたった15年しかたってないんですね。この15年の間にどれだけのことが起きたか・・・ちょっと箇条書きにしてみると
1853年7月8日 黒船浦賀沖へ
1854年1月 ペリー提督率いる黒船団が開国を迫り、日米和親条約締結
1858年4月 井伊直弼大老就任
1858年6月 日米通商条約締結
1858年10月 徳川十四代将軍家茂就任
安政の大獄が行われる
1860年3月 桜田門外の変
皇女和宮降嫁(公武合体運動)
1862年1月 坂下門外の変
1862年6月 この映画の主人公関鉄之介斬首
1862年9月 生麦事件
1863年・1864年 下関戦争
1863年7月 薩英戦争
1863年8月 八月十八日の政変
1866年3月 薩長同盟
1867年1月 徳川十五代将軍慶喜就任
1867年1月 孝明天皇崩御・睦仁親王(明治天皇)が践祚
1867年11月 大政奉還 このあたりから太陽暦です(笑)
1868年1月 王政復古の大号令
1868年1月 戊辰戦争勃発
1868年10月 慶応から明治へ
とまぁ・・・この映画の始まりは1853年で、終わりは1862年なんですが、黒船が来航してから明治維新までの15年って本当に激動の時代です。どの項目もそれを主題に今までに小説化され、映画化されていますね。もちろん、「生き証人」がたくさんいたこともありますし。私が小学校2年の頃に「明治100年」なんて言われていましたが、今はもう「明治142年」なわけで(笑)
映画の話からはまた外れますが、この映画の敵役「井伊直弼」って写真がないんですね。彼によって安政の大獄で死罪となった吉田松陰も写真がありません。しかし、たとえば井伊直弼よりも先に生まれている佐久間象山などは写真が残っています。坂本龍馬も「桜田門外の変」の時にはすでに24歳です。そう思うと、写真が有るか無いかで同時代を生きてた人がまったく違う時代の人に感じるのは私だけでしょうか?(笑)井伊直弼なんて44歳で殺されてるんだもんね。
「安政の大獄」にしろ、「桜田門外の変」にしろ、その時を生きていた人たちはそれが大義だと信じ、変な言い方をすればそういう事件で亡くなった人たちの屍を踏んで明治維新はなされたわけで・・・どちらが正しいとか、誰が間違ってるとかは、本当にわからない話だと思います。井伊直弼の行った日米通称条約などの不平等条約を結ばざるを得なかった立場もメチャ良くわかりますし、それに反対し、いわゆるテロを行った水戸藩士たちの気持ちもよくわかります。
歴史に「たられば」はタブーなんですが、この黒船来航から明治維新後までのいろいろな事件で犠牲になった人たちが生きていたら・・・まったく違う世の中になっていたかもしれませんし、それこそ誰一人無駄な死に方はしなかったんだとも思います。
さて・・・この映画について(笑)
やっぱ映画の醍醐味として「桜田門外の変」は物語のラス前に持ってきて欲しかったかも。もちろんそれじゃ映画としての面白みにかけるかもしれませんが、この映画はまず「桜田門」があって、どうして水戸藩士たちはテロを行わざるを得なかったかという展開で物語は進んでいきます。
見ている方としては、忠臣蔵じゃないんだけど、「桜田門外の変」を行った「大義」をもう少し見せて欲しかったかな?って思う反面、それじゃやっぱ井伊直弼がカンペキなわるもんなので可哀想かなって気もします。
いま発売中の「新潮45」に“「桜田門外の変」烈士子孫の150年”という、記事が載っていました。この映画を観たあとにこれを読むとなかなか面白いのでおすすめです。私はこの記事を読んでから映画を見に行きましたが。
ちなみに、主人公関鉄之介の子孫は・・・息子の誠は神官となり、その息子は銀行マンとなり、その息子は三菱重工のエンジニアとなり、今現在その娘が広告代理店でウェッブデザイナーとなっているそうです(笑)
そうなんです。「桜田門外の変」はたった150年前の出来事なんですね。
私の母方の祖母が新潟で健在で95歳になろうとしていますが、150年前の話って彼女(祖母)のおじいさんおばあさんの時代の話なんですね。私にとっても5代前くらいの話なわけで、そう思うとたった150年前の話なんだなぁって(笑)
子孫の話、面白いです。
この映画って、観た人たちに丸投げな感じがしましたよ←決してけなしてる訳じゃないです。
むしろ、面白いって思っちゃいました。
歴史って、後から見て。
なにが正しいか正しくないか、って。
後から判断するところがあるから。
勝てば官軍、負ければ賊軍って感じですか。
映画を観た後、彼らの行動をどう評価するか、
彼らは何を思っていたのか。
そういった事を、どう思うか。
観客に全部お任せよ~って感じがしたんですが。
私だけかなぁ?
桜田十八烈士は明治30年代から順に贈位されて、名誉回復できたみたい。
が、しかしそれも、天皇をTOPとする明治政府の政略だった気もするね。
ただ・・・
井伊大老が通商条約を結んでなかったら、今私たちはどうなってるんだろう?って気もするし、後年の太平洋戦争もなかったかもしれないし(笑)
いや・・・ホント歴史って面白いよね。
私は基本的には今の日本がなんやかんや言うても平和で幸せなら、過去の「日本歴史上」の諸先輩たちの行動はどれひとつ間違ってないとしたいです(笑)
名誉回復、
やっぱり明治政府に、
なったからでしょうね。
この時代はほんと激動の時代。
たった150年前なんですね。
井伊直弼も、この映画の水戸藩士たちも、
国のことを一生懸命、
考えていたんですね。
明治維新って子どもの頃の強い印象で100年前って思いがちなんですが、もう明治142年も経ってるわけで。その分私たちも確実に歳を重ねてるわけで(笑)
みんなそれぞれの立場で大義を貫き通したと思います。井伊直弼が殺されてなかったら、今頃日本はどうなってたでしょうね。もしくは井伊直弼が通商条約を締結しなかったら・・・
ホント歴史って面白いです。