今号の「青春のうた」は1973年~1976年ってことで・・・
私が中学1年から高校1年までの激動の4年間です(笑)
中学の思い出は、もうこの「青春のうた」で何度も書いてきましたが、本当に中途半端な3年間だと思います。クラブも入っていなかったしね。
私が中学生になった1973年秋の第四次中東戦争から、いわゆる「オイルショック」があって、翌1974年は何もかも値上がり(消費者物価が24パーセントアップ)した1年でした。シングルレコードも500円(すぐに600円に値上がりしました)したし、LPレコードも2,500円したんだったかな。省エネのためにTVの深夜放送も自粛されたし、夜のネオンライトも自粛されていたような想い出があります。
ってことで・・・今回の6曲です
★ささやかなこの人生 1976年6月 風
今考えたら、このとき「正やん」はまだ20代半ば・・・「人生」をモチーフにしたような歌を書くのもまだ若すぎるかもしれません(笑)
風・・・すきなバンドでした。4thアルバムの「海風」まで持っています(笑)どこにいったんだろう(^^; 一番好きなアルバムは2ndの「時は流れて・・・」です。「北国列車」ではじまるあのアルバムね(笑)
★葛飾にバッタを見た 1973年8月 なぎらけんいち
この曲は「懐かしのフォーク」のような類の番組で初めて聞きました。それももう十年ほど前かもしれませんね。なぎらけんいちに関しては、代表曲「悲惨な戦い」が放送禁止ってこともあって、全然聞いたことがありませんでした。気がついたらすでに「タレント」なさってました(笑)
★あばよ 1976年10月 研ナオコ
「京都の女の子」は好きな歌でした。そこそこ売れたかな?
その後愛川欣也とのフィルムメーカーのCMや「時間ですよ」などで活躍した後に、本来の歌手でも一等賞をとることが出来ました・・・が、しかし・・・。
もちろんその後立ち直って、今現在があるんですが、最近あまり見かけなくなったなぁ・・・
で、この「あばよ」久々に研ナオコで聞きました。やっぱなかなかいいよね。
★スモーキン・ブギ 1974年12月 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
初めて試したタバコはなんでした?(笑)
私は確か・・・「チェリー」だったかも(^^;
丁度この歌が流行った頃・・・私は中学2年でしたが、すでに経験済みでした(笑)
今考えたら・・・メチャ子どもに悪影響を与える歌だよなぁ(笑)
この歌にあこがれてタバコを吸いだした人はたくさんいると思います。
しかし・・・やっぱ良い歌です。
★春うらら 1976年2月 田山雅充
なかなか色っぽい歌ですね。ちょっとよしだたくろうの「旅の宿」とかぶる気もしますが。
田山雅充は南沙織の「人恋しくて」の作曲も有名ですが、この「春うらら」もなかなかの出来だと思います。
余談ですが東宝特撮映画の至宝「モスラ」に出てくる少年の芸名が「田山雅充」なんです。本人なんでしょうか?(笑)
★酒と泪と男と女 1976年6月 河島英五
河島英五が48歳で亡くなったのは2001年・・・もう6年も経ったんですね。ってことは、この名曲が発表された時、彼はまだ23歳くらいなんです。
当時、「河島英五とホモ・サピエンス」と言うバンド名でメジャーデビューし、ソロになってからも、あちこちで突っ張ってたのを覚えています。よく公開録音などでも態度の悪い客と喧嘩していました。
一番メジャーでこれからも生き残るのはこの歌だと思いますが、「てんびんばかり」という名曲も忘れられません。
私が中学1年から高校1年までの激動の4年間です(笑)
中学の思い出は、もうこの「青春のうた」で何度も書いてきましたが、本当に中途半端な3年間だと思います。クラブも入っていなかったしね。
私が中学生になった1973年秋の第四次中東戦争から、いわゆる「オイルショック」があって、翌1974年は何もかも値上がり(消費者物価が24パーセントアップ)した1年でした。シングルレコードも500円(すぐに600円に値上がりしました)したし、LPレコードも2,500円したんだったかな。省エネのためにTVの深夜放送も自粛されたし、夜のネオンライトも自粛されていたような想い出があります。
ってことで・・・今回の6曲です
★ささやかなこの人生 1976年6月 風
今考えたら、このとき「正やん」はまだ20代半ば・・・「人生」をモチーフにしたような歌を書くのもまだ若すぎるかもしれません(笑)
風・・・すきなバンドでした。4thアルバムの「海風」まで持っています(笑)どこにいったんだろう(^^; 一番好きなアルバムは2ndの「時は流れて・・・」です。「北国列車」ではじまるあのアルバムね(笑)
★葛飾にバッタを見た 1973年8月 なぎらけんいち
この曲は「懐かしのフォーク」のような類の番組で初めて聞きました。それももう十年ほど前かもしれませんね。なぎらけんいちに関しては、代表曲「悲惨な戦い」が放送禁止ってこともあって、全然聞いたことがありませんでした。気がついたらすでに「タレント」なさってました(笑)
★あばよ 1976年10月 研ナオコ
「京都の女の子」は好きな歌でした。そこそこ売れたかな?
その後愛川欣也とのフィルムメーカーのCMや「時間ですよ」などで活躍した後に、本来の歌手でも一等賞をとることが出来ました・・・が、しかし・・・。
もちろんその後立ち直って、今現在があるんですが、最近あまり見かけなくなったなぁ・・・
で、この「あばよ」久々に研ナオコで聞きました。やっぱなかなかいいよね。
★スモーキン・ブギ 1974年12月 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
初めて試したタバコはなんでした?(笑)
私は確か・・・「チェリー」だったかも(^^;
丁度この歌が流行った頃・・・私は中学2年でしたが、すでに経験済みでした(笑)
今考えたら・・・メチャ子どもに悪影響を与える歌だよなぁ(笑)
この歌にあこがれてタバコを吸いだした人はたくさんいると思います。
しかし・・・やっぱ良い歌です。
★春うらら 1976年2月 田山雅充
なかなか色っぽい歌ですね。ちょっとよしだたくろうの「旅の宿」とかぶる気もしますが。
田山雅充は南沙織の「人恋しくて」の作曲も有名ですが、この「春うらら」もなかなかの出来だと思います。
余談ですが東宝特撮映画の至宝「モスラ」に出てくる少年の芸名が「田山雅充」なんです。本人なんでしょうか?(笑)
★酒と泪と男と女 1976年6月 河島英五
河島英五が48歳で亡くなったのは2001年・・・もう6年も経ったんですね。ってことは、この名曲が発表された時、彼はまだ23歳くらいなんです。
当時、「河島英五とホモ・サピエンス」と言うバンド名でメジャーデビューし、ソロになってからも、あちこちで突っ張ってたのを覚えています。よく公開録音などでも態度の悪い客と喧嘩していました。
一番メジャーでこれからも生き残るのはこの歌だと思いますが、「てんびんばかり」という名曲も忘れられません。
やっぱそうですか(^^;
あの少年の面影も似てるので(笑)
ってことは田山雅充さんも芸歴は50年近いってことですね(笑)
撮影で、ザ・ピーナッツに会えるのを楽しみにしてたのに、(ザ・ピーナッツの出演シーンは全部)特撮だったので、会えずじまいだったんですって(笑)。
ところで田山雅充さんは、数年前からライブ活動を再開しています。「春うらら」も聴けますよ~。
6/30(土)東京 ライブハウス「BACK IN TOWN」
TEL03-3353-4655
7/7 (土)名古屋 ライブハウス「源」
TEL052-751-2550
詳細は田山雅充さんの公式HP見てみて~
URL http://www.h3.dion.ne.jp/~bagus_y/
「葛飾にバッタをみた」は知らないかもしれないけれど、他の曲は比較的有名だと思うけどなぁ。
ささやかなこの人生、春うらら
知らないなぁ、、、
あばよと言うのも、、思い出せない、、、
てか、バッタ??全然知りません!
おいでよおいでよ、は知っています。
悲惨な戦争も、話題だけは知っています。
酒と涙と・・・
今でも歌う人、多いですよねぇ。