「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「柳沢氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍

2019-11-07 06:01:04 | 温故知新
「柳沢氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍
江戸時代の普代大名。戦国時代は甲斐武田氏に仕え、後に徳川氏の家臣となる。柳沢安忠(1602~1687)のとき、3代将軍家光の弟駿河大納言徳川忠長付となる。忠長の改易により浪人、やがて上野国舘林城主綱吉に仕えた。その子柳沢吉保は、綱吉の将軍家相続に伴って幕臣になり、側用人、老中上座、甲府城主(15万石余)にまでなり、松平姓を名乗ることを許される。子の柳沢吉里(1687~1745)のときに大和国郡山藩主となり、幕末まで存続。帝鑑間詰。明治維新後は柳沢姓に復し、伯爵を授けられた。別に吉保の四男経隆は越後黒川藩主、五男の時陸も越後国三日市藩主となって分家し(ともに1万石)幕末に至った。2家とも帝鑑間詰。維新後は子爵だった。犬将軍徳川綱吉と柳沢吉保の特別な側用人で江戸幕府の政治が行われ、生類憐みの令や功罪、混在した政治が執り行われた。


「後北条氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍

2019-11-07 05:56:08 | 温故知新
「後北条氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍
戦国時代の武家。北条早雲、伊勢宗瑞を祖として、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代にわたり相模小田原城(神奈川県小田原市)を本城として関東一円に勢力を張った。早雲は今川家の家督相続をめぐる内紛を解決し、駿河興国寺城主となり、その後、堀越公方を追って伊豆を収め、ついに小田原を奪取して相模に進出、永正13年(1516)三浦氏を滅ぼし、相模一円を手中に収めた。氏綱の代には姓を伊勢から北条に改め、鎌倉幕府執権北条氏の後継と言う政治的立場を明らかにした。早雲以下5代の北条氏を鎌倉北条氏と区別し、小田原北条氏、後北条と呼ぶ氏綱以降氏康、氏政、氏直と北条氏は領国の拡大と領国経営に努め、八王子、江戸、鉢形などの支城を築いていった。5代100年にわたり伊豆及び関東に君臨したが、天正18年(1590)秀吉の小田原攻めに敗れ滅亡した。

『戦国大名・敗将の有終』アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍

2019-11-07 05:53:32 | 温故知新
『戦国大名・敗将の有終』アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALER電書籍
飛鳥奈良時代から四〇〇年間も長期にわたって平穏な時代から、武家天下への鎌倉時代の百四十年余りを経て、再び京都の室町幕府の二百四十年から江戸時代の天下泰平の江戸時代までの間に、安土桃山時代の前に、日本史上に例を見なかった下剋上の親、主君を斬殺する逆罪・裏切り・騙し討ち・兵糧攻めと農民を含め全員を焼き殺しや日干し攻めなど一般の農民も交えた皆殺し・容赦ない卑怯な戦法がまかり通るのが戦国時代であった。華々しく天下取りの戦国武士は野山を駆け抜け、大きく時代を変えて、秩序を踏みにじって天下取りに血道を上げて京都を中心に諸国を駆け巡った。勝者と敗者の勝敗をかける明け暮れに、勝者の大名は後世にその名を残し、その雄姿を日本史上に標榜を立てた。だが、戦国大名の敗将を語られることは少ない。僅かの隙を突かれて、運悪く散った武将、敗将の要因は様々、運も家臣も天候にさえ見離されて野山に朽ち果てた武将も少なくない。ここに、勝者に焦点を合わせるのではなく、敗将にも焦点を当てる