「古事記が描く説話の憧憬」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電書籍
『古事記』は現存する日本最古の史書とされ、二十九年間の舎人・稗田阿礼らの誦習と四カ月の編纂、全三巻で構成され、和銅五年(712年)に太安万侶によって編纂された。編算に当たって「帝紀」「旧辞」(参考資料)にされて作られた。
『古事記』の趣旨内容は大きく分けて、史的記述と説話記述に分類される。中でも説話の部分の情景は想像をかきたてる。
気宇壮大で荘厳で、痛快活劇、報復と応酬、喜怒哀楽の憎愛、露骨な性描写・奇想天外な武勇伝説話の展開・天地開闢・国生み神生み・黄泉の世界・禊・天の岩戸・大蛇退治・稲葉の素兎・根之堅洲国・国譲り・天降り・熊野から大和・倭建命の英雄伝説・兄弟の王権争奪戦・父王の怨念の復讐・禁断の愛・聖帝と女性遍歴・忘れられた八十年間待った約束・また歌に詠み込まれた数々の哀愁・優雅な皇宮の暮らしの風景などなど、これらの『古事記』の数々の描かれた説話から、古代の情景が浮かび上がってくる。
時代の趨勢と運命に生き、今日と変わらない生きとし生けるものの柵に生きる、生き様を垣間見、『古事記』のが描く古代に生きた、人々の光景に憧憬を覚えるものである。
『古事記』を編纂をした太安万侶が、近年、昭和五十四年(1979)太安万侶(おおのやすまろ)の墓が発見され、昨今その墓が「太安万侶の墓」と確定された。その事によって「古事記」と「太安万侶」の編纂と実在性が明らかになって行くのである。
その後近世になって下記の国学者らによる『古事記』の研究が盛んになって行き、新たな『古事記』の再評価に繋がって行った。
荷田春満(かだのあずままろ)(1669~1736)伏見大社の神職に生まれ、徳川吉信宗に国学の学校の創設を嘆願した。
賀茂真淵(かものまぶち)(1697~1769)賀茂新宮の禰宜(ねぎ)の家に生まれ、荷田春満に入門し、田安家の和学の御用となった。
本居宣(もといのり)長(なが)(1730~1801)伊勢の商家に生まれ、医者を続けながら「記紀」を研究しながら「古事記」前四十四巻を著した。
平田(ひらた)篤(あつ)胤(たね)(1776~1843)出羽秋田藩士の子。脱藩し宣長に師事し、後に復古神道に貢献し神道の基礎を確立した。
「足利義満の群像」アマゾン電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER
室町幕府3代将軍。1368年(応安元)~1394年(応永元)在職。2代将軍足利義詮の子。母は、石清水八幡宮社務善法寺通清の女紀良子。政所執事伊勢貞継邸で誕生。1361年(康安元)12月、南軍の入京により、赤松則祐に助けられて播磨白旗城に逃れた。1367年(貞治6)12月、義詮の死によって家督を継ぎ、よく368年(応安元)4月、元服、12月に征夷大将軍に補任された。細川頼之が補佐役になって幕政政治を指導した。1378年(永和3)3月、北小路室町光明院御所跡に造営していた新邸(室町殿)が完成した。義満は二条良基・西園寺実俊らを招いて竣工の祝いの宴を開いた。新邸の庭には鴨川の水を引き入れて池を作り、近衛家庭前の糸桜をはじめ諸家愛蔵の由緒ある花木が植えられたので、世人はこの邸を花亭とか花御所などと呼んだ。室町幕府の名も、この室町殿に由来している。1379年(康暦元)南軍の軍事行動鎮圧するために、大和に出陣中の土岐頼康、斯波義将ら有力守護菅で、幕政を壟断する管領細川頼之排斥運動が顕在化した。同年4月、反頼之派の有力守護達は花の御所を包囲し義満に頼之に罷免を迫った。義満は彼らの要求を受け入れて罷免した。この事件には義満の頼之の軌範を脱却しよう義満の思惑も多分絡んでいたのであろう。義満は斯波義将を管領に任じ、春屋妙葩を南禅寺の侍従とした。大きな課題は南北統一の名目のもとに南朝政権を完全に解体することであった。大内義弘らの仲介で南北朝合一を実現した。1394年(応永元)12月17日この義持に将軍職譲り、同月に太政大臣に叙任された。1399年10月に大内義弘が挙兵した(応仁の乱)この乱が義満が西園寺家から譲り受けた北山山荘でその造営にあたって義弘が土木事業の役を拒んだことにあったといわれる。対立は貿易で巨額な利益を経済力に「日本の国王」への道を歩み始めた大内氏が許せなかった。朝廷からも将軍と認めらえ絶頂期、北山第に碁小松天皇を招いて連日のように宴を開いていた日々を過ごす義満は突如急死し、足利幕府内は後継者も決まらないまま混乱をした。
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「戦後日本の回想・S27年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
昭和27年ともなれば、日本の国体、国力も向上し国際的にもヘルシンキオリンピックにも参加し、ボクシングでは無名の白井義男の世界フライ級チャンピオンのマリオを破りチャンピオンに輝いた。国民の娯楽もボーリングが登場し、日劇ミュウジックホールが開場したり、映画の製作も壺井栄の「二十四の瞳」が話題を呼んだ。政治では与野党の対立は激しく対立し、学生運動や労働組合の活動も活発になって、ストが強行されたり、血メーデー事件も発生した。与党も自由党系と民主党系の保守党を軸に軍備拡張の機運が高まり、警察予備隊から保安隊に改組した。国際航空として羽田空港が「東京国際空港として運用して世界に向けての窓口として業務を開始した。所が発足して間もない日航が日航機もく星号が大島三原山に墜落し三十七人の犠牲者を出して衝撃を受けた。国民の娯楽の王者のラジオは受信機1000万台突破し、連続放送劇「君の名は」は劇的な人気を博し、放送時間委には、女風呂は空になったという。また早川電機が国内初の白黒テレビの生産を開始した。街にはスクターが流行し自動車も悪路を走り回るようになった。政治ではワンマン吉田総理は抜き打ち解散んで総選挙に打って出て、用意の出来なく与党乱立に攻勢をかけた。学生運動の過激化と日本独立して代わって日本の防衛の強化に「日米安全保障条約」が発行された。労組と全学連の武力衝突阻止に「破壊活動防止法」が保守政党が対抗し法制化した。