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12月10日一般質問の解説(2)静岡県独自の将来人口推計の政策への具体的な反映について

2014-01-10 | 人口減少問題とDIY主義!
 12月10日一般質問の解説を3回に分けて行ないます。ぜひ、お読み下さい。

 ※平成25年12月10日 一般質問


① 静岡県独自の将来人口推計の政策への具体的な反映について

問(鈴木) このたび県が策定した独自の将来人口推計は、あくまでも政策立案のための道具に過ぎない。推計結果を、県の様々な需要予測や計画、政策に具体的に反映させると共に、市町も使えるような詳細な推計も行なうべきではないか

答(県) 県独自の将来人口推計は現在策定中の次期基本計画の為に行なったものであり、その分析結果は、先日策定方針を公表した都市計画区域マスタープラン等の様々な計画や政策の立案に活用していく。市町の推計については現在作業を進めており、できるだけ早期に公開したい


解説: 一昨年の12月定例会における一般質問で、私は人口減少社会を前提とした取り組みの最初として、静岡県独自で将来人口推計を行なうよう主張しました。その私の提案に対し、川勝知事は、個人的な意見としながらも、独自の推計の必要性は感じており今後検討すると答弁し、その結果、昨年の10月に県は独自の将来人口推計を公表しました

 当然ながらそうした県の取り組みについては私も評価をしています。しかし、かつて総務大臣も務めた増田寛也・元岩手県知事が「右肩上がり経済、人口増を前提にした構造が一度出来上がると、絶対にそれを変えようとしないのが日本だ」と述べているように、県の様々な具体的な計画や政策においては、旧態依然の発想がまだまだ残っているように思えてなりません。独自に将来人口推計を行なったのですから、少なくとも数十年は続く人口減少を何とか食い止めないと大変だと言うよりも、将来人口推計を基にして、人口減少社会でも機能する計画や社会の仕組みを示すことの方が遥かに建設的です。そうした観点からこのような質問を致しました。

 市町の将来人口推計については、この質問から1週間後の12月17日に、早速県から公表されました。今後はこうした推計に基いた、正に現実に即した計画をしっかり立案するよう、引き続き県や市町に働きかけていきたく思います。

 お読み下さり、ありがとうございます。

人口減少・高齢化は危機なのか

2013-12-24 | 人口減少問題とDIY主義!

逆に人口増加が続いていたら…

 12月10日に一般質問を行ないました。質疑の詳細については次回ご説明致しますが、今回の大テーマも、平成24年の一般質問に引き続き「人口減少社会を前提とした取り組みについて」でした。

 私が人口減少社会や人口問題にこだわるのは、「人口減少・高齢化=危機」という思考が、現在抱えている問題を更に悪化させていると考えるからです。

 「人口減少・高齢化=危機」と考えてしまうと、その打開策として、とにかく子供を沢山産んでもらうための政策に重点を置くようになります。子供を産みやすく育てやすい環境の整備自体は私も必要だと思います。しかし、そうした政策の結果として出生率が上昇したとしても、少なくとも今後数十年間は人口減少を止めることは事実上できません。それは、国立社会保障・人口問題研究所や、この度、静岡県が公表した独自の将来人口推計を見ても明らかです。少子化(出生数の減少と出生率が人口置換水準(2.07)を下回ること)は、1974年頃から始まっている社会現象であり、その結果として出来上がっている今の人口構造を直ちに変えることは不可能なのです。

 ですから、人口減少・高齢化社会への備えとして必要なのは、人口減少や高齢化を食い止めることではなく、人口減少・高齢化社会でも持続可能な社会システムを今から構築することなのです。

 しかしながら、「人口減少・高齢化=危機」という思考が根強くあるせいか、人口減少・高齢化社会を前提とした取り組みを進めている自治体はごくわずかであると言わざるを得ません。かつて総務大臣も務めた増田寛也・元岩手県知事は、中央公論12月号の特集「壊死する地方都市」の記事の中で、「右肩上がり経済、人口増を前提にした構造が一度出来上がると、絶対にそれを変えようとしないのが日本だ」というように述べていますが、残念ながら、現時点では、国も地方も正にその通りだと思っています。

 もしも現状とは逆に、人口増加が続いていたらどうでしょうか?例えば、日本の人口が2億人を超えているような状況だったとしたら、果たして、将来が明るい幸せな社会となっていたでしょうか?人口増加に伴い国内市場も拡大しますから、経済や産業の面では良いかもしれません。しかしその一方で、今でも決して広いとは言えない家や公園、学校等は一層手狭になり、住宅地等の確保のために環境破壊や自然災害の危険性をないがしろにして森林や田畑をつぶしたり、ゴミ問題が今以上に深刻化、食料やエネルギー自給率も更に低下…等々が起きていたのではないでしょうか。また、人口増加が止まる見込みがないということで、中国のような一人っ子政策の導入も検討されていたかもしれません。

 つまり、子供を沢山産みたくても産ませない社会になっていたかもしれないということです。極端な比較かもしれませんが、そんな人口増加社会と比べれば、私は人口減少社会の方が遥かに可能性やチャンスそして希望は大きいように思いますが、如何でしょうか。


人口減少・高齢化への備えが出来ていないことが危機:早急に取り組みを!

 このまま人口減少・高齢化社会に突入すれば、年金・医療・介護等の支出は増え続ける一方、それらの保険料収入は減り続けるために、一連の社会保障制度は成り立たなくなります。行政は、保険料を引き上げたり受給額を減らしたりしていますが、そうした小手先の改革だけではいずれ行き詰ります。制度としては抜本的な改革が必要ですし、また、社会の在り方として、「高齢化社会=負担増」という考え方や仕組みを変えるべきと考えます。言い換えれば、人口減少・高齢化への備えが出来ていないことが危機だということです。

 そもそも私は「高齢化社会=負担増」と考えることは高齢者の方に大変失礼だと日頃から思っています。例えば、死ぬ直前まで元気にいられるように社会全体で心掛けるようにし、元気な高齢者には出来る範囲で働き続けてもらえるようにしていけば、病院や年金ばかりに頼らなくても良くなります。また、「俺達が若者を、社会を支えてやる!」というくらいの気概のある元気な高齢者が沢山いるような社会を築くことができれば、高齢化社会も決して暗いものにはならないはずです。

 そうした取り組みを具体化することは簡単ではないでしょうが、自分も二十数年後には立派な高齢者。今から、自分自身の問題としても捉えながら、人口減少・高齢化社会を前提とした取り組みを進めていきたいと思っています。

 お読み下さり、ありがとうございます。

将来人口推計を基に現実を直視した政策展開を!

2013-12-19 | 人口減少問題とDIY主義!
 ※平成25年12月18日静岡新聞夕刊


 静岡県は、10月に公表した県全体の将来人口推計に続き、県内市町毎の独自の将来人口推計を公表しました。これは、12月10日の私の一般質問に対する答弁の中で目下策定中と述べていたもので、昨年までの議論のことを考えると、県もやっと変わってきたかと、大変生意気ながら感じています。



※10月に公表された県全体の将来人口推計


※平成25年10月27日静岡新聞


 何故なら、少なくとも数十年は変えることが出来ない人口減少・高齢化という流れを直視するためには、まず県独自で将来人口推計を行なうべきと、昨年度所属していた企画文化観光委員会で、繰り返し主張し続けてきました。しかしながら、担当者の回答は、簡単に言えば、国立社会保障・人口問題研究所のものがあるから必要ないというばかりでした。そこで、昨年12月の一般質問でも質したところ再々答弁の中で、やっと、独自の人口推計の必要性を個人的には感じているので今後検討したいと川勝知事が自ら述べたというのが、昨年までの動きでした。

 今年になって、人口学の専門家である鬼頭宏・上智大学教授の講演会が川勝知事や県庁幹部に対して行なわれ、その後、恐らく川勝知事のリーダーシップもあり、この度の将来人口推計の策定に至りました。

 12月10日の一般質問でも述べましたが、当然ながら、将来人口推計は政策を立案する上での道具に過ぎませんので、作っただけで満足してはいけません。今後の様々な政策や計画に具体的に反映していくことが不可欠です。先日の建設委員会で確認したところ、今回の将来人口推計データの共有は県庁内ではまだ十分に出来ていないようですので、引き続き、政策への具体的な反映を促していきます。また、県が今回作成した、合計特殊出生率、社会移動率の入力により将来人口を簡易推計できるエクセルのソフトも早速入手しましたので、今後の議論の参考用に色々と計算してみたいと思っています。

 お読み下さり、ありがとうございます。

JR北海道問題:人口減少時代にあるべき「道」の姿が問われている

2013-09-27 | 人口減少問題とDIY主義!
単なる一民間企業の問題ではない

 JR北海道の杜撰な安全管理が問題となっています。「安全軽視」「現場と本社との意思疎通不足」等のJR北海道の経営体質がその背景にあるようですが、決してJR北海道という一民間企業の問題として片付けてはいけないと思います。なぜなら、杜撰な安全管理となってしまった根本要因には、やはり、鉄道という公共交通インフラを維持することの経済的な厳しさがあり、人口減少時代に突入した日本では、鉄道会社に限らず、全国の道路、橋等の維持管理においても、多かれ少なかれ、安全を確保することが難しい状況に陥りつつあるからです。

 JR北海道は、その株式を全て国が保有しているだけでなく、国鉄民営化の際に作られた「経営安定基金」の運用益で毎年赤字の補填を行なっていることから、今でも「事実上の国鉄だ」という指摘があります。本州のJR各社と比べて民営化当時から厳しい経営が予想されたことからそうした仕組みがあるわけですが、それでも、経営改善を優先するあまり、安全管理が疎かになってしまいました。当面の対策としては、管理体制の徹底的な見直しが必要です。しかし、慢性的な赤字体質そのものを変えなければ、今後も人口減少が進み更に厳しい経営環境が予想される中で、同様の問題が将来再び起きかねないと考えます。

 便利さと安全を求めるにはそれなりのコストが掛かります。JR北海道の場合は、便利さのコストを確保するために、安全のためのコストを削ってしまいました。今後、便利さと安全の両方のコストを確保するには、具体的には、運賃の値上げ、赤字路線の廃止等を行なう必要があります。あるいは、地域にとって欠かせない路線であり赤字は仕方ないということであれば、税金を投入すべきという考え方もあるでしょう。いずれも厳しい選択ですが、今回のJR北海道の問題は、どこまで負担(運賃・税金)をしてどれだけの公共交通インフラを維持すべきかという根本的な問いを、利用者、納税者に投げ掛けていると考えるべきです。


全国共通の「道」の問題

 鉄道と同じ公共交通インフラの「道」である道路や橋梁等も、全国で同様の問題を抱えています。道路の大半は無料ですから私たち利用者はあまりコスト意識を持ちませんが、言うまでもなく、税金で整備・維持されているから無料なのです。しかしこれから更に人口が減少し高齢化が進むということは、基本的に、今後も税収は減り続け、そして道路の需要も減少することになります。加えて、昨年の中央自動車道笹子トンネル事故に象徴されるように、特に高度成長期に作られた道路、トンネル、橋梁等の老朽化対策が急務となっています。

 国や自治体では、「アセットマネジメント」として、インフラの長寿命化を進め、コストの削減や平準化に努めています。しかし、その効果にも当然ながら限度があります。人口減少が進む中で、数は減ったとはいえ今後も新規の道路整備を進める必要があるのなら、その分以上に、「ダウンサイジング」もしくは「スマートシュリンク」、つまり、通行量の減った道路の車線を少なくしたり道路そのものを閉鎖・廃止するという選択もしていかなければ、正に、JR北海道の線路がそうであったように、予算が足りず既存の道路や橋がボロボロで安全に通れないということにもなりかねません。

 「道」はあればあるだけ便利でしょう。しかし、安全性が確保されていなければ、最悪の場合に事故が起きるだけでなく、日常的にも快適に通れずかえって不便ということにもなります。乱暴な選択ですが、100本のボロボロの道路と50本のしっかり維持・舗装された道路のどちらが良いかと問われれば、私は躊躇なく50本の道路を選びます。皆さんは如何でしょうか。

 人口減少・高齢化が続く将来にわたって私たちが負担できるコストはどれ位か、そのコストの中で安全に維持できる、あるいは維持すべき必要な「道」はどれなのか、全国共通の問題として問われています。JR北海道問題もその一端としてとらえ、根本的な解決法を見つけるべきと考えます。

 お読み下さり、ありがとうございます。

  

  





参院選で問うべき人口減少・少子化問題:「出生率至上主義」から脱却しよう!

2013-07-16 | 人口減少問題とDIY主義!
 人口減少・少子化問題については、これまでにも何度も述べてきました。その主旨は、

 出生率の上下ばかりに注目した「出生率至上主義」とも言うべき議論は、「出生率が上昇すれば(具体的には、人口置換水準である2.07を上回れば)人口の減少は止まり増加に転じる」という誤解を生じさせ易いものである。
 
 出生数の増減は、当然ながら、出生率の上下だけでなく出産適齢期世代の人口の増減にも左右されるものである。40年ほど前から始まった出生率の低下と、その結果として20数年前から始まった出産適齢期世代人口の減少(そして急速に進む高齢者人口の増加)という長期的・構造的な変化を考えれば、出生率が大幅に上昇しても(たとえ直ちに2.07を上回ったとしても)、少なくとも今後数十年間は人口減少が確実に進む。したがって、人口減少を前提とした政策や対応を早急に考え実行しなければならない


というものです。
 
 人口減少・少子化問題は、これからの国や地域のあり方に直接関わる問題であり、現在公示されている参院選においても、重要な争点としてしっかり議論すべきものです。しかし、昨日(7月15日)の朝日新聞でも採り上げられていますように、各党とも、抜本的な対策を打ち出せてはいないようです。

 なぜでしょうか?各党の政策をそれぞれ検証したわけではありませんが、共通する大きな理由として、「少子化対策=人口減少対策=出生率対策」という、正に前述した「出生率至上主義」に各政党の担当者が囚われてしまっていることがあるように思えてなりません。また、政党だけでなく、多くのマスコミの担当者も「出生率至上主義」から脱却できていないところに問題の根深さがあるように思います。

 例えば、朝日新聞を例に上げれば(※他の新聞も同様のようですが、一例として採り上げます)、今年の6月5日に厚生労働省が公表した平成24年の人口動態統計の概況について翌日に報じた記事の中で、「合計特殊出生率」について、「人口が維持できる水準とされる2.07と比べることで、人口が長期的に増えるか減るかを見る目安になる」と説明しています。また、同日の別面の記事では「人口規模を維持するのに必要とされる2.07を大きく下回り、このままでは人口が減り続けることは避けられない」と述べています。
 


※平成25年6月6日朝日新聞記事(1面)※赤線は筆者


※同(3面)

 この説明箇所は明らかに間違い、もしくは誤解を招く記述です。なぜなら、冒頭述べましたように、直ちに出生率が2.07を上回ったとしても、減少幅が少し緩やかになるだけで、当面、人口減少は止まらないからです。そのため、2.07と比較しても人口の増減を見る目安にはほとんどなりませんし、出生率の上下に関わらず、少なくとも数十年間は人口が減り続けるというのが事実上の「規定路線」なのです。

 前述の昨日の朝日新聞記事にも出生率のグラフが掲載されていますが、出生率ばかりに注目するために、このような誤解が生じてしまいます。大きく2つ理由があると思います。

 一つ目は、出生率を算出する際の分母である出産適齢期世代の人口の推移を見落としてしまうことです。言うまでも無く、出生率が上がったとしても、出産適齢期世代の人口が大幅に減れば、出生数はなかなか増えません。

 理由の二つ目は、人口を維持できる水準、つまり人口置換水準が指す「人口」とは、あくまでも出産適齢期世代の人口です。ですから、出生率が2.07となったとしても、より人口が多い高齢者の世代を維持するには十分な水準ではないのです。

 前述の6月5日に厚生労働省が公表した資料によれば、15歳から49歳の女性人口は最多で平成元年に約3118万人だったのが、平成24年には約2614万人と5百万人以上減っているのです。今後も暫くはそうした出産適齢期世代が減少する一方、高齢者は更に増加するのですから、出生率が多少上昇したとしても、人口増に転じさせることは当面不可能なのです。


※厚生労働省「平成24年人口動態統計月報年計(概数)の概況」51ページ

 ですから、「出生率至上主義」、つまり、「少子化対策=人口減少対策=出生率対策」という考え方に囚われた昨今の対策が大きな効果を上げるはずも無く、故に、今回の参院選でも抜本的な対策や提案が示されていないことにつながっているのだと思います。

 従って、まずは「出生率至上主義」から脱却し、当面は人口減少が続くという現実を、今後の政策を考える上での大前提として受け入れることが不可欠なのです。

 実は、民主党政権では、そうした方向で政策を打ち出そうとしていました。例えば、国土交通省の国土審議会政策部会の中に長期展望委員会が設けられ、平成23年2月22日には「「国土の長期展望」中間取りまとめ」を作成しました。


※国土交通省政策部会長期展望委員会「「国土の長期展望」中間取りまとめ」より抜粋

 「中間取りまとめ」は、少子化対策の優等生であるフランスが出生率を回復させたのと同じペースでこれから出生率を回復させたとしても、2100年頃の人口は今から4千万人減の約88百万人になるという推計を行なうなど、これまでにない取り組みでした。しかしながら、その翌月に東日本大震災が発生したことが大きく影響し、更に議論が深まることはありませんでした。

 参院選も残り僅かです。今こそ、「出生率至上主義」から脱却し「人口減少社会」を大前提とした政策を打ち出すべきですし、そうした政策に取り組んでいく政党を、私達は支持すべきだと考えます。

 お読み下さり、ありがとうございます。

人口問題:「どうなるか」ではなく「どうしたいか」が問われている-鬼頭教授の講演

2013-02-26 | 人口減少問題とDIY主義!
 昨日(2月25日)、昨年の私の一般質問に対し知事が言及していた鬼頭宏教授の講演会が県庁にて開催され、川勝知事を始めとする県庁の幹部と共に聴講させて頂きました。


※講演する鬼頭教授。演題は「人口史から見る日本の未来」

 既に鬼頭教授の著書等を読んでいた私にとってはやや復習的な内容ではありましたが、本で読むのと実際に直接聞くのでは、言葉の重みが違いました。また、日頃は様々な業務で多忙な県庁幹部の方が一同に会し、鬼頭教授の平易ながら説得力あるご講演を聞くという今回の機会は、今後の県の政策に大きな意味を持つだろうと思えるような大変貴重なものでした。


※鬼頭教授講演資料より「人口減少社会の課題」。私が先の一般質問で強調した(つもりな)のは資料右下の「計画的な撤退、コンパクト・シティー、広域地方計画」の必要性の部分です。


※同「日本の少子化:構造的な課題」


※同「21世紀の課題」

 今回の講演で最も印象的だったのは、人口問題で問われているのは「どうなるか」ではなく「どうしたいか」だという指摘です。つまり、国立社会保障・人口問題研究所等の将来人口推計は、あくまでも、このままいけば(言い換えれば、特に何もしなければ)何年後にはこうなるだろうというものです。それに対し、今から考えなければならないのは、そうした予測に対して「どうしたいか」です。例えば、50年後、100年後の推計人口が日本あるいは地域にとって望ましい人口であれば、その後は人口が安定する(つまり、増えたり減ったりしない静止人口になる)のに必要な分の出生率の上昇を今から目指して努力すればいいわけです。もしも50年後、100年後の推計人口が余りにも少なすぎるということであれば、更なる出生率の上昇等のため、様々な取り組みが必要になるということです。

 ここで考えなければならないのは、果たしてどれくらいの人口が望ましいかという点です。鬼頭教授によれば、かつては経済学者等の間で適正人口について議論があったが結論は出なかったということでした。環境負荷、エネルギーや食料、水等の供給量の限界から維持できる人口の上限というものは数値として計算できるのかもしれませんが、それはあくまでも上限であって適正人口ではありません。適正人口については様々な考え方があるでしょう。今ぐらいが丁度いいという方もいれば、高度成長期以前ぐらいがいいという方もいるでしょう。

 つまり、すぐには解答がでないのが適正人口ですが、だからこそ、政治家や行政が望ましい将来像を示し、それを元に今から広く議論を行なうことが不可欠だと思います。何故なら、そうした具体像が無ければ、行政はどこまで国民あるいは県民に対してサービスを提供すべきか客観的に判断できないことになるからです。例えば、道路等のインフラは一度作れば少なくとも数十年は使い続けるわけですから、将来の人口について何も考えずに作り続ければ、いずれは無駄なインフラばかりが存在することになってしまいます。

 現在の静岡県は総合計画の中で、平成32年ごろまでに出生率2.0の実現を目指すとしていますが、2.0が実現すると人口はどうなるのかという推計や将来像を県は示せていませんし、そもそも、2.0の実現が極めて困難であることは、先の一般質問で指摘した通りです。今回の講演を機に、県でも将来人口推計や対策について具体的な議論が始まることを期待すると共に、引き続き私なりにもあるべき将来像を考えていきたく思います。

 お読み下さり、ありがとうございます。


★追記(2月28日)

鬼頭教授のお話にご関心のある方には、以下の本をおススメします。

2100年、人口3分の1の日本 (メディアファクトリー新書)
クリエーター情報なし
メディアファクトリー

50年後、100年後の「あるべき静岡」を今から考えましょう!

2013-02-12 | 人口減少問題とDIY主義!
 またまた将来の人口について語りたく存じます。

 2月の下旬に県がお話を伺うことになっている鬼頭宏・上智大学教授の記事が先月掲載されました。


※読売新聞記事(平成25年1月21日)

 全く同感の鬼頭教授の主張に、今度お会いできることがますます楽しみになりました。

 この記事では鬼頭教授の主張のポイントが「出生率にこそ数値目標」を設定すべきという点におかれているがごとくのタイトルが踊っていますが、これは誤解を招くものだと思います。確かに記事の中で、政府は出生率の引き上げ目標を数値として示すべきということを鬼頭教授は言われています。しかし、その後に「人口に基づく日本という国家」「日本社会の持続可能性」「どんな社会を望むか」について想像力を働かせて議論すべきとも主張しています。つまり、50年後、100年後といった将来の日本がこのままいけば(例えば国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計(中位推計)のように人口減少等が続けば)どうなるのか、それに対して、どのような姿が将来の日本として望ましいのか、そして現在予想される姿を望ましい姿に近づけるにはどうすればよいのか(人口問題について言えば、出生率をいつまでにどの程度引き上げていくべきか)ということをしっかり議論すべきと鬼頭教授はおっしゃっていると私は理解します。将来像もないままに「出生率にこそ数値目標」と言うだけでは、「人口減少は深刻な問題だ」→「何とか食い止めよう」→「とにかく出生率を引き上げよう」という単純な発想につながりかねず、それでは正に場当たり的な政策になってしまいます。私が昨年12月の県議会で出生率2を目指す意義について敢えて問い質したのも、正にそうした理由からでした。

 50年後、100年後のあるべき姿を示し、その実現に必要な意見調整や政策立案は、正に政治の役割だと思います。私も、50年後、100年後の「あるべき静岡」を自分なりに考えている途上です。ぜひ皆様のご意見もお聞かせ下さい。


※鬼頭教授の記事を読んで「なるほど」と思われた方は、ぜひ鬼頭教授の著書『2100年、人口3分の1の日本』 (メディアファクトリー新書)もご覧下さい。

 
 お読み下さり、ありがとうございます。


12月18日一般質問の解説②

2013-01-12 | 人口減少問題とDIY主義!
 12月18日一般質問の解説です。ぜひ、お読み下さい。

合計特殊出生率2.0を目指す意義と人口減少社会を直視した取り組みについて

問(鈴木) 平成32年ごろまでに出生率2.0を実現することは不可能に近く、実現できたとしても人口減が止まるわけではないが、目指す意義は何か。大阪府の『人口減少社会白書』のように、人口減少を前提とした取り組みを進めるべきではないか。

答(県) 合計特殊出生率2の実現が難しいことは事実だが、「出生率2」の目標は特に若い世代の「2~3人の子どもが欲しい」という希望に応えるべく少子化対策に取り組む県の強い姿勢を示したもの。近々、人口史の専門家からヒアリングするなどして、必要な対策を講じていきたい。

解説: 県では平成23年2月に公表した総合計画で「平成22年度から概ね10年間」の間に「合計特殊出生率2.0」の達成を目指すとしています。しかし、平成23年の静岡県の出生率は1.49です。これを10年間で2にするには、12年間で出生率を1.66から2.0にまで上昇させた、少子化対策の優等生であるフランスの倍近いペースで上げることが必要です。

 また、国土交通省国土審議会長期展望委員会が東日本大震災発生前の平成23年2月21日に公表した『「国土の長期展望」中間とりまとめ』の中でも示されているように(※図①)、人口置換水準(人口が増加も減少もしない均衡した状態となる合計特殊出生率の水準。あくまでも子どもを産む世代の人口が均衡する水準)である2.07にまで出生率が上昇したとしても、当面、人口は減少し続けます。そのため、「わが国では人口の長期的な減少を決定的な事態と捉えなければならない」(国立社会保障・人口問題研究所)のです。


※図① 国土交通省国土審議会政策部会長期展望委員会『「国土の長期展望」中間とりまとめ』資料より

 子どもを産みたい方々が安心して産み育てられる環境を整えることは当然ながら必要です。しかし「出生率2」の実現ばかりを目標に掲げることは、出生率が上がれば人口減少は止まるという誤った印象を与えかねませんので、敢えてその意義を質しました。

 一方、人口減少・高齢化社会の到来を前向きに捉え、今からその対策と準備を行なうことでピンチをチャンスに変えていこうという取り組みを積極的に進めているのが、大阪府です。昨年の3月には、「オール大阪」で認識を共有しようと、全国初の試みである『大阪府人口減少社会白書』を作成しました。以前から独自に行なっている大阪府人口の将来推計を基に大阪府の長期的な構造変化を示しながら、変革や持続的発展を実現するにはどうすべきか問いかける内容になっています。


大阪府のホームページからダウンロードできます

 人口減少が決定的である以上、人口減少社会の到来を前提とした改革や政策実行の必要性は自明であるはずですが、これまでの常任委員会での私の問いかけに対し、当局は必ずしも明快な答弁をしてきませんでした。しかし、今回の一般質問では、川勝知事が自ら、近日中に歴史人口学の専門家である鬼頭宏・上智大学経済学部教授からヒアリングを行なうなどして独自の推計の策定等、必要な対策の検討や実行を進めていくという主旨の答弁をされましたので、人口減少社会に向けた取り組みが加速されるよう、今後も積極的に関与していきたく思います。

 お読み下さり、ありがとうございます。

今こそ人口減少を前提とした政策を!

2013-01-06 | 人口減少問題とDIY主義!
 元日に配達された分厚い朝刊各紙に「人口自然減、過去最多の21万2千人」という内容の記事が掲載されましたが、読まれましたか?2012年の1年間の推計出生数は103万3千人、同じく推計死亡数は124万5千人であることから差し引きで過去最多の21万2千人の自然減になる見込みであると厚生労働省が発表した、というものです。


※厚労省のプレスリリース

 21万人2千人とは、駿河区の人口にほぼ相当する数字です。2011年では20万2260人(確定数)の自然減となっていますので、この2年間で駿河区2つ分に近い41万人を超える人口が自然減少したことになります。


※1947~2012年の自然増減数推移(厚労省資料)

 この数字はあくまでも日本国内における日本人に限ったものですので、在日外国人や社会増減(出入国者の差し引き等)も含めた人口の動態とは異なります。しかしながら、昨年1月に国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が公表した「日本の将来人口推計」では「2012年は21万4千人の自然減となる」と推計していましたので、日本の人口は、社人研の推計通りに減少していることになります。社人研は、2018年には51万3千人の自然減、2023年には70万3千人の自然減になると推計しており、これから加速度的に人口減少が進む可能性が高いと考えられます。


※2011~60年の出生、死亡および自然増加数の推計(社人研資料)

 国や地方自治体ではこうした人口減少を食い止めようと、より子供を産みやすく育てやすい環境を作るべく長年努力していますが、それが功を奏したとしても、人口減少の流れが緩やかになるだけで、直ちに人口減を止める事は事実上不可能です。何故なら、出産適齢期の世代の人口がここ数十年間で大幅に減っており、今後も引き続き減少するからです。元日の報道によれば、2012年の合計特殊出生率(女性1人が一生に産む子供の平均数)は前年と同様の1.39程度と厚生労働省は推計しています。その出生率が今後上昇しても、子供を産む世代の人口が少ないため、出生数が死亡数を上回ることは当面は考えられないのです。

 人口減少の潮流は静岡県でも同様です。ですから、これまでの人口増加を前提としてきた考え方や仕組みを改め、今こそ、人口減少社会に備えた政策を静岡県は進めるべきと考え、昨年12月の県議会本会議で問題提起と提案を致しました。

 私達の子供や孫、そして更に先の世代に素晴らしい静岡県を残していくには、既成概念に囚われず、今から大胆に行動していかなければならないと、様々な厳しい現状に触れる度に痛感します。もちろん、私一人で出来ることは本当に限られています。将来の世代のために、是非とも一人でも多くの方々のご理解とご協力を賜りたく存じます。

 旧年中も様々なご縁に恵まれました。本年も引き続きお付き合い下さいます様、切にお願い申し上げます。

 お読み下さり、ありがとうございます。

 

 

いつになったら人口減少社会の現実や将来を直視するのか-12月18日一般質問

2012-12-24 | 人口減少問題とDIY主義!
 12月18日の一般質問は県議会議員となってから2回目となるものでした。「人口減少・高齢化社会の到来を直視した将来構想と施策策定の必要性」という大きなテーマを掲げて質問しただけに、県当局側も前向きな回答がしにくい質問だろうとは当初から予想はしていましたが、実際の答弁はそれ以上に、私から言わせれば後ろ向き、あるいは誤魔化したものでした。事前に再質問の内容も考えてありましたが、最初の答弁を聞いた時は、想定外の内容に次に何を聞くべきか一瞬戸惑ってしまいました。

 それでも何とか自分なりに再質問、再々質問したところ、最後になって知事から、「県独自の将来人口推計の必要性は感じており、近々、人口史の権威である鬼頭宏先生を招いて見識を伺い対策を講じたい」という発言があったのは大きな収穫でした。早速、二日後の企画文化観光委員会でこの知事の答弁の内容を確認したところ、今年度内に鬼頭先生からヒアリングを行なうとのことでしたので、是非ともそのヒアリングには私も同席させて頂きながら、そのヒアリングをきっかけに県が人口減少社会を直視するようになるよう、自分なりに引き続き活動していきたいと考える次第です。


※12月19日静岡新聞記事

 質問と答弁の詳細については後日解説致しますが、お時間があれば、ぜひとも私の一般質問録画中継をお聞き頂き、ご意見等を賜れば幸いに存じます。

 お読み下さり、ありがとうございます。

人口減少社会を直視し、ピンチをチャンスに!

2012-11-23 | 人口減少問題とDIY主義!
 今年の1月、国立社会保障・人口問題研究所は、日本の人口は、2040年には現在の人口から約2千万人減の1億728万人、2060年には約4千万人減の8674万人になると見込まれるという将来推計を発表しました。人口が大幅に減少し、加えて高齢化が進むことは、一般的には大変否定的に受け止められています。税収が減る一方で医療や介護、年金等のための社会保障費が増える、あるいは、子供や若者が減れば社会の活気が益々なくなる等の事態が予想されるため、何とかそうした状況を防ごうと、国や自治体では、様々な少子化対策や、移住・定住促進策を講じています。

 しかし、少子化や人口減少の問題は、ここ最近始まったばかりのものではありません。既に1974年頃から、合計特殊出生率は人口維持に必要とされる2.07を下回り、その後も下がり続けてきました。それでも最近まで人口が減少しなかったのは、高齢者人口が現在ほど多くなく、また寿命が延び続けていたからです。最近では寿命の延びも小さくなり、また団塊の世代が高齢者(65歳以上)の仲間入りをする一方、出生率が低いことに加え、そもそも出産適齢期の女性の絶対数が以前より大幅に減っています。そのため現在は「少産多死」の時代となっており、そうした構造の変化は少なくとも40年以上掛かって生じたものなのです。ですから、人口減少や高齢化を食い止めるために「多産少死」あるいは「中産中死」の人口構造に変えるには、やはり数十年の時が必要であり、出生率がそれなりに上がったとしても人口減少の流れは当面は変わらないのです。





※伊藤元重氏の論文(2012年9月29日 静岡新聞)


 9月29日の静岡新聞に掲載された伊藤元重・東大教授の論文は、そうした現実を踏まえながら、他県から何とか人を引き付けて人口を増やそうという政策は人の取り合いになるだけで無駄になる、だから、人口増は難しいという前提に立って人口減少による問題への対応策を考える方が現実的だと指摘しました。私は「少子化対策が成功すれば人口減少を食い止められる」と言わんばかりの今の政策にかねてから疑問を感じており、9月議会の企画文化観光委員会で、論文を引用しながら少子化対策の意義等について質しました。

 人口減少が引き起こす問題よりも、人口減少時代に対応できるように社会の仕組みを今から変えようとしないこと自体が問題を大きくすると私は考えています。また、今からしっかり備えておけば、人口減少社会は、むしろ様々なチャンスや利益をもたらすはずです。例えば、人口が減少した分、ゆとりのある家や公園、学校等を持つことが可能になります。また、食料やエネルギーの自給率も、今の生産量を維持するだけで、人口減少とともに上昇します。更に、人口が減少することは、一人ひとりの役割がより重要になることでもあり、失われてしまった地域のつながりや絆を取り戻すことも可能になるでしょう。

 そもそも海外に目を転じれば、人口の爆発的な増加は早急に解決すべき地球的課題となっており、いずれは中国やインド、アメリカ等も人口減少時代を迎えることになります(もしくは迎えなければなりません)。日本は世界最先端の現象である人口減少社会の時代に突入した国であり、人口減少に適応した社会システムを他国に先んじて構築できれば、そのための様々な技術は、世界中に輸出できる有力なものになるのです。

 大げさな話のように聞こえるかもしれませんが、実はこうした視点から人口減少社会を直視し、ピンチをチャンスに変えようという取り組みを既に始めているのが大阪府です。詳しくは大阪府が今年の3月に公表した「人口減少社会白書」(大阪府ホームページからダウンロード可能)を見て頂ければと思いますが、静岡県も同様に取り組むべきと考え、12月議会の一般質問で採り上げる予定です。傍聴して頂ければ幸いです。


 
※大阪府庁(左)大阪府庁の正面からは大阪城の天守閣が良く見えます(右)


※今年の3月に公表された「人口減少社会白書」について大阪府政策企画部の担当者から説明を受ける(11月5日)


 お読み下さり、ありがとうございます。