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溝口候補のおかしな主張③「補助金・公共事業志向」

2017-06-24 | 必見!の所見
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 まだまだ言い足りないのですが、静岡県知事選も残り数時間という状況ですので、溝口紀子候補のおかしな主張についての私なりの(つまりあくまでも私個人の見解です)解説はこれで最後にしたいと思います。

 溝口候補は当初は完全に無所属の状態で立候補表明をされました(と私は理解しています)。しかし、結果としては、全県とまではいかないものの、独自候補を擁立できなかった自民党の地域支部等から強力な支援をもらいながら選挙戦を展開したようです。

 だからというわけではないかもしれませんが、溝口候補の主張や考えを聞いていると、溝口候補は従来の自民党型の補助金行政や公共事業重視の政治を志向しているように私には思えてなりません。

 例えば、溝口候補は、「県の防潮堤整備は1%しか進んでいない」と川勝候補を批判し、自分が知事になったらもっと積極的に整備を進めるという趣旨の発言をされています。しかし、まず、この「1%しか防潮堤整備が進んでいない」という表現が、かなり誤解を生む言い方になっています。何故なら、それだけ聞きますと、静岡県では防潮堤整備が全く進んでいないかのように思えますが、レベル1地震に伴う揺れや津波を防ぐための防潮堤等の整備は、これまでの対策により既に58%が完了しています(防潮堤等の整備が必要な海岸線290.8kmのうち、169.3kmは既に整備済み)。残りの42%、121.5kmのうち、2013年から16年までに整備が済んだのが「0.28/121.5=1%」なのです。

 防潮堤等の整備が必要な海岸線や地域については、1日も早く完成することが基本的に望ましいとは思います。しかし、東日本大震災以降、かつてなかったような立派な防潮堤が完成した被災地域において、「本当にこんな立派な防潮堤が必要だったのか」「これではせっかくの美しい景観が台無しではないか」等の声が多く聞かれることも考えれば、闇雲に整備するのではなく、整備対象の地域で十分な議論や調整が行われることが不可欠です。地震津波対策を全面的に見直した2013年以降、今後整備が必要な海岸線のうちまだ1%しか進んでいないというのは、正にそうした対話が行われているからこそです。そうしたプロセスを無視した主張は、かつて、地域住民の反対を押し切って次々と公共事業を進めた自民党の土建政治を彷彿させるもののように私には聞こえてなりません。

 また、驚いたのは、県民の命や生命を守るために進めるというよりも、静岡県の経済を発展させるための手段として防潮堤等の整備が位置付けられている点です。溝口候補の選挙公報等には、「強くて安心な県土をつくるため、防災の強化を図ります」という項目が「1.経済の発展 速やかな経済政策の実行」の中の一つに置かれています。これは正に、従来の自民党的土建政治の発想そのものではないでしょうか。

 そして、公開討論会等で溝口候補が主張されていて、おかしいと思わずにいられなかったのが、「人口が静岡県よりも少ない長野県は国から60件、6億円余りの補助金を獲ってきているのに、静岡県はわずか22件、4億円ほどしか補助金が獲れていない。これは市町との連携が出来ていなかったり、国とのパイプが細いからだ。私が知事になったらもっと補助金を獲ってくる」という趣旨の発言です。

 これは内閣府が進める「地方創生推進交付金対象事業」のことを指しているようです。本年度予算で国が1000億円計上している「地方創生推進交付金」を都道府県や市町村が行なう事業に対し交付するというものです。確かに、どうせもらえるならもらった方がいいと考える方もいらっしゃるかもしれませんが、この「地方創生推進交付金」の場合、国が交付するのはあくまでも事業費全体の半分です。残りの半分は事業を実施する都道府県や市町村がまずは負担する必要があります。「まずは」としたのは、この地方負担分は「地方財政措置を講じる」とされているからです。簡単に説明すれば、財政的に余裕のある一部の自治体を除き、毎年、国から地方自治体には地方交付税が交付されます。その地方交付税交付金の金額を算定する際に、地方が負担した半額の分を算入するというものです。つまり、制度上は、当初、自治体が負担した分も後で地方交付税交付金という形で戻ってくることになっており、それだけを見れば、補助金はもらわないと損ということになるかもしれません。

 しかし、現在は、本来、地方に交付されるべき交付金が全額、地方に支払われているわけではありません。国も財政が厳しいということから、交付金の一部は、臨時財政対策債という形で自治体がまずは借金をしているのです。この臨時財政対策債もいずれは国が面倒を見るということになっていますが、臨時とは言いながら2001年から現在までずっと続いている制度であり、そのため、例えば、静岡県における臨時財政対策債の発行残高は既に1兆1千億円を超え、未だに増え続けています。つまり、今後、ますます国・地方とも財政状況が厳しくなることを考えれば、約束している通り、国が臨時財政対策債の償還に必要な金額全てを負担するとは考えにくいと言わざるを得ません。

 加えて、この「地方創生推進交付金」は今後ずっと続く制度であるとは限りませんから、人材育成や観光促進等のソフト事業を新たに行う場合には、交付金が無くなった後(この制度では3~5年後は交付金に頼らずに進めることが求められています)も地方独自の負担等だけで継続できるようにする必要が当然ありますし、この交付金を活用して施設等を整備する場合には、交付金が無くなった後も、地方の負担だけで維持管理等が出来るようにしておく必要があります。

 地方財政措置も含め、当初は国が実質全額を負担するとしても、いずれそれなりに地方独自の財政負担も発生するのですから、とにかく補助金を獲ってくるべきというのは、財政規律を無視した主張と言うべきものです。人口減少や超高齢化がますます進む以上、財政上状況も更に厳しくなるのですから、後に様々な負担を生むこととなる事業は最大限少なくする、理想を言えば、いずれは無くなる補助金に頼ることなく、独自の財源内で必要な事業を行なえるようにしていくことが現在特に求められているはずです。

 前述のように、溝口候補は、長野県より静岡県は国から獲った補助金が少ないと川勝候補を批判していますが、静岡県より大規模な自治体、例えば、東京、神奈川、愛知、大阪等が獲得した交付金の額は静岡県よりも少ないのです。こうした自治体に対しても、溝口候補は同様の主張をされるのでしょうか。


内閣府地方創生推進事務局「地方創生交付金の交付対象事業の決定について」より

 
 私は今回、知事選の前に県内で行われた計3回の公開討論会全てに参加し、溝口候補の主張や意見を聞いてきました。川勝候補も言っていますが、私も、あれだけ川勝候補を批判し、独自の候補を擁立すると言ってきた自民党が断念するという厳しい状況の中で溝口氏が立候補されたことについては、心から敬意を表したく思います。そして実際に溝口候補の堂々たる話し振りを見聞きして「さすが元オリンピック選手」と素直に感じました。ただ、そうした話し振りであるが故に、これまで説明してきた、誤解を生みかねないおかしな主張を、疑うことなく受け入れてしまう方々も少なくないのではないかと危惧しています。そこで、投票日の直前にはなってしまいましたが、敢えて、溝口候補の主張の問題点の一部について、私の責任で、解説致しました。知事選での投票における判断材料に少しでもなれば幸いです。

 お読み下さり、ありがとうございます。子ども達や更に先の世代の将来のためにも、必ず投票に行きましょう!

溝口候補のおかしな主張①「-3%」

2017-06-24 | 必見!の所見
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 静岡県知事選は残りわずかですが、先日お話ししたように、溝口候補のおかしな主張について私なりに(つまりあくまでも私個人の見解です)解説したいと思います(もっと早くに出来れば良かったのですが多忙な選挙活動等のため、今になってしまいました)。

 溝口候補が繰り返し述べている(選挙前の公開討論会(6月5日の浜松会場と6月7日の静岡会場)でも言われていましたし、報道によれば出陣式等でも発言されているとのこと。但し、溝口候補のホームページ選挙公報では触れられていませんので、選挙直前に加えられた主張の1つと思われます)主張の1つが「平成26年度の静岡県の実質経済成長率はー3%で全国最下位。川勝知事の経済政策が失敗したことの現れだ」という趣旨のものです。

 この溝口候補の言う「静岡は-3%で全国最下位」とは、内閣府が先月5月26日に公表した平成26年度の「県民経済計算」の結果とりまとめで明らかにされたもので、それ自体は否定できない事実です。6月5日の浜松での公開討論会の際に、溝口氏はその内閣府の資料の一部と思われるものを示しながら(ちなみに、公開討論会で資料を提示したのは明らかにルール違反でした)-3%について言及し「(静岡県の)経済が全然活性していない」と川勝候補を批判されました

 全国で最下位という結果は5月26日の公表により初めて明らかになったものです。しかし、「-3%」という数字は既に昨年の11月30日に静岡県が公表していました。ですので、溝口候補が強調したかったのは静岡県が全国最下位だったという事実かと思われますが、「最下位=川勝県政の失敗」という理屈は余りにも短絡的だと考えます。

 「-3%」の理由について、昨年11月に静岡県政策企画部が取りまとめた「平成26年度静岡県の県民経済計算(概要版)」は、平成26年4月に実施された消費税引き上げ後の駆け込み需要の反動が大きく、輸送用機械(自動車等)等の製造業が振るわなかった等としています。つまり、平成25年度には消費税増税前の駆け込み需要があり(平成25年度の静岡県の実質経済成長率は2.2%)その反動が翌26年度に生じたというのですから、これは川勝県政というよりも消費税増税という国策によるものと言うべきでしょう。

 47都道府県のうち、21の県で実質経済成長率はプラスであり、消費税増税の反動の影響を静岡県ほど受けていない県も少なくありません。しかし、例えば、26年度の実質経済成長率が1位となった宮城県の主な要因が復興特需であることからも明らかなように、都道府県によって経済・産業の構造や状況は異なり、よって成長率のプラスマイナスの理由もそれぞれ違ってきます(例えば、農林水産業や観光が主要産業である県では天候不順・異常気象という不可抗力により成長率がマイナスになったりします)。ですので、単年度の数字だけを見て、政策の成功だ、失敗だというのは実に短絡的ではないでしょうか。


※静岡県政策企画部が作成した「平成26年度静岡県の県民経済計算(概要版)」2ページ


 また、それよりも重要な問題点と思われるのが、-3%の数字だけを切り取り、他の統計については触れていない点です。県民経済計算では実質経済成長率に加えて一人当たり県民所得についても取りまとめていますが、平成26年度の一人当たり県民所得における静岡県の順位は前年度の4位から3位に上がっているのです


※静岡県経営管理部作成資料(赤丸は筆者が加筆)


 所得の額そのものは前年よりも減少していますので諸手を挙げて喜ぶわけにはいきませんし、実質経済成長率と同様にその背景は単純ではないでしょうから、川勝県政の成功の現れと直ちに言うつもりはありません。しかし、県民生活への影響という点では、実質経済成長率「-3%」よりも県民所得の順位が上がったことの方が意味は大きいのではないでしょうか。実際、前述の内閣府の公表を報じた翌日の新聞記事は、どれも県民所得に焦点を当てた内容となっており、「静岡県最下位」については記事の終わりで少し触れる程度です。


※内閣府による県民経済計算結果のとりまとめを報じた5月27日の新聞記事コピー


 以上、簡単な説明ですが、冷静なご理解、ご判断を賜れば幸いです。

 お読み下さりありがとうございます。

 

「川勝平太」私論

2017-06-20 | 必見!の所見
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 6月8日に告示された静岡県知事選も残りわずかとなりました。ただ、残念ながら未だに関心度や盛り上がりは低調のようです。また、私も応援している川勝平太・現職静岡県知事候補は、その発信力や行動力から、熱烈な支援者を数多く獲得している一方、私から見ればかなり誇張されたイメージが伝わってしまっているせいか、否定的なご意見を持っている方々も少なくないようです。

 川勝候補は今回3期目の挑戦をしています。私はその全てにかなり川勝候補に近い立場から関わってきました。現在私が2期目の静岡県議会議員として活動している元々のきっかけは、実は、川勝候補の最初の選挙を手伝った際に、川勝候補のユニークな人柄に接したことです。そして今回の選挙では、所属する県議会会派「ふじのくに県民クラブ」の政策調査会長を本年度務めることになったことから、川勝候補選対本部の政策担当としても現在活動しています。そのため、今まで以上に川勝候補と共に行動したり政策等について話し合う機会を得ました。

 そんな身近なところから川勝知事・候補を見続けてきた者として、今回は「川勝平太私論」を述べたいと思います。


学者らしくない知事・政治家らしくない知事

 私が初めて川勝平太候補に接したのは、最初の選挙である8年前。私は当時、民主党静岡県連会長、そして今の民進党県連会長である榛葉賀津也・参議院議員の政策担当秘書でした。榛葉事務所からのスタッフとして応援に入り、静岡駅南口にあった川勝平太選挙事務所近くのビジネスホテルに3週間程泊まり込んで(当時は埼玉県富士見市に住んでいたため)選挙戦に当たりました。

 
※2009年6月18日に静岡新聞に掲載された写真。告示日前日の慌ただしい選挙事務所の様子です。静岡県知事選挙告示日の朝刊に掲載されたため、川勝平太候補の文字や写真等がモザイク処理されています。8年前は白髪はまだほとんどなかったなあと改めて思います。あと、当時はスマホもまだなかったですね。

 
 当時は民主党が政権を獲る直前。そのため、来たる衆議院総選挙への勝利につなげるべく、民主党本部は、当時の鳩山代表が何度も静岡県に来るなど、総力を挙げて川勝候補を応援しました。私の主な役割は、そうした党本部から次々に派遣される党幹部や党所属国会議員の日程等の調整・管理でした。

 ただ、時折、川勝候補と共に静岡駅周辺の企業等に挨拶周りに行く機会がありました。何分、時間がない中での選挙戦でしたので、訪問先に関する資料を特に用意することもなく川勝候補をお連れしましたが、そこで驚いたのは、川勝候補は、政策等の同じ話を毎回繰り返すのではなく、訪問先の対応者の関心を引くように、話す内容を臨機応変に変えるところでした。慣れた政治家であれば当然のことですが、当時の川勝候補は政治家としては全くの初心者。そして学者出身ということで、頭の固い人かもと最初は勝手ながら想像していたのですが、直ぐに全く違うことに気付きました。

 また、川勝候補は静岡県出身ではありませんが、富士山(「富」=ものの豊かさ+「士」=徳を備えた心豊かな人)のような日本(人)を目指すべきとする「富国有徳」という川勝候補が以前から主張していた考えを、前任者の石川元知事が取り入れ、また静岡文化芸術大学の学長に招かれたことからも明らかなように、川勝候補は静岡県とは長い縁があるだけでなく、富士山を仰ぐ静岡県を本当に心から愛している、静岡県出身ではないからこそ静岡県の良さを客観的に知っている人だということも同時に強く感じました。8年前の選挙の時から、富士山を前面に出して静岡県を世界にアピールする、観光立県にするという趣旨の想いを生き生きと語っていました。実は以前から政治家を目指していたのではないかと思わせるような語り振りでした。8年前から既に、学者らしくない政治家だったのが川勝候補なのです。

 当時の私は、仕えていた榛葉議員が参議院総務委員会に所属していたこともあり、地方自治にも関心を持つようになっていました。そんな中、川勝候補に出会い、選挙を手伝う間に、「川勝候補が知事になった静岡県で県議会議員として人口減少問題等に取り組んだらかなりやりがいがあるだろう」と強く考えるに至りました。そして2年後の県議会議員選挙でお陰様でその想いを実現することが出来、今に至っています。


※8年前の選挙で当選後に川勝知事から頂いた色紙。


※川勝知事と意見交換(2014年7月)


 このように、川勝候補は、私の知る8年前から学者らしくない政治家・知事でした。その一方、特に私が県議会議員になってからの6年間、川勝候補と様々な形で連携したり議論したりする中で同時に感じているのは、川勝候補は、政治家らしくない知事でもあるということです。

 詳しくは後日改めてお話したいと思いますが、例えば、今回の選挙でも厳しい声が寄せられる田辺・静岡市長との関係について。一言でいえば、これはいじめでも高圧的な態度でも全くなく「激しい政策論争」。ただ私も正直に思うのは、時折、かなり強い表現を使うことがあり誤解の原因にもなっていることからそれは改めるべきということ。しかし、そうした感情的な表現を使うのは、川勝候補の正直さ、真面目さと、静岡市への強い愛情から発せられているものだと私は理解しています。

 良し悪しは別として、表現を曖昧にするなり、適当なところで論争を止めたりすることも出来るはずですが、川勝候補は記者さんから問い掛けられると引き続き応えたり議論を続けたりしてしまう。改めるべきところもあろうかと思いますが、こうした人柄や性格は、この8年間、静岡県のことを国内外に強力にアピールしてきた川勝候補のユニークな発想や発信力の源でもあり、こうした言わば政治家らしくない部分は、今後も持ち続けて頂きたいと私は思います。

 そんな川勝候補と残り数日間、想いや政策を一人でも多くの県民の皆さんに伝えるべく、出来ることをやり切っていきます。その一環として、本来であればもっと早く出来れば良かったのですが、もう一人の候補者である溝口候補は、かなり乱暴で大きな誤解を生みかねない主張をされていますので、それらへの反論や解説を、川勝選対本部の政策担当として(しかし、あくまでも私個人の見解であり、文責は私個人にあります)何回かに分けて行いたいと思います。


※アピタ静岡店前での街頭演説の後に川勝平太候補、福村隆・静岡1区総支部長佐藤成子・静岡市議会議員と(2017年6月12日)



 お読み下さり、ありがとうございます。



 



 




野党共闘は勝つために必要な戦略だ

2016-07-16 | 必見!の所見
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選挙は勝たなければならない

 参院選が終わり、14日からは東京都知事選が始まりました。この2つの「闘い」において、私が所属する民進党は、野党共闘という戦略を基本的に採りました。具体的には、形は様々ですが、参院選の32の1人区全てで野党統一候補が実現しました。また、目下選挙中の都知事選では、野党統一候補として鳥越俊太郎氏を擁立するだけでなく、直前まで立候補する意向だった宇都宮健児氏の協力を取り付けることも実現させました。

 しかし、先の参院選では、1人区で11勝21敗、そして全体でも自公を始めとする改憲勢力が3分の2以上を占めることを許す「大敗」の結果となりました。また、都知事選においても、告示日の直前まで野党側の候補者が決まらず、また、宇都宮氏が立候補断念に至るまでの経緯についても不透明さの問題が指摘されるなどしています。

 このように、野党共闘という戦略は決してバラ色のものではありません。しかし私は、選挙はやはり勝たなくてはならず、その為の戦略として野党共闘は現時点では必要不可欠であると考えます。


野党共闘せずに1人区で11勝できたのか

 「3分の2以上を取らせない」という最低目標すら達成できなかったことから、「野党共闘は空回り」等の厳しい報道や評価が一部あります。1人区でも勝ち越すどころか11勝21敗と大きく負け越していますから、野党共闘が必ずしも必勝法にはならなかったのは事実でしょう。しかし、3年前の参院選では31の1人区で2勝29敗だったことを考えれば、野党共闘という戦略が功を奏したからこそ、厳しい状況ながらも11勝できたと言うべきではないでしょうか。実際、1人区における野党4党の比例代表の合計得票と統一候補の得票を比較すると28の選挙区で候補者の得票が上回るなど、野党共闘は足し算以上の効果が出ています

 また、野党共闘、特に共産党との協力に対する批判として「野党共闘は、足し算どころか、保守票が逃げてかえってマイナスになる」というものがありますが、今回の参院選では、民進党は比例票を全国で3年前よりも400万票以上(合計約1175万票)、得票率にして7.5ポイント以上多く(合計約21%)獲得しました。また、共産党、社民党、生活の党もそれぞれ3年前よりも得票率を伸ばしており、野党共闘はマイナスどころか相乗効果があったとも言える結果となっています。


※党派別の得票・得票率(平成28年7月12日朝日新聞より抜粋)


 従って、野党共闘は、選挙全体で勝つには十分ではなかったものの、3年前よりも勢力を挽回するのに大きな効果があったと考えるべきでしょう。足らなかったのは、各政党、特に最大野党である民進党への支持でした。今回の野党共闘により保守層の一部が民進党から離れてしまったとしたら、それは民進党が共産党や市民団体等に先導された形で野党共闘路線に乗った、つまり、受け身の野党共闘だったからだと考えます。そうではなく、民進党が目指す国の形や政策を最大野党として示し、それらへの賛同を他党に呼び掛け連携するという形、つまり民進党主導での野党共闘を実現することができれば、支持を更に増やすことは十分可能ではないでしょうか。


選挙を闘う準備だけでは選挙を勝つのに不十分

 野党共闘が今の都知事選で功を奏するか、つまり、統一候補である鳥越氏が勝利するかは、結果を見なければもちろんわかりません。しかし、鳥越氏が野党統一候補となったからこそ最終的に宇都宮氏陣営の支援を得ることができたのであり、その分、鳥越氏にとって選挙戦が有利になっていることは間違いないでしょう。

 宇都宮氏の不出馬の決断については私も最大限の敬意と感謝を表したく存じます。宇都宮氏不出馬に至る経緯について「そんな野党共闘はおかしい」等のご批判は無理もないものと思います。現在立候補している有力3候補とは違い、既に2度都知事選に挑戦した経験があり、今回の選挙を闘う準備を最も進めていたのが宇都宮氏であることは事実でしょう。

 ただ、そうした準備が短期決戦の都知事選で与党候補に勝つのに十分だったかと言えば、恐らくそうではありません。だからこそ、先に立候補の意思表明をしていた宇都宮氏ではなく、知名度とジャーナリストとしての実績がある鳥越氏が野党の統一候補として選ばれ、その判断は多くの方から支持を得ているのです。参院選直後の、当初は予定されていなかった都知事選であったために短期間での候補者選びに伴う様々な不手際等はあったものの、そうした現実は冷静に受け止められなければならないと思います。

 自分が正しいと信じる政策を実現するために議員や首長を目指すのですから、そのためにはまずは選挙に勝たなければなりません。では、選挙に勝つためには何が必要か。国政選挙や首長選挙で言えば、野党としては、現時点では、野党共闘という戦略です。民進党員としては、民進党単独で選挙に勝つことがやはり理想ですが、残念ながら現在はそのような状況にはありません。違いを乗り越え、一致できる政策、考えの下で連携して選挙に臨む野党共闘は、現実を少しでも理想に近づけるための立派な手段であるはずです。

 参院選では不十分ながらも一定の結果を出しました。都知事選でもやるべき活動を最大限行えば、野党共闘の効果は十分に発揮されるものと信じています。

 お読み下さり、ありがとうございます。

参院選最大の争点は、やはり憲法改正問題

2016-06-20 | 必見!の所見
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 今週の水曜日、6月22日に参院選がいよいよ公示されます。

 今回の参院選の争点は何でしょうか?

 世論調査によれば、多くの有権者が重視するのは、医療や年金等の社会保障問題、そしてアベノミクスの成否等の経済・景気問題であるようです。当然ながら、政党や候補者は、そうした有権者の関心にしっかり応える必要があります。むしろ、明快に答えることができなければ十分な支持を得ることはできないでしょう。

 しかし、今回の参院選は政権交代を懸けた選挙ではありません。また、政権与党は衆議院で3分の2以上の勢力を占めています。そのため、今回の参院選によって経済政策や社会保障政策が大幅に変わる可能性はもともと大きくないというのが現実です(もちろん、今回の参院選の結果が、政権交代を問う次の衆院選に大きく影響することは言うまでもありません)。政権与党が余程の惨敗でもすれば話は別かもしれませんが、政権与党が大きく負けるということは、直近の世論調査結果等を見ても、現時点では、考えにくいと言わざるを得ません。

 一方、この参院選を通じて、政権与党等の改憲勢力が衆議院と共に参議院でも3分の2以上の「改憲ライン」を上回る可能性は十分にあります。


2016年6月18日朝日新聞より抜粋


 朝日新聞によれば、参議院の非改選(つまり2013年当選組)121議席のうち、改憲勢力は84議席。改憲ラインである「3分の2以上」である162議席以上を確保するには、今回の参院選で78議席以上当選させることが必要です。

 大まかにいえば、自民党、公明党等の改憲勢力は2013年参院選より多少悪い結果となっても改憲ラインを上回る議席を確保できる可能性があるのですから、改憲ライン越えは決して困難な目標ではないと言えるでしょう。

 一方、護憲勢力の非改選議席はわずか27議席。そのため、「護憲ライン」である3分の1以上(つまり81議席以上)を確保するためには、54議席以上を獲得しなければなりません。3年前の参院選と違い今回は1人区全てで野党統一候補が実現する方向であるとは言うものの、民進党等の護憲勢力は前回の選挙結果の2倍以上の議席を獲らなければ護憲ラインを死守できないのですから、それは決して低くはないハードルだと言えます。

 このように考えれば、今回の参院選の結果如何で最も大きく変わり得るのは憲法改正をめぐる環境です。1947年5月3日に日本国憲法が施行されて以来存在しなかった状況が、参院選後には誕生するかもしれない、歴史的な分岐点になるかもしれないのです。有権者が最も考え問うべき争点は、やはり「憲法改正問題」であるはずです。

 与党は憲法改正問題を敢えて避けているようですが、野党側は、有権者の関心に答えながらも、明快に、堂々と、憲法改正問題の重要性や「危険性」を訴えるべきです。私も地方議員の一人として、憲法改正問題について、候補者と共にはっきりと訴えていく決意です。

 お読み下さり、ありがとうございます。

オバマ大統領の広島訪問:今後の本気度が重要

2016-05-30 | 必見!の所見
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 今回のオバマ大統領の広島・平和記念公園訪問やその際の演説(※英語の原文はこちら)は、様々な点で大変意義深いものだと思います。これまで訪れることがなかった現職のアメリカ大統領が初めて訪問したのですから、それだけでも歴史的な1ページを刻んだことは間違いないと思います。

 また、わずか10分間とはいえ原爆資料館を訪れたこと、そして、被爆者の方と広島で直接会って話をしたということも、オバマ大統領自身に原爆の悲惨さを少なからず印象付けることにつながったことと思います(※オバマ大統領は核兵器保有国の最高責任者であり、オバマ大統領の広島訪問の際にも、いつでも核攻撃の指令を出せるように「核のフットボール」と呼ばれる黒い鞄を持った軍人が同行しています)。私も学生時代に3度、平和記念式典に参加し資料館にも伺いましたが、やはり、現地で見て聞くことで、原爆の悲惨さを何倍も強く感じた記憶があります。

 ただ、今回広島訪問が実現したのには、様々な環境、条件が重なったことが大きいことも忘れてはいけません。例えば、

2009年にプラハで核廃絶に向けた決意を表明し、ノーベル平和賞を受賞したにもかかわらずこれまでのところ核兵器廃絶においては大きな成果を上げることができなかったことから、そのことに関して自責の念がオバマ大統領自身に恐らくあったこと

残りわずかな任期の中でオバマ大統領としては何らかの歴史的な功績を出来る限り残したいと考え、一方、訪問慎重派にとっては、任期わずかの大統領が訪問したとしても今後の核政策や歴史認識においての影響はさほど大きくないと恐らく考えたこと

広島訪問は、日本の核武装も認めるかのような発言をしている共和党のトランプ候補への牽制になること

サミットが今年日本で開催されたこと

岸田外務大臣が広島市選出の国会議員であり、岸田大臣自らが安倍総理や米国側に積極的に働きかけたこと

参院選を間近に控え、安保法制反対派・慎重派そして国内世論に対して平和にもしっかり取り組むというメッセージを送ることが出来る(そして、支持率を上げることが出来る)と安倍総理が恐らく考えたこと

等々です。

 つまり、核軍縮・廃絶に向けた具体的な道筋について述べたわけではないことからも明らかなように、歴史的な意義は小さくないとは言え、今回の訪問は、核軍縮・廃絶を更に進める為に実現させたというよりは、残り任期わずかのオバマ大統領と、参院選を間近に控えた安倍総理双方の政治的な思惑が一致した結果と言えるのではないでしょうか。

 ですから、肝心なのは、今後、オバマ氏が残りの任期中だけでなく退任後に、そして日米政府が、どれだけ本気に核軍縮に取り組むかです。当然ながら、我々国民も声を挙げていかなければいけません。その意味でも今夏の参院選(もしくは衆参W選)は大変重要です。

 お読み下さり、ありがとうございます。

若者に選ばれる静岡をつくろう

2016-02-16 | 必見!の所見
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若者たちによる県民会議
 
 静岡県は「次代を担う若者たちによる県民会議」を1月12日に立ち上げました。県が昨年作成した「長期人口ビジョン」は、2090年頃までに県人口が290万人程度まで減少することを想定していますが、そうした人口減少社会を迎えるにあたり、今後実行すべき戦略や政策について将来の主役である若者たちを中心に議論し提言をまとめようという会議です。

 昨年9月の県議会本会議で、私の提案に対し、県が設置を表明していました。座長は人口問題の専門家である鬼頭宏・静岡県立大学学長で、2名の有識者アドバイザー、そして川勝知事ら県幹部も参加していますが、会議の中心は現役大学生と社会人1年生24名からなる委員です。


 
※静岡新聞(左)、中日新聞(右)記事(平成27年9月29日)

  
※「次代を担う若者たちによる県民会議」(平成28年1月12日)


※委員名簿


※静岡新聞記事(平成28年1月13日)


人口減少問題の3要点

 人口減少社会の問題を考えるにあたり、私は特に3つの点が重要と考えています。それは、①常に数十年先を見据えること、②人口減少は少なくとも今後数十年続くという現状認識、③人口減少はピンチではなくチャンスにできるという発想、です。①、②については、前述の長期人口ビジョンにも示されています。しかし、70年程の間に県の人口が2割以上、約80万人減る(但し、2020年以降出生率2.07、社会的人口移動±0が維持された場合。加えて高齢化も進む)ことの影響や結果を、私達はどこまで想像、認識できているでしょうか。

 また、③は、人口減少がもたらす利点(空間的ゆとり、省エネ・エコ社会、個人の尊重等)を最大限に活かすことができなければ、つまり人口減少をチャンスと捉える「新発想」がなければ、人口減少が続く今後の社会は希望がないことになってしまうという意味です。


若者が高齢者とつくる社会

 これから70年間生きることは46歳の私にはかなりの難題ですが、今の10代、20代の方達は十分可能です。ですから、70年後の社会を考えるのに最適任は今の若者です。老後まで、安全に安心して生活できる社会の実現には何が必要か、若者の皆さんが自分自身の人生の問題として考え、答えを見つけることこそ人口減少社会を乗り越えるのに不可欠であり、私が「県民会議」に大きな期待を寄せる所以です。 

 言い換えれば、若者が中心になってこれからの社会をつくることが重要です。そして、若者がつくる社会は、当然ながら、同じ若者に選ばれる、魅力的で活気ある社会になるはずです。

 ただ、子どもの貧困問題や厳しい教育・雇用環境等、今の若者を巡る状況は決して恵まれているとは言えません。また、若者には元気や新しい発想がありますが、年上の世代、高齢者には、豊富な知恵や経験、人脈、経済力があります。ですから、人生の先輩達や高齢者と若者達がお互いに支え合い、数十年先を見つめながら、若者を主体として社会をつくることが、今こそ求められていると考えます。2月21日に行なう私の県政報告会では、そうした話も皆さんとできればと思っています。「若者に選ばれる静岡」を一緒につくっていきましょう!

 お読み下さり、ありがとうございます。

県都構想は見当違い?

2016-01-14 | 必見!の所見
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将来の選択肢の一つとして
 
 当ブログでのご挨拶が大変遅くなりましたが、旧年中は大変お世話になり誠にありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い致します。

 さて、昨年、静岡県政(そして静岡市政)で話題となったテーマの1つに、静岡市を東京23区のような特別区にするという「県都構想」があります。特に、昨年10月に川勝知事が県都構想について自ら説明する広聴会を静岡市内3箇所で開催した際には、地元のニュース番組や新聞で大きく取り上げられました。広聴会には私も参加しましたが、参加者からは賛否両論の意見が出されました。


※清水区で開催された知事広聴会「平太さんと語ろう」(平成27年10月14日)


 県都構想、そして、静岡市等の政令指定都市市長が実現を目指している「特別自治市構想」双方の具体的な姿や効果等は、まだ十分に示されていません。また、どちらの構想を実現するにも法改正が必要であり、実現には長期間を要しますが、静岡市の将来の選択肢として、両者とも真剣に検討すべきと私は考えています。


思い付きの県都構想?

 川勝知事が県都構想を提唱し始めたのは、昨年の5月17日に行われた大阪都構想に関する住民投票の直後頃からです。田辺市長や静岡市議会、そして私を含む静岡市内選出の県議会議員等に対して事前説明がなかったことから、大阪都構想から得た「知事の思い付き」という印象をお持ちの方は多いようです。しかし、これまでの川勝知事の言動をたどれば、県都構想は決して思い付きのものではありません。

 川勝知事は、田辺市長が初当選する前から、静岡市長や浜松市長が唱える特別自治市構想の実現に向けて協力することを表明してきました。この「特別自治市」とは、道府県と同等の権限、財源を持った大都市を指します。つまり、道府県からの独立を意味します。


※政令指定都市と特別自治市構想


 ところが、県から独立するということは、特別自治市内にある県施設については、市外に移転(あるいは廃止)するか、特別自治市に移管することが必要となります。何故なら、独立した特別自治市民が払う税金は、当然ながら、県施設の為には使われないからです。


※県都構想


 静岡市のような県庁所在地(県都)には数多くの県施設があります。県庁、グランシップ、県立美術館、草薙総合運動場、県立高校、特別支援学校、県営住宅、警察署、交番、そして直接的には独立行政法人が運営する県立総合病院、こども病院、県立大学等です。こうした施設が市外に移転した場合、そこで働く職員(県庁だけでも4千人以上)も移ることになりますし、移管した場合は、巨額の維持管理費を特別自治市は負担しなければなりません。

 横浜市(371万人)大阪市(269万人)名古屋市(227万人)のような大きな政令指定都市には、そうした県施設の移管に十分対応できるだけの財政基盤(静岡県と同規模の年間予算(1兆円以上))があります。しかし20ある政令指定都市の中で最も人口が少ない静岡市(70万人)の年間予算は2800億円程であり、特別自治市になるのに相応しい財政力があると言い切れるでしょうか。川勝知事が特別自治市に代わる選択肢として県都構想を提唱するに至った理由の一つがここにあります。


将来の大幅な人口減少に今から備える!

 「今のままでいいじゃないか」という方も多いでしょう。しかし、これから少なくとも数十年は人口減少が続くことが決定的な現実を考えれば、そうとばかりは言っていられません。

 地方自治法は政令指定都市の要件として、「人口50万人以上」を掲げています。つまり、法改正がない限り、人口が50万人を下回れば、静岡市は政令指定都市の資格を失うことになりますが、その可能性は大きいと考えるべきです。県の将来人口推計によれば、合計特殊出生率(静岡市の出生率は2013年1.41)が2020年までに2.07に上昇、そして社会移動(同2014年926人流出)が均衡し、それらが維持されれば、53万人程までの減少で留まります。しかし出生率を数年で2.07(人口置換水準)にまで引き上げることは不可能と言うべきで、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)による推計の傾向が継続した場合には、2050年頃には50万人を下回り、その後も更に人口は減少し続けます。


※静岡市の将来人口の長期的な見通し

 社人研の推計のような状況にまでは至らないとしても、近い将来、静岡市の人口が50万人を切る可能性は十分にあると厳しく想定すべきです。選択の結論を直ちに出す必要はありませんし出すべきでもありません。しかし、今のままで良しとはせず、静岡市のグランドデザインを描くとも言うべき大きな課題として、県都構想、特別自治市構想等について今から考え、将来の大幅な人口減少に備えることは私達大人の責任です。大いに議論していきましょう!

 お読み下さり、ありがとうございます。

※県都構想については、「すずきさとるのすずしんラジオ」でも昨年11月12月の放送で取り上げました。ぜひ併せてお聴き下さい!

「出産その他の事故」を改めよう-わかりやすい言葉で政治を身近に

2015-07-02 | 必見!の所見
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出産って事故???

 言うまでもなく、出産は大変素晴らしい、おめでたいことです。

 しかし、政治や法律の世界では、出産が「事故」として扱われる場合があります

 先日、私も委員として所属している静岡県議会の議会運営委員会で、議会規則の改正が議題となりました。

 現行の「第2条 議員は、事故のために出席できないときは、その理由を付け、当日の開議時間までに議長に届け出なければならない。」を「第2条 議員は、公務、疾病、出産その他の事故のため出席できないときは、その理由を付け、当日の開議時間までに議長に届け出なければならない。」に改正するというものです。

 これまでも「事故」には出産を含むという解釈の下で出産による欠席は可能でしたが、女性議員が議員活動を行いながら躊躇せず出産できるように、議会を欠席できる理由として出産を明記するというのがこの改正の理由です。


※平成27年6月30日 静岡県議会議会運営委員会資料


 改正理由については私も当然のことと思いましたが、出産をまるで事故として扱っているような表現を明記することに大変違和感を感じました。そのため、「出産その他の事故」という表記はおかしいのではないかと質問致しました。

 事務局の説明は、この条文の「事故」とは、交通事故等で言う「事故」ではなく、「業務の執行の支障となるような出来事」を意味するということでした。今回の改正案は全国都道府県議会議長会が定めている「標準都道府県議会会議規則」の条文をそのまま用いたものであり、殆どの都道府県議会でも「出産その他の事故」という文言が使われています。この改正案は既に会派の代表者の間で了承されていたこともあり事務局側の説明を了承しましたが、もやもやしたものが残りました。


※同 静岡県議会議会運営委員会資料(※宮城県議会は「事故」ではなく「事由」の言葉を用いています)


 後で調べてみると、例えば、内閣法に「第9条 内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。」という条文があるように、法律用語としての「事故」には、「人体や財産に損害を与える事象」とは別の、前述のような意味もあるということです。ですから「出産その他の事故」という言い方は法律用語としては間違いではありません。

 しかしながら、政治や選挙への関心の低下が続く中、とりわけ、来年の参議院議員選挙から18歳、19歳の方達も投票が出来るようになる現状において、私たち政治家や行政そして法律家には、政治をより身近にするための一層の努力が求められているはずです。それには、まず、なるべくわかりやすい、日常の言葉で政治を語ることが必要です。政治をより身近なものにするためにも、出産を否定的な意味に捉えていると誤解されかねない「出産その他の事故」という表現は、やはり全国(※1)で、例えば宮城県議会の「出産その他の事由」のように改めるべきではないでしょうか。

 お読み下さり、ありがとうございます。


※1・・・ちなみに、衆議院規則では「第185条 議員が事故のため出席できなかったときは、その理由を附し欠席届を議長に提出しなければならない。② 議員が出産のため議院に出席できないときは、日数を定めて、あらかじめ議長に欠席届を提出することができる。」となっているのに対し、参議院規則では「第187条 議員は、事故のために数日間議院に出席することができないときは、予めその理由と日数を記した請暇書を議長に提出しなければならない。議長は、七日を超えない請暇については、これを許可することができる。七日を超えるものについては、議長は、議院に諮りこれを決する。公務、疾病、出産その他一時的な事故によって議院に出席することができないときは、その理由を記した欠席届書を議長に提出しなければならない。」となっています。したがって、参議院規則においても「出産その他一時的な事故」の表現を県議会と同様に修正すべきではないでしょうか。
 
 一方、全国市議会議長会はこの5月26日標準市議会会議規則の一部改正を、そして、全国町村議会議長会5月28日標準町村議会会議規則の一部改正を行ない、どちらも次のように規定しました。「第2条 議員は、事故のため出席できないときは、その理由を付け、当日の開議時刻までに議長に届け出なければならない。2 議員は、出産のため出席できないときは、日数を定めて、あらかじめ議長に欠席届を提出することができる。」つまり、「衆議院型」の規則となり、今後は多くの市町村議会が同様の改正をするものと考えられます。

県議会議員っていらない!?

2015-05-29 | 必見!の所見
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※4月の選挙で使用したポスターの画像

 4月に行われました県議会議員選挙で14,776票を賜り、再び県議会議員として働かせて頂くことになりました。皆様から寄せられたご期待にしっかりお応えできるよう、全力で活動していきます。引き続き、ご理解、ご指導を賜りますよう切にお願い致します。
  
 選挙前、そして選挙期間中に「県議会議員って何をしているのかよく分からない」「政令指定都市に県議会議員はいらないのでは」というご質問やご意見を多くの方から頂きました。これまでの4年間、このブログや「すずしん」、県政報告会、そして「すずしんラジオ」等を通じて、自分なりに、県政における課題や県議会議員としての活動内容をなるべく分かり易くお伝えしてきたつもりですが、まだまだ不十分であることを痛感致しました。そこで改めて、特に政令指定都市における県議会議員の役割についてお話したいと思います。


県議会議員の役割とは?

 県議会や県庁に身近さや必要性を余り感じられない理由の一つに、普段の生活で県庁に殆ど行くことがない点が恐らくあります。特に政令指定都市である静岡市の場合、例えば道路についてご要望があったとしても、その多くは静岡市所管の話となりますので(とは言え、何かありましたら遠慮なく私までお気軽にご相談下さい)県議会議員はいらないのではないかと思われるのも無理もないのかもしれません。

 しかし、まず忘れてならないのは、静岡市民も多額の税金を県の事業のために納めている点です。年間約1兆2千億円もの静岡県一般会計歳入の約4割、4千億円以上が県税です。その中で最も多いのが個人県民税(平成25年度決算額約1370億円)で、その約2割(同約270億円)を静岡市民が納めています。また、毎年5月末までに納めなければならない自動車税も県税です。他にも、個人事業税、自動車取得税、軽油引取税、不動産取得税等を私達静岡市民は県税として納めています。


※「県の歳入予算と県税収入」(平成26年度分・県作成資料)

 ですから、静岡市の県議会議員の重要な役割の一つとして、静岡市民が納めた税金が適切に使われているかどうか納税者の立場に立ってチェックすると同時に、県知事や担当部局に対し、市民の皆さんからのご要望やご意見を踏まえた政策提言をすることが必要となります。

 また、身近で分かりすい県の組織・業務の一つに警察(静岡県警察本部)があります。そして静岡市内に数多くある県有施設(グランシップ、草薙総合運動場、県営住宅、県立病院、県立高校、県立大学等)の在り方についても、当然ながら県議会でも議論しています。

 市町単位よりも県全体で取り組むべき課題や県内共通のルールとして定めるべき事柄を規定したものが県の条例です。私が昨年重点的に取り組み実現した「危険ドラッグ撲滅条例」もその一例です。また私の所属会派「ふじのくに県議団」が提案し昨年成立した「観光振興条例」も、県全体が一丸となって観光施策を推進することを目指したものです。県条例は静岡市民にも適用されますので、静岡市民の意見を反映させる県議会議員の役割はやはり重要です。


政令指定都市の県議会議員は減らせる!

 一言でいえば、静岡市が静岡県に属している限り静岡市にも県議会議員は必要です。しかし、政令指定都市には他の市町よりも多くの権限、財源が県から移管されています。例えば、政令指定都市化に伴い県道の管理は静岡市へ移管されました。静岡市の権限が強化されている分、県議会議員の役割は小さくなっていると言えるのですから、定数は減らすべきでしょう。

 現在の駿河区の県議会議員の定数は4で、議員1人当たりの人口は約5万3千人(平成22年国勢調査)、最も少ない選挙区(浜松市天竜区(定数1)約3万4千人(同))の約1.6倍です。定数を3にした場合、1人当たり人口の格差は約2.1倍程度ですので、例えば、駿河区については定数3にすべきではと以前から考えています。但し、単に議員定数を減らすだけでは県議会の機能低下につながりますので、県議会事務局に政策担当の専門スタッフを配置する等の機能強化も同時に図るべきです。

 今後も、より分かり易い県政報告を目指して参ります。率直なご意見、ご質問をお寄せ下さいますようお願い致します。

 お読み下さり、ありがとうございます。


議員報酬は高すぎる!?

2015-04-02 | 必見!の所見
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 4月1日の中日新聞に「議員報酬「生計に不安」」という見出しの記事が掲載されました


平成27年4月1日中日新聞記事


 個人や家族のプライバシーに関する部分があり、また、県議会議員選挙の直前ということもあり、「県中部の若手議員」という匿名で生計の実態が紹介されています。とはいえ、「主婦の妻と小学生2人の4人家族」等の説明もありますので、およその見当がつく読者もいらっしゃると思いますが、何を隠そう、「県中部の若手議員」とは私のことです。

 「議員報酬や政務活動費は高すぎる!」という批判が多い中、必ずしもそうとは言えないのではないかという視点から記事を書きたいという記者さんの依頼を受け、取材に協力致しました。間もなく選挙ということもあり、通常はない出費が昨年や今年は発生していますが、記事で紹介されている支出の内訳はあくまでもそうした特別の出費を除いたものです。

 税金など(議員連盟会費、本会議・委員会審議の際の昼食代、議員互助会会費等も含む)を除いた手取りの報酬が毎月約61万円。それに対し、毎月の政治活動に約15万1千円、自宅家賃等の生活費に約44万円で、報酬との差し引きで約2万円程が手元に残るというものです。年2回の期末手当もありますが、不定期にある特別の出費に加え、4年に1度の選挙では百万単位での支出があるため、4年間の収支はトントンぐらい(つまり貯金は殆どできない)ではないかという内容です。

 政治活動の約15万1千円はやむを得ない、必要最小限の出費と考えています。昨年、政務活動費不正請求の問題が明らかになった後、静岡県議会やわが会派「ふじのくに県議団」では政務活動費のルールの見直しを行ないました。例えば、これまでは、事務所家賃等に最大で全額の8割まで政務活動費を充当することを認めていたルールを見直し、上限を5割としました。そのため、以前の事務所家賃の自己負担が難しくなり、現在の家賃の安い事務所に移転をしました。また、印刷費等は、随時、すずきさとる新聞「すずしん」を発行するなどしているため、広報活動を行なえば行なうほど、自己負担分も増えることになります。更に、政党(民主党)への寄付については、民主党所属の議員である以上、県や衆議院小選挙区に置かれている党組織の事務所や職員等の経費を負担することは当然のことです。

 生活費については数字だけ見ると高すぎると思われる部分もあるかもしれません。例えば、家賃10万円(3LDKで駐車場1台分付き)は「もっと安いところがあれば」とは思いますが、前職の方の地元に住もうとした結果、他に安くて適当な物件がありませんでした。また、通信費等については、政治活動のための電話代が多く掛かっています。食費や交際費にも同様に政治活動等に伴う飲食代等が含まれています。健康保険料については額面上の報酬が高額な結果、上限額の保険料を支払っています。

 日頃から行政側に「無駄をなくせ」と主張してきた自分としては、自分の活動や生計に関しても、色々と工夫をして節約に努めてきたつもりです。今後も経費削減・効率化の努力を続けていきますが、基本的に、政治活動の内容や量を充実させれば、その分、経費もどうしても掛かります。一方、生活費については、子供が成長するにつれ、特に教育費が今後は増えることになります。加えて、若手県議と言われる私も既に45歳。今の議員にはかつてのような議員年金制度はなく年金は国民年金、また退職金もありません。そして妻もおりますので、老後のことも今から少しは備える必要があります。

 記事の最後に「ある程度の報酬は必要」と述べたのも、こうした実態を踏まえてのことです。事務所等を持たず、調査や広報等の活動も行なわなければ、政治活動費約15万円の殆どは不要となります。しかし、それでは十分な政治活動はできない、つまり、県議会議員としての責務は果たせないと考えます。

 県議会議員になる前は国会議員の政策担当秘書として12年程働いていました。正直に言えば、政策担当秘書の頃の方が家計的には余裕があり、貯金もそれなりにすることができました。

 以前、娘からこう言われました。「お金もたまらないし忙しいのに、何で秘書を辞めて県議会議員になったの?」。私にとって、自分の責任の下で自由に活動や発言ができ、努力を続ければ主張を具体化できる県議会議員の職務は、政策秘書以上に大変やりがいのあるものです。娘たちにはそうしたことをまだまだ上手く説明できていないのですが、私の仕事に関し娘たちにも胸を張ってもらえるよう、そして何よりも、有権者や納税者の皆様方に、議員報酬や政務活動費に少なくとも見合った、できればそれ以上の仕事をしていると思ってもらえるよう、今後も政治活動を精力的に行なって参ります。引き続きのご指導、ご理解をよろしくお願い致します。

 お読み下さり、ありがとうございます。


追記:政治活動費のうち、事務所家賃、駐車場代、光熱費、通信費、事務雑費はあくまでも自己負担分です。政務活動費を同額(つまり総額の5割)充当しています。
 

8月15日:改めて考えたいゲーリングの言葉の意味

2014-08-15 | 必見!の所見
 終戦の日の8月15日、清水区で開催された「静岡市戦没戦災等戦争犠牲者追悼式」に参列しました。

 


 追悼式の模様を伝える報道の多くがそうであったように、集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈の変更を安倍政権が閣議決定した直後の、今年の追悼式においては、昨年までとは違う思いを持たざるを得ませんでした。

 特に、今だからこそ改めて意味を考えなければいけないと痛感するのが、ヘルマン・ゲーリングの言葉です。

 ヘルマン・ゲーリングは、ヒトラーの下で、ドイツ軍の空軍総司令官や国家元帥等を務めた人物です。戦後は戦犯として捕えられ、ニュルンベルク裁判で絞首刑の判決を受けましたが、刑の執行前に自殺しました。 

 刑務所に収容されている際、ゲーリングは、訪ねてきた米国人の心理学者グスタフ・ギルバートとの対話の中で次のように語ったそうです。


ゲーリングは、肩をすくめて答えた。「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それはわかっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」

「しかし一つだけ違いがある。」と私(※ギルバート)は指摘した。「民主主義の下では、国民は選挙で選んだ代表を通して意見を言うことができるし、アメリカでは議会だけが宣戦布告できる。」

(ゲーリングは答えた。)
「それはそれで結構だが、意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
 (翻訳:鈴木)




※原文は赤い線で囲んだ部分(出典:G.M.Gilbert『Nuremberg Diary』(※G.M.ギルバート著「ニュルンベルク日記」)278~279ページ)


Nuremberg Diary
G.M.Gilbert
Da Capo Press



 最近の動きに、ゲーリングの言葉が意味するような、危うい流れをどうしても感じてしまいます。今のうちに何とかしなければと改めて思います。



 お読み下さり、ありがとうございます。

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集団的自衛権:非現実的な危険への備えが危険を招く

2014-07-07 | 必見!の所見
  7月1日、安倍内閣は、これまでの歴代内閣が決して認めてこなかった集団的自衛権を行使可能とする閣議決定をしましたその後の記者会見で、安倍総理は、5月15日の記者会見でも使用したパネル(①)を掲げながら、閣議決定の正当性を主張しました


※①安倍総理会見時におけるパネル資料(平成26年7月1日)


 パネルは集団的自衛権を行使する必要があるケースとして、「紛争地から日本に避難する邦人等を乗せた米国の輸送艦が攻撃を受ける可能性がある場合」を示したものですが、実際に有り得るものなのでしょうか。

 まず、米国の輸送艦が日本人を避難させるという状況が実に非現実的です。このケースは朝鮮半島での有事を想定していると考えられますが、韓国には約22万人の米国民間人がおり、米国人を避難させるだけでも相当の船や時間を要します。また当然ながら、日本政府も邦人救出のために船舶等を韓国了解の下で派遣するでしょうから、優先すべきは日本船防衛です。

 米艦を守る必要があるとしても、日本の領海や領空はすぐそこにあるのですから、個別的自衛権の行使で守ることが出来るはずです。

 また、以前から示されているケースが「米国に向かうミサイルが日本上空を通過する場合」ですが、米国本土に向かうミサイルは基本的に日本上空を通過しません(②)。


※②白線は北朝鮮がアメリカ本土を狙った場合のほぼ南端(ロサンゼルス等の太平洋側)のもので、ワシントンやニューヨークを狙った場合は更に北側(つまり日本上空を通過しない)となる。中国の場合もほぼ同様(Google earth画像を加工)。



 集団的自衛権の容認は、特に中国側に更なる軍拡を正当化する口実を与えるものであり、こうした非現実的な危険への備えが、却って危険や緊張感を高めると言うべきものです。

 確かに、米国にできて日本にできないことがあります。でも、だからこそ、日本にできて米国にできないことがあります。それは正に今の憲法と自衛隊の良さを活かすことであり、これまでの日本はそうした良さを活かして外交を展開し、国際的な信頼を高めてきました。日本の良き伝統を壊しかねない安倍内閣の暴走は、早急に止めなければいけません。

 お読み下さり、ありがとうございます。

「諦め」こそ、責任ある政治に不可欠

2013-11-26 | 必見!の所見
仏教用語としての「あきらめ」の政治

 日常で「諦(あきら)める」と言えば、努力を止めること、夢や目標等を断念することを意味します。つまり否定的な言葉です。ですから、「諦めの政治」とは普通は言いません。街頭で「諦めの政治を!」と言ったら、直ぐに「何言ってんだ!」と反論が返ってくることでしょう。

 しかし、敢えてここに「諦めの政治」と言うのは、ある教育に関する講演で「諦め」とは元々仏教用語であるという話を聞き、その本来の意味での「諦め」こそ、今の政治には不可欠だと考えるようになったからです。

 にわか仕込みの知識ですが、あきらめの「諦」とは「真理」や「道理」を意味するサンスクリット語からの漢訳語です。そして仏教用語で「真理を見る」という意味の「あきらかにみる」が変化して「諦める」になったと言われています。悟りを開いた釈迦が最初の説法で説いたのが「四諦(苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)という4つの真理)」であり、正に「諦める」の諦の字が使われています。

 つまり「諦める」とは、仏教では「物事の真理や道理を正しく見つめて受け入れること」であり、仏教の基本的な教えの一つとも言うべきものなのです(と私は理解しました)。

 今の政治や行政に必要なのは、正にそうした意味での「諦め」です。私たち納税者や有権者は、何か困ったことや必要なことがあれば行政や政治にお願いし、行政や政治も何とかそうした要望に応えようと様々な物を作りサービスを提供してきました。もちろん、その多くは本当に必要だったのでしょうが、結果として、莫大な債務も抱えるようになってしまいました。

 将来人口推計が示すように、今後は人口が減少し、高齢化も進みます。そして、高度成長期に整備した道路やトンネルといった様々なインフラ施設の老朽化対策が本格的に必要になってきます。また、東海地震や南海トラフ巨大地震対策も進めていかなければなりません。つまり、基本的に税収は減り続け、その一方で、大胆な改革や政策転換をしなければ、社会保障対策や老朽化対策、地震津波対策等の必要経費は増え続ける、そうした時代が当面は続くということです。

 私たちの子や孫、更に先の世代のことを考えれば、そうでいいはずはありません。債務が増え続ければ、それだけ、将来の世代の選択肢は狭まってしまうのですから、今から何とか債務を減らす手立てを考えなければなりません。それには、まず、現在と今後の政治や行政の状況を冷静に受け止め、これから出来ること(すべきこと)、そして、出来ないこと(すべきでないこと)を見極めること、つまり、「諦めの政治」が必要であるはずです。

 具体的には、例えば、人口減少や高齢化が進むにしたがって、経済活動やそれに伴う税収がどうなるのか、その一方、社会保障費、現在予定されている公共事業や今後本格化する地震津波対策のための費用、老朽化対策費等の支出がどのようになっていくのか推計する、つまり中長期的な財政見通しを出すことがまずは必要です。その見通しの中で、言い換えれば、将来の世代のことも考えながら、出来ることと出来ないことを明確にする、「諦める」ことが、責任ある政治だと考えます。

 地震津波対策を例に挙げれば、東日本大震災のような巨大地震に備えるには、様々な防災施設の強化が必要です。しかし、莫大な整備費と共に完成後の維持管理費も必要となります。いつ地震が発生するのか事前に分かるのであればそれまで全力を尽くせばいいのですが、もちろんそうではありません。いつなのかわからない以上、持続可能な対策を進めなければなりません。つまり、将来の世代のことも考えるのであれば、短距離走ではなく長距離走的な対策であるべきということです。何でもするのではなく、長期的に見てすべきではない、出来ないことはしない「諦め」が大切なのです。

 「諦めの政治」については12月議会の一般質問でも採り上げます。ぜひ傍聴してみて下さい

 お読み下さり、ありがとうございます。

2020年の後を見据えた東京オリンピックを!

2013-09-14 | 必見!の所見
 富士山の世界文化遺産登録に続いて2020年の東京オリンピック開催決定と、大変嬉しいニュースが続きました。

 しかし、前回の1964年の東京オリンピックの時とは状況が大きく違うことを考えれば、2020年までの7年間の政策、特に、オリンピック開催に向けた競技場等のインフラ整備、東日本大地震の被災地復興や福島第一原発事故に関わる処理等は、正に長期的な観点から進められなければならないはずです。

 なぜなら、1964年当時は人口が増加し続けていた高度成長期、しかし、これからは、人口減少・高齢化が続く時代だからです。

 端的に言えば、前回の東京オリンピックの時は、競技場、道路、鉄道等を次々に作っても、利用者はその後も増え続けることが期待できました。しかし、これからはそうではありません。全体的な利用者、需要は人口減に伴って減り、加えて、税収減と高度成長期のインフラの老朽化対策費の増加のために、新規のインフラ整備を行なうことは年々難しくなってきています。

 先日、福島第一原発を視察してきましたが、原発事故の処理、特に汚染水の問題は、周辺に住む、あるいは未だに避難を余儀なくされている方々のために、そして、今以上に世界からの信用を失わないためにも、投入すべき資源は惜しみなく投入して早急に目処をつける必要があるでしょう。

 他方、現政権は、三本の矢の一つとして、あるいは国土強靭化を目的として、既に大幅に公共事業を増やしています。ですから、今回のオリンピック招致により、インフラ整備を更に加速させることが予想されますが、景気対策あるいはオリンピックを成功させるという短期的な目的のためだけにインフラ整備を行なうことは避けなければなりません。

 国土交通省等が既に示しているように、このままでは、新規の建設どころか、既存施設の維持更新すら出来ない時代に間もなくなってしまうのです。ですから、新たにつくるのであれば、それは既存の老朽施設の建て替えとして、あるいは、同規模かそれ以上の他の施設を廃止するようにしていかなければ、財政的に維持できなくなります。また、建て替えるにしても、人口が減ることを前提にしたものでなければ、オリンピックが終わって暫くしたら閑古鳥が鳴いているようなことにもなりかねません。

 東北地方の復興も同様です。地域によっては再び巨大な防潮堤を整備しようとしていますが、果たしてそれが最善策、維持可能な政策なのでしょうか。作ってはみたものの、その防潮堤に守られる住民は減り続け、しかも暫くして財政難により維持修繕ができなくなるようなことはないのでしょうか。

 最近では日本の人口は1年間で20万人以上減っています国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計によれば、2020年には今から約3百万人(つまり茨城県や広島県等の人口より多い数)以上減の1億2410万人ほどになると見込まれ、その後も減少は続きます。

 政治の役割は、そうした人口減少社会の現実や将来をしっかり見据えた上で、「人口は暫く減り続ける。しかし、今までの人口増を前提とした考え方や社会システムを改めれば、新たな希望ある社会を創造できる」ことを国内外に示していくことでしょう。正に、2020年のオリンピックをその一つのきっかけとしていくべきです。

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