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6月8日に告示された静岡県知事選も残りわずかとなりました。ただ、残念ながら未だに関心度や盛り上がりは低調のようです。また、私も応援している川勝平太・現職静岡県知事候補は、その発信力や行動力から、熱烈な支援者を数多く獲得している一方、私から見ればかなり誇張されたイメージが伝わってしまっているせいか、否定的なご意見を持っている方々も少なくないようです。
川勝候補は今回3期目の挑戦をしています。私はその全てにかなり川勝候補に近い立場から関わってきました。現在私が2期目の静岡県議会議員として活動している元々のきっかけは、実は、川勝候補の最初の選挙を手伝った際に、川勝候補のユニークな人柄に接したことです。そして今回の選挙では、所属する県議会会派「ふじのくに県民クラブ」の政策調査会長を本年度務めることになったことから、川勝候補選対本部の政策担当としても現在活動しています。そのため、今まで以上に川勝候補と共に行動したり政策等について話し合う機会を得ました。
そんな身近なところから川勝知事・候補を見続けてきた者として、今回は「川勝平太私論」を述べたいと思います。
学者らしくない知事・政治家らしくない知事
私が初めて川勝平太候補に接したのは、最初の選挙である8年前。私は当時、民主党静岡県連会長、そして今の民進党県連会長である榛葉賀津也・参議院議員の政策担当秘書でした。榛葉事務所からのスタッフとして応援に入り、静岡駅南口にあった川勝平太選挙事務所近くのビジネスホテルに3週間程泊まり込んで(当時は埼玉県富士見市に住んでいたため)選挙戦に当たりました。
※2009年6月18日に静岡新聞に掲載された写真。告示日前日の慌ただしい選挙事務所の様子です。静岡県知事選挙告示日の朝刊に掲載されたため、川勝平太候補の文字や写真等がモザイク処理されています。8年前は白髪はまだほとんどなかったなあと改めて思います。あと、当時はスマホもまだなかったですね。
当時は民主党が政権を獲る直前。そのため、来たる衆議院総選挙への勝利につなげるべく、民主党本部は、当時の鳩山代表が何度も静岡県に来るなど、総力を挙げて川勝候補を応援しました。私の主な役割は、そうした党本部から次々に派遣される党幹部や党所属国会議員の日程等の調整・管理でした。
ただ、時折、川勝候補と共に静岡駅周辺の企業等に挨拶周りに行く機会がありました。何分、時間がない中での選挙戦でしたので、訪問先に関する資料を特に用意することもなく川勝候補をお連れしましたが、そこで驚いたのは、川勝候補は、政策等の同じ話を毎回繰り返すのではなく、訪問先の対応者の関心を引くように、話す内容を臨機応変に変えるところでした。慣れた政治家であれば当然のことですが、当時の川勝候補は政治家としては全くの初心者。そして学者出身ということで、頭の固い人かもと最初は勝手ながら想像していたのですが、直ぐに全く違うことに気付きました。
また、川勝候補は静岡県出身ではありませんが、富士山(「富」=ものの豊かさ+「士」=徳を備えた心豊かな人)のような日本(人)を目指すべきとする「富国有徳」という川勝候補が以前から主張していた考えを、前任者の石川元知事が取り入れ、また静岡文化芸術大学の学長に招かれたことからも明らかなように、川勝候補は静岡県とは長い縁があるだけでなく、富士山を仰ぐ静岡県を本当に心から愛している、静岡県出身ではないからこそ静岡県の良さを客観的に知っている人だということも同時に強く感じました。8年前の選挙の時から、富士山を前面に出して静岡県を世界にアピールする、観光立県にするという趣旨の想いを生き生きと語っていました。実は以前から政治家を目指していたのではないかと思わせるような語り振りでした。8年前から既に、学者らしくない政治家だったのが川勝候補なのです。
当時の私は、仕えていた榛葉議員が参議院総務委員会に所属していたこともあり、地方自治にも関心を持つようになっていました。そんな中、川勝候補に出会い、選挙を手伝う間に、「川勝候補が知事になった静岡県で県議会議員として人口減少問題等に取り組んだらかなりやりがいがあるだろう」と強く考えるに至りました。そして2年後の県議会議員選挙でお陰様でその想いを実現することが出来、今に至っています。
※8年前の選挙で当選後に川勝知事から頂いた色紙。
※川勝知事と意見交換(2014年7月)
このように、川勝候補は、私の知る8年前から学者らしくない政治家・知事でした。その一方、特に私が県議会議員になってからの6年間、川勝候補と様々な形で連携したり議論したりする中で同時に感じているのは、川勝候補は、政治家らしくない知事でもあるということです。
詳しくは後日改めてお話したいと思いますが、例えば、今回の選挙でも厳しい声が寄せられる田辺・静岡市長との関係について。一言でいえば、これはいじめでも高圧的な態度でも全くなく「激しい政策論争」。ただ私も正直に思うのは、時折、かなり強い表現を使うことがあり誤解の原因にもなっていることからそれは改めるべきということ。しかし、そうした感情的な表現を使うのは、川勝候補の正直さ、真面目さと、静岡市への強い愛情から発せられているものだと私は理解しています。
良し悪しは別として、表現を曖昧にするなり、適当なところで論争を止めたりすることも出来るはずですが、川勝候補は記者さんから問い掛けられると引き続き応えたり議論を続けたりしてしまう。改めるべきところもあろうかと思いますが、こうした人柄や性格は、この8年間、静岡県のことを国内外に強力にアピールしてきた川勝候補のユニークな発想や発信力の源でもあり、こうした言わば政治家らしくない部分は、今後も持ち続けて頂きたいと私は思います。
そんな川勝候補と残り数日間、想いや政策を一人でも多くの県民の皆さんに伝えるべく、出来ることをやり切っていきます。その一環として、本来であればもっと早く出来れば良かったのですが、もう一人の候補者である溝口候補は、かなり乱暴で大きな誤解を生みかねない主張をされていますので、それらへの反論や解説を、川勝選対本部の政策担当として(しかし、あくまでも私個人の見解であり、文責は私個人にあります)何回かに分けて行いたいと思います。
※アピタ静岡店前での街頭演説の後に川勝平太候補、福村隆・静岡1区総支部長、佐藤成子・静岡市議会議員と(2017年6月12日)
お読み下さり、ありがとうございます。
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6月8日に告示された静岡県知事選も残りわずかとなりました。ただ、残念ながら未だに関心度や盛り上がりは低調のようです。また、私も応援している川勝平太・現職静岡県知事候補は、その発信力や行動力から、熱烈な支援者を数多く獲得している一方、私から見ればかなり誇張されたイメージが伝わってしまっているせいか、否定的なご意見を持っている方々も少なくないようです。
川勝候補は今回3期目の挑戦をしています。私はその全てにかなり川勝候補に近い立場から関わってきました。現在私が2期目の静岡県議会議員として活動している元々のきっかけは、実は、川勝候補の最初の選挙を手伝った際に、川勝候補のユニークな人柄に接したことです。そして今回の選挙では、所属する県議会会派「ふじのくに県民クラブ」の政策調査会長を本年度務めることになったことから、川勝候補選対本部の政策担当としても現在活動しています。そのため、今まで以上に川勝候補と共に行動したり政策等について話し合う機会を得ました。
そんな身近なところから川勝知事・候補を見続けてきた者として、今回は「川勝平太私論」を述べたいと思います。
学者らしくない知事・政治家らしくない知事
私が初めて川勝平太候補に接したのは、最初の選挙である8年前。私は当時、民主党静岡県連会長、そして今の民進党県連会長である榛葉賀津也・参議院議員の政策担当秘書でした。榛葉事務所からのスタッフとして応援に入り、静岡駅南口にあった川勝平太選挙事務所近くのビジネスホテルに3週間程泊まり込んで(当時は埼玉県富士見市に住んでいたため)選挙戦に当たりました。
※2009年6月18日に静岡新聞に掲載された写真。告示日前日の慌ただしい選挙事務所の様子です。静岡県知事選挙告示日の朝刊に掲載されたため、川勝平太候補の文字や写真等がモザイク処理されています。8年前は白髪はまだほとんどなかったなあと改めて思います。あと、当時はスマホもまだなかったですね。
当時は民主党が政権を獲る直前。そのため、来たる衆議院総選挙への勝利につなげるべく、民主党本部は、当時の鳩山代表が何度も静岡県に来るなど、総力を挙げて川勝候補を応援しました。私の主な役割は、そうした党本部から次々に派遣される党幹部や党所属国会議員の日程等の調整・管理でした。
ただ、時折、川勝候補と共に静岡駅周辺の企業等に挨拶周りに行く機会がありました。何分、時間がない中での選挙戦でしたので、訪問先に関する資料を特に用意することもなく川勝候補をお連れしましたが、そこで驚いたのは、川勝候補は、政策等の同じ話を毎回繰り返すのではなく、訪問先の対応者の関心を引くように、話す内容を臨機応変に変えるところでした。慣れた政治家であれば当然のことですが、当時の川勝候補は政治家としては全くの初心者。そして学者出身ということで、頭の固い人かもと最初は勝手ながら想像していたのですが、直ぐに全く違うことに気付きました。
また、川勝候補は静岡県出身ではありませんが、富士山(「富」=ものの豊かさ+「士」=徳を備えた心豊かな人)のような日本(人)を目指すべきとする「富国有徳」という川勝候補が以前から主張していた考えを、前任者の石川元知事が取り入れ、また静岡文化芸術大学の学長に招かれたことからも明らかなように、川勝候補は静岡県とは長い縁があるだけでなく、富士山を仰ぐ静岡県を本当に心から愛している、静岡県出身ではないからこそ静岡県の良さを客観的に知っている人だということも同時に強く感じました。8年前の選挙の時から、富士山を前面に出して静岡県を世界にアピールする、観光立県にするという趣旨の想いを生き生きと語っていました。実は以前から政治家を目指していたのではないかと思わせるような語り振りでした。8年前から既に、学者らしくない政治家だったのが川勝候補なのです。
当時の私は、仕えていた榛葉議員が参議院総務委員会に所属していたこともあり、地方自治にも関心を持つようになっていました。そんな中、川勝候補に出会い、選挙を手伝う間に、「川勝候補が知事になった静岡県で県議会議員として人口減少問題等に取り組んだらかなりやりがいがあるだろう」と強く考えるに至りました。そして2年後の県議会議員選挙でお陰様でその想いを実現することが出来、今に至っています。
※8年前の選挙で当選後に川勝知事から頂いた色紙。
※川勝知事と意見交換(2014年7月)
このように、川勝候補は、私の知る8年前から学者らしくない政治家・知事でした。その一方、特に私が県議会議員になってからの6年間、川勝候補と様々な形で連携したり議論したりする中で同時に感じているのは、川勝候補は、政治家らしくない知事でもあるということです。
詳しくは後日改めてお話したいと思いますが、例えば、今回の選挙でも厳しい声が寄せられる田辺・静岡市長との関係について。一言でいえば、これはいじめでも高圧的な態度でも全くなく「激しい政策論争」。ただ私も正直に思うのは、時折、かなり強い表現を使うことがあり誤解の原因にもなっていることからそれは改めるべきということ。しかし、そうした感情的な表現を使うのは、川勝候補の正直さ、真面目さと、静岡市への強い愛情から発せられているものだと私は理解しています。
良し悪しは別として、表現を曖昧にするなり、適当なところで論争を止めたりすることも出来るはずですが、川勝候補は記者さんから問い掛けられると引き続き応えたり議論を続けたりしてしまう。改めるべきところもあろうかと思いますが、こうした人柄や性格は、この8年間、静岡県のことを国内外に強力にアピールしてきた川勝候補のユニークな発想や発信力の源でもあり、こうした言わば政治家らしくない部分は、今後も持ち続けて頂きたいと私は思います。
そんな川勝候補と残り数日間、想いや政策を一人でも多くの県民の皆さんに伝えるべく、出来ることをやり切っていきます。その一環として、本来であればもっと早く出来れば良かったのですが、もう一人の候補者である溝口候補は、かなり乱暴で大きな誤解を生みかねない主張をされていますので、それらへの反論や解説を、川勝選対本部の政策担当として(しかし、あくまでも私個人の見解であり、文責は私個人にあります)何回かに分けて行いたいと思います。
※アピタ静岡店前での街頭演説の後に川勝平太候補、福村隆・静岡1区総支部長、佐藤成子・静岡市議会議員と(2017年6月12日)
お読み下さり、ありがとうございます。