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国民が国を守るのか、国が国民を守るのか

2013-07-02 | 必見!の所見
 参院選を迎えるにあたり、私は、是非とも、自由民主党の「日本国憲法改正草案」を1人でも多くの方に読んで頂きたく思いますし、最近の会合では、事あるごとにそうおススメしています。

 何故なら、この憲法改正草案には、現在政権を担い、そして現時点では最も支持を集めている政党である自由民主党の基本的な考え方・政策の本質が、如実に書かれていると考えるからです。

 タイトルには「改正草案」とありますが、今の「日本国憲法」とは考え方が根本的に異なる「新憲法案」と言うべきものが、自由民主党の憲法改正草案です。詳細な説明は憲法学者等の専門家にお任せするとして、現憲法と自民党の「新憲法」とで180度異なっているのは、「国民と国の関係」

 国民が国を守るのか、国が国民を守るのか

の違いであると認識しています。

 端的に言えば、前者の

「国民が国を守る」という立場をとるのが自民党の「新憲法」

 そして、

「国が国民を守る」という考え方を具体化しているのが「現憲法」です。

 専門的な言い方をすれば、「立憲主義に基づく憲法」が現憲法であり、そうではないのが自民党の「新憲法」ということになります。

 「新憲法」の「国民が国を守る」という考え方が端的に現れているのは、「新憲法」第九条の二の部分です。

 第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する

 この項目では注目が「国防軍」に集まりがちですが、むしろ注意すべきは「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」の部分です。つまり、「国民の安全」を後回しにしてでも「国の平和と独立と安全」を優先して確保する、というのが自民党の「新憲法」なのです。

 この箇所を読む度に、正に「国を守るために」自らの命を投げ打った特攻隊員の事をどうしても思い浮かべてしまいますが、感傷的過ぎるでしょうか。


※『新編 知覧特別攻撃隊』(高岡修編)70ページより。今年の1月に会派の1期生で九州視察をした際、知覧特攻平和会館も訪れ購入しました。

 「国民が主人公」である現憲法と「国家が主人公」である「新憲法」の違いは他にもあります。例えば、現憲法の前文が「日本国民は」から始まるのに対し、「新憲法」の前文の書き出しは「日本国は」です。単なる単語の違いだけではないことは、「新憲法」をよく読んで頂ければお分かりになると思います。

 以前おススメした『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』の中(7ページ)で、著者の伊藤真氏は立憲主義について次のように述べています。

 国家は、個人の自由を制限し、有無を言わさず従わせる権力を行使し、国民を支配するという本質をもっています。立憲主義に基づく憲法とは、人々が強大な権力を持つ国王や領主たちに支配され、日々の生活から職業や結婚、宗教や人生観にいたるまで、がんじがらめに縛られていた時代に逆戻りしないように、国家権力をあらかじめ制限し、国民の自由を侵害させないようにするものです。

 「国が国民を守る」時代から、「国民が国を守る」時代へと逆戻りさせないための選択を、是非ともお願い致したく存じます。

 お読み下さり、ありがとうございます。

 

 

 

富士山世界文化遺産登録:今後解くべき「カン・カン・ボウ・ザイの方程式」

2013-06-23 | 必見!の所見
 当初除外すべきと勧告されていた三保の松原を含めた形で富士山の世界文化遺産登録が決定したことは、喜びと同時に大変な驚きでした。

 これは、川勝平太・静岡県知事、田辺信宏・静岡市長、文化庁や清水・三保地域の住民の方々を始めとする多くの方々が最後まで諦めずに努力した結果であることは言うまでもありません。ただ同時に、「九回裏二死満塁からのサヨナラ逆転満塁ホームラン」の勝利であるだけに、これからの課題は、その薄氷を踏むような勝利だった分、極めて大きいことも認識しなければいけないと思います。

 富士山を中心とした世界文化遺産の今後の課題として、私は「カン・カン・ボウ・ザイの方程式」を解くことが必要だと考えています。

 最初の「カン」は「」、つまり「環境」の問題です。今回の登録は自然遺産としての登録ではありませんが、言うまでもなく、すばらしい自然環境があり、そしてこれまで残されてきたからこそ、様々な芸術や信仰等の文化が富士山を中心として育まれ、今回認められました。ですから、少なくとも、現状より環境を悪化させるわけにはいきません。

 2番目の「カン」は「」、つまり「観光」の問題です。静岡県にとって、特に富士山静岡空港を経由して、海外から多くの観光客に来て頂くことが静岡経済の活性化に欠かせないと考えます。現状では、外国人にとっての富士山観光と言えば、箱根から見るか、新宿から中央自動車道を通って山梨県側から見たり登ったりするのが主流です。静岡県側から富士山を楽しむ外国人を増やすことは、2期目の川勝県政に課せられた急務であり、今回の世界文化遺産登録は正に絶好のチャンスです。

 3番目の「ボウ」は「」、つまり「防災」の問題です。日頃からの落石や滑落等の災害・事故防止や、万万が一の富士山大噴火や巨大地震の際の避難体制の整備等は、富士山あるいは周辺地域への訪問者が増加する分、よりきめ細かな対応や準備が必要となります。

 4番目の「ザイ」は「」、つまり「財政」の問題です。前述の3つの問題の解決にはそれぞれ投資が必要となりますが、国も県も市町も財政は大変厳しい状態です。ですから、何かをするにも、なるべくハードのものを作るのは避け、作るのであれば、将来にわたり採算が取れるものを民間に作って頂くようにするなどして、最大限、ソフト型、民間・住民主体型の取り組みを進めるようにしなければ長続きしません。

 例えば、逆転登録となった三保の松原に、この「カン・カン・ボウ・ザイの方程式」を当てはめてみましょう。

 まず「環」ですが、既に、クリーンアップ作戦等が展開され、イコモス(国際記念物遺跡会議)が問題視した「消波ブロック」も、移設に向けた検討が始められているようです。どちらも「観」の点からも望ましいことですが、消波ブロックの移設は新たな「財」を必要とし、また「防」の観点からは望ましくない面が出てくる可能性があります。

 「観」については、三保の松原の除外問題がクローズアップされて観光客がむしろ増えたようですが、一方で、生活道路での通行量が増えるなど地域の方々の生活に負の影響も与えているようです。解決策として新たな幹線道路を作るにも、やはり膨大な「財」が必要となります。

 「防」について言えば、少し前に、静岡文化芸術大学の磯田道史・准教授(映画にもなった「武士の家計簿」等の著作で有名)が、朝日新聞「be」土曜版の連載記事(現在も連載中です)の中で、「津波に弱いマツ林」について書かれていました。


※平成25年4月27日朝日新聞「be」記事

 詳細は記事をお読み頂きたく存じますが、東日本大震災で有名になり、保存措置が採られた陸前高田の「奇跡の一本松」。磯田准教授に言わせれば、その「奇跡の一本松」は「マツが防潮の役割を果たせなかったことの象徴物」でもあるのです。

 つまり、三保の松原をこれからも守るからといって、単に松を守り、あるいは新たな松を植えるだけでは、地域の方々の「防」、津波対策としてはむしろマイナスとなる可能性があるということです。ですから、今後は、磯田准教授も言及していますが、既に千葉県が進めているように、例えば、「羽衣の松」周辺の松は今後も維持に努めながらも、それよりも内陸の地帯には津波に強いとされる常葉広葉樹(マサキ、トベラ、ズダジイ、ウバメガシ等)を植えるといった方策も検討する必要があるように思います。

 登録された世界遺産が後に抹消されたケースが過去にあるだけに、私も引き続き「カン・カン・ボウ・ザイの方程式」を解けるよう努力を続けて参ります。ぜひ皆様方も、お智恵とお力をお貸し下さい。

 お読み下さり、ありがとうございます。

議会における「ねじれ」とは:静岡県に過去4年間「ねじれ」なし

2013-06-04 | 必見!の所見
 現在告示されている静岡県知事選において、「ねじれ状態を解消すべき」という主張が一部でされています。議会の過半数を占める会派が推薦しない方が知事になることで「ねじれ」が生じ、議会と知事・執行部側が常に対立してしまっては、予算案を始めとする案件がなかなか決まらず、県政が滞ることになります。他方、選挙では「闘った」としても、実際の議会や県政運営でお互いに協力し合えば、結果として「ねじれ」は生じないことになります。

 過去4年間の静岡県ではどうだったのでしょうか?確認したところ、現知事が就任してから直近の本年5月の臨時議会までに知事が議会に提出した案件は計734件(諮問案件2件を含む)、そのうち議会が否決したのはわずか2件でした。内訳は以下の通りです。


○知事提出案件

 平成21年(現知事分)   91件     
 平成22年          178件
 平成23年          175件
 平成24年          179件
 平成25年(~5月臨時会)111件 

  計 734件


○否決件数及び件名

(1)平成24年2月定例会 1件(不同意) 
    第91号議案 静岡県副知事の選任について

(2)平成24年9月定例会 1件(否決)
    第133号議案 中部電力浜岡原子力発電所の再稼動の是非を問う県民投票条例について

  計 2件


 つまり、一見すると対立関係にあるように見えても、実際に議会が否決したのは2件。そのうちの県民投票条例については最大会派以外でも反対票が投じられましたから「ねじれ」らしい否決は、副知事選任案件(副知事3人体制の可否)の1件だけでした

 しかも「ねじれ」とは、例えば国会では、法案の単発的な否決のことではなく、参議院で野党が過半数を占め、政府提出の法案が(容易に)通らない状態のことを言うのですから、その意味では、この4年間、静岡県政には事実上「ねじれ」は無かったと言うべきでしょう。

 是非とも、こうした事実を踏まえた上での、冷静なご判断をお願い致したく存じます。

 お読み下さり、ありがとうございます。



毎日が投票日:投票は子供達に対する大人の義務です!

2013-06-03 | 必見!の所見
 期日前投票に行って来ました。


※ピンク色のカードは「投票済証明書」。投票後にお願いすればもらえます。(6月2日)

 静岡県知事選挙の告示前や告示後にあちこち回っていて感じるのは、関心度が大変低いということです。争点がはっきりしていないように見えるからかもしれませんが、知事が変わればその後の4年間の県政、つまり私達の生活も多かれ少なかれ変わります。ですから、投票しない、選択しないという選択は、私達の今後の生活に無関心ということに他なりません。

 「誰が知事になっても(大して)変わらないから」という方もいるかもしれません。極端に言えば、政治が変わって自分達の生活がどのように変わろうとも構わない(文句は言わない)というのであれば、投票しないという選択も有り得るのかもしれません。しかし、ここで思い起こさなければならないのは、投票しないという選択も含めた選択は、投票したくても投票できない子供達(そして更に先の世代)にも影響を与えるということです。

 先日、娘に「何で子供は選挙に行けないの?」と聞かれました。仕事に出かけようとしていた時でしたので、「子供達には難しいからだよ」と説得力に欠けた回答でごまかしてしまいましたが、同時にふと思いました。「私達大人に「子供に選挙は難しい」と言えるだけの資格はあるのだろうか」

 これまでに膨大に積み上がり、そして今後も増え続ける借金を私たちの世代で完全に清算できるのであれば、私達がどんな選択をしようと構わないでしょう。ところが実際にはそうではありません。子供達や更に先の何世代にも渡って返済をお願いせざるを得ない事態になっています。静岡県だけでも、既に2兆5千億円を超える借金を抱えています

 もちろん、私達あるいは先輩の世代が残しているものは負の財産ばかりではありませんが、急速に老朽化が進む膨大なインフラと多額の借金は、将来の世代が取り得る正の選択肢、つまり「○○をする」「○○をつくる」という選択の幅を徐々に狭めてしまっているように思えてなりません。

 ますます複雑になる現代社会において、完全に正しい、誰もが納得し幸せになれるという選択肢は有り得ないでしょう。しかし、私達だけでなく将来の世代にとっても、「ましな選択」つまりベストではないがベターな選択肢はそれぞれの問題においてあるはずです。そうした選択をするのが正に選挙であり、自分達の生活のため以上に、投票したくても投票できない子供達の将来のことも考えて投票するのが、大人の最低限の義務、責任でしょう。

 期日前投票は手ぶらでも簡単に出来ます。投票日である6月16日に急に予定等が入るかもしれませんので、早めに投票を済ませ、大人としての義務、責任を果たしましょう!

 お読み下さり、ありがとうございます。

 

 

川勝知事の実績:外国との交流促進

2013-05-28 | 必見!の所見
 川勝知事がこの4年間で実行し成果を上げてきたことと言えば沢山ありますが、私はその主なものの一つとして「外国との交流促進(地域外交)」を紹介するようにしています。


※5月27日静岡新聞記事

 川勝知事が誕生する直前に開港した静岡空港では、国内線の利用者数は便数の減少と共に減る傾向にある一方、国際線の利用者は便数や就航路線の増加と共に増えてきています。中部国際空港等との厳しい空港間競争はありますが、この4月に新たに台湾に駐在員事務所を開設、そして新聞記事にありますように、来月にはシンガポールにある東南アジア駐在員事務所を強化するなどの一連の取り組みは、海外からの観光客やビジネスのための訪問を増やしたり、静岡の企業が海外でのビジネスチャンスを掴むことに必ずや寄与するはずです。

 また、6月にも富士山が世界文化遺産登録される見込みとなっていますが、これも静岡県に「ふじのくに」という名称を冠して世界に静岡県を売り込む(「Mt.Fuji」は海外でも有名ですが「Shizuoka」は全く知られていません!)、正に静岡県の「ふじのくに」ブランド化を積極的に進めてきた川勝知事の発想や努力によるところは決して小さくないはずです。

 私がこうした海外との交流を重視する理由は単純明快です。既に何度も申してきましたが、静岡県(そして日本全体)の人口は、少なくともこれから数十年あるいはそれ以上は人口が減り続ける(そして高齢化が進む)ことは否定しようがない現実です。ですから農林水産業や観光業を含めた静岡の産業が発展するには、海外市場に更に売り込む、もしくは市場が拡大する海外で直接生産して売る、同時に、海外の方にもっと静岡に来てもらい、様々な形でお金を使って頂くしかありません。政府も貿易や観光において日本のものを売り込む努力はしていますが、静岡県のことを常に考えているわけではありませんから、基本的には静岡県のものは静岡県自身で売り込んでいくしかありません。

 加えて、日本と中国や韓国等との関係が不安定である昨今においては、中国(浙江省)、韓国(忠清南道)、モンゴル、台湾等との静岡県独自の人脈や友好関係の重要性はより増していると言えるでしょう。

 ですから、是非とも、川勝知事にはこれからも地域外交を頑張って頂きたいと思いますし、私も微力ながらお手伝いをしたいと考えています。


※シンガポールのボーイスカウト連盟の役員の方達と交流(平成25年2月14日)

 お読み下さり、ありがとうございます。
 

高齢者の方にも大きな影響を及ぼす(はずの)ネット選挙解禁

2013-04-23 | 必見!の所見

※平成25年4月21日読売新聞記事(記事の中の写真手前に写っているのは、私のタブレットと肩と後頭部の一部です)

 再び、私達静岡県連のネット選挙解禁に向けた取り組みが新聞に取り上げられました。既に述べましたように、ネット選挙解禁に向け勉強会等を重ねてきましたが、その中で感じた点が2つあります。

 一つは、以前述べました通り、「いいね!」やリツート等のネット上の「口コミ」の影響は、政治においても今まで以上に大きくなるだろうということです。つまりは、政治家あるいは候補者本人の情報発信はもちろん大切ですが、そうした情報を周囲が「口コミ」することも候補者の陣営にとっては重要な戦略になるということです。

 マスコミにもよく登場する政治家のネットでの発言は勝手に広く口コミされますが、そうではない、私も含めたその他大勢の議員、候補者が発信した情報はそうはいきません。ネット上の口コミは、スマホやタブレット、ノートPC等のネット端末があればいつでもどこでも、そして事実上タダに近いコストでできるのですから、口コミを組織的に取り組まない手は無いでしょう。

 二つ目は、ネット選挙と言いますと「選挙や政治が若者により身近になる」というように若い世代への影響力ばかりが取り上げられがちですが、私は高齢者の方々にも十分に有効なそして影響力ある手段になると考えています。なぜなら、例えば、総務省の平成24年版情報通信白書によれば、65歳から69歳の方の60.9%、70歳から79歳の42.6%の方がインターネットを利用しているからです。


※属性別インターネット利用率及び利用頻度(「総務省平成24年版情報通信白書」より)

 実際、私がお世話になっている高齢者の方の中にも、インターネットを日常的に使っている方は結構います。若い世代に比べれば利用率は下がりますが、65歳以上の人口は今や3千万人を超えているのですから、インターネットを使用している高齢者の絶対数は決して小さい数ではないと思います。

 思い起こせば、NECのPC-8001に象徴されるような、それこそパーソナル・コンピュータ(PC)が普及し始めたのは私が小学校5、6年の頃。つまり30年ほど前のことです。そして、インターネットが使われるようになったのは、20年ほど前、私が学生の頃のことです。当時、30代から40代の方が今や60歳後半から70代になられているのですから、多くの高齢者の方々がPCを使いこなしていても何ら不思議ではありません。

 また、インターネット上の情報は大量にありますから、その中から欲しい情報を見つけ出したり、あるいは関心のある記事をしっかり読むことは時間を要する作業です。政治家のホームページやブログ等をじっくり読む時間やゆとりが確保できるのは、恐らく、若い世代よりも高齢者の方々ではないかと思います。

 ですから、私は県連等の会合で、ベテラン議員こそ、インターネットを活用した情報発信をより積極的にして欲しいとお願いをしています。なぜなら、私のような新人議員よりも、数多くの、インターネットを活用している高齢者との接点があるはずだからです。

 いよいよ川勝知事も次の知事選への出馬を正式に表明されました。知事選の期間中はまだネットを使っての選挙はできませんが、選挙前ならインターネットで様々な情報発信が可能です。しっかり、頑張っていこうと思います。

 お読み下さり、ありがとうございます。

浜岡原発県民投票条例:これから本気度が問われる

2012-10-27 | 必見!の所見
 9月議会最終日に行なわれた、浜岡原発県民投票条例案(原案)と修正案の採決では、私は以前述べた理由から、両案に反対票を投じました。我が会派7名の先輩・同僚議員が中心になって作成・提出した修正案については、県民投票の実施期日の点では私の考えと同様の修正が加えられました。しかしながら、選択肢については二者択一のままであり、それ以上に、時間等の制約もあり、「原発反対派と賛成派が、互いに冷静かつ建設的に会話や議論が出来るような形」の修正案にならなかったのは大きな問題点と考え、反対と致しました。

 県民投票条例案が否決されたことに対し、直接請求した住民団体の方々はもとより、各マスコミからも「住民の意思はどこに行った」「形式的な議論に終始した」等の批判が多く寄せられました。確かに、16万人以上の署名をされた方、あるいは大変な苦労をされて署名を集められた団体の方や受任者の方にとって、全く形にならなかったことは大変無念だっだろうと思います。しかし、議員として、16万人余の方々の思いを無視したり軽んじたりしたつもりは決してありません。今回は否決という結果になりましたが、総務委員長あるいは議長らも既に発言されているように、議論はこれで終わりではなく、これからも県民投票の是非や浜岡原発の安全性等について、議会として取り組む方向になりましたし、私も、従来から、9月議会後も県民投票のあり方等について議論を行なうべきと主張してきました。

 つまり、条例案可決という形にはなりませんでしたが、県議会なりに、16万余の住民の意思を受け止めたのです。今回の直接請求は、少なからず、県議会を動かしたのです。特に、当初から否定的と考えられていた自民改革会議が今後の議論の必要性を認めたことは、決して小さくない成果だと考えます。

 また、「形式的な議論に終始した」という批判については、少なくとも我が会派ではそのようなことは決してありませんでした。知事や県側が原案の不備の問題を指摘したことが議論をミスリードしたというような批判がありますが、私達にとっては、技術的な問題点が早い段階で明らかになったことで、会派内ではむしろ本質的な議論に集中することが出来たと考えています。総務委員会で集中審議が始まる直前の10月2日に、会派として、「原案は否決。修正案については会派として出すか出さないか意見は一致しなかったので、会派としては何もしない(つまり結果として修正案は出さない)」という結論を出しましたが、本質的な議論を繰り返したが故の結果でした。



※10月14日静岡新聞記事。我が会派の野澤会長が「封印」という言葉を使ったとありますが、私の記憶ではそれは無かったと思います。たとえ封印という言葉を用いていたとしても、それは議論を無理に止めるとか隠すという意味ではなく、これで一区切りという意味で使ったのだと理解しています。
 また、この記事に限らず、県民投票条例に関して、民主党の議員は電力会社の労働組合から圧力を受けているという主旨の報道が度々されましたが、それは短絡的な見方です。私の場合、国会議員秘書時代から、電力会社やその労働組合の方々とお付き合いがあります。以前から各地の発電所等を視察させて頂くだけでなく、特に昨年度は危機管理を扱う総務委員会に所属していたこともあり、日頃から疑問があれば電力会社や労働組合の方等に質問して説明を受けたり、議論したりしてきました。今回の議論や採決での発言と行動は、あくまでも自分の考えや信念に基づくものです。


 住民団体側等から、次の12月議会で川勝知事が今回の修正案のような県民投票条例案を出すべきとの意見が出されています。しかし、県民投票を実現させるにはどうすべきかと冷静に考えた上での主張のようには失礼ながら私には思えません。何故なら、もしも今回と同じ修正案をそのまま条例案として提案したとしても、今回反対した議員は当然ながら再び反対するだけです。内容に問題があって反対したのですから、その点が変わらなければ再び反対するしかありません。また、新たに条例案を作成するにしても、議会の過半数を占める自民改革会議が納得するような内容にする必要がありますが、9月議会で示された反対理由等からすれば、それはかなり難しい作業を要します。とりわけ、来夏の知事選が近づくにつれて、自民改革会議は川勝知事や私たちの会派に対して更に対決姿勢を明確にしてくるでしょうから、そうした時期に今回のような県民投票条例案を再び出せというのは、非現実的な意見と言わざるを得ません。

 間もなく浜岡原発が再稼働可能状態になるというのであれば急ぐ必要もあるでしょう。しかし、そうした状態は当面は考えられないのですから、県民投票を本当に実現させるというのであれば、正にこれから、「原発反対派と賛成派が、互いに冷静かつ建設的に会話や議論が出来るような形」にするための作業を丁寧に進めるべきです。こうした地道な作業が出来るかどうかで本気度が問われてくるだろうと思います。私たちの会派としては、今後も議論を続けていきますし、個人的にも、あるべきエネルギー政策について引き続き勉強や調査を続けていきたく思います。

 お読み下さり、ありがとうございます。
 

 

原発反対派と賛成派が「お互いに会話をする」ことの難しさ

2012-09-18 | 必見!の所見
 この19日に開会する9月議会で議題となる「浜岡原発再稼動の是非を問う県民投票条例案」について「県議会議員と語り合う集い」が静岡市内で開催され(15日)、地元議員の1人として出席しました。


※朝日新聞記事(9月16日)


 集いで述べた私の個人的な考え(つまり、我が会派を代表する意見ではありません)を要約すれば、以下の通りです。


.浜岡原発再稼動の是非は、1箇所の原発の安全性だけに関するものではなく、今後の原子力政策、エネルギー供給体制や消費のあり方等の重大な課題に関するものであり、県民的議論を喚起すべき問題である。県民投票を実施することは、そうした県民的議論を行なう手段、きっかけとなるものであり、県民投票を実施することには賛成である。

.浜岡原発が再稼動可能となる時期の目途はほとんどたっていない。現在、中部電力が実施している各種の地震・津波対策等の工事が終了するのは現時点では来年の12月末だが、政府による南海トラフ大地震の被害想定の公表を受け、更なる追加対策が必要になる可能性がある。また、耐震バックチェック、ストレステスト等も完了していない。最終的な地震・津波対策がどうなるか、いつ完了するか分からない段階での県民投票の実施は、客観性に欠けた議論や結論をもたらすことになり、望ましくない。

.議論では、結論を出すこと以上に結論に至るまでの過程がより重要である。同じ結論でも、より多くの方々がより真剣な議論をして出された結論の方が、より「重い」結論になる。よって今回直接請求されている条例案のように、条例成立から半年以内で県民投票を実施するというのは、県内の全市町で細かく意見交換会等を実施するには期間が短すぎる。

.浜岡原発再稼動の問題は、賛成か反対かという二項対立で考えるべき単純な問題ではなく、条例案で規定している二者択一の選択肢は望ましくない。実際の賛成や反対には、様々な賛成や反対が考えられる。また、今後のエネルギー政策のあり方や、浜岡原発と共に歩んできた旧浜岡町を中心とする地域あるいは静岡県の40年以上に渡る歴史の大転換、あるいは地域の雇用等、多種多様の問題があり、より現実的、建設的な結論を出すには、その選択肢のあり方についても検討委員会のようなものを設置して、あるべき複数の選択肢を検討すべき。そうした検討を行なうにも、半年という期間は不十分である。

.川勝知事の考えは、個人的な推察だが、「県民投票の実施には賛成だが、条例案には問題点がある。そうした問題点を修正した条例案を県議会で作成・議論し、9月議会で成立させてもらいたい」というものではないかと考える。個人的には、私が述べた問題点等を解消した修正案を完成させることが出来れば賛成したい。しかし、そうした修正案の作成と議会の過半数を占める自民・改革会議の了解をとるという作業が9月議会中に出来るかといえば、議会の能力(国会と違い、議会事務局には条例・法律の専門家はいない)的にも、時間的にも、極めて難しいと言わざるを得ない。ただし、9月議会で修正案が出来なかったとしても、16万余という署名者の声を尊重し、引き続き議会として新たな条例案の検討を続けるべきである。


 集いでは、こうした考えが上手く伝わらない部分もあったせいか、私の指摘に対する意見・反論が数多く寄せられました。また、今回の集いでは、当初の取り決めとして、浜岡原発の安全性や是非そのものについては議論しないことになっていたにもかかわらず、「浜岡原発は危険でいつ重大事故が起きてもおかしくないのだから、県民投票は早期に実施すべきだ」という主旨の発言も多く出されました。私は「浜岡原発は安全だから住民投票は必要ない」とは決して発言していませんが、条例案に対する問題点の指摘は、どうしてもそのように聞こえてしまうようでした。

 大前提として考えなければいけないのは、たとえ「浜岡原発は危険だから再稼動させない」ということになったとしても、その危険性を直ちに排除することはできないという点です。再稼動の是非に関わらず、当面実施すべき地震・津波対策に変わりはありません。県民投票の実施を遅らせることが浜岡原発の安全性を損なうということには決してならないのです。

 今回の集いに参加して最も実感しましたのは、「原発反対派と賛成派が「お互いに会話をする」ことの難しさ」です。私の考えを一言でまとめるなら、「原発反対派と賛成派が、互いに冷静かつ建設的に会話や議論が出来るような形で県民投票を実施すべきだ」ということになろうかと思います。そのためには、様々な工夫や準備と時間が相当必要になります。急いで県民投票を実施することは、その際の結論が「再稼動反対」となったとしても、恐らく経済界の主流を占める再稼動賛成派から、「非現実的な意見」として一蹴されてしまう可能性を高くしてしまうと思います。それでは、これまでのイデオロギー対立と変わらないのではないでしょうか。

 「とにかく原発に賛成」「とにかく原発に反対」ではなく、賛成であれば、福島第一原発のような事故を二度と起こさないようにするには何が必要か、増え続ける放射性廃棄物をどのように最終処分すべきか等、反対であれば、火力発電等で不足分を補うことに伴う電気料金値上げをどこまで受け入れるか、どこまで節電する覚悟があるか、エネルギー安全保障をどう確保するか等についても、より具体的な解答を考えておくことが不可欠と思います。そうした解答を互いに出し合い議論を続ければ、自ずとお互いにとって受け入れ可能な選択肢が見えてくるはずと考えるのは楽観的過ぎるでしょうか。

 県民投票条例案への対応については、19日の開会日に示される知事のご意見も参考にしながら、引き続き会派の議員と共に検討していきます。お互いに冷静に考え議論していきましょう。


※15日の議論の模様については、以下のYouTubeの映像で見ることが出来ます(主催者側が撮影)。どうぞご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=lXSW6im3qmo&feature=youtu.be

 お読み下さり、ありがとうございます。

 

 

 
 

宣誓!私は「先生」と呼ばれないように心掛けることを誓います!!

2011-05-27 | 必見!の所見
 おやじギャクで申し訳ありません。そう言えば、この春は私にとって「41歳の春」。正に、元祖天才バカボンのパパの、あのやや悲しい響きの歌の歌詞「41歳の春だから…」と同じ春にいることに今、気が付きました。というわけで、「冷たい目で見ないで」下さい…

 さて、実は選挙前からずっと考えていたのが、「議員になっても先生と呼ばれないようにすること」です。なぜなら、自分は当選したといっても、県議会議員という地位や職責は得たものの、何か特別に才能がついたわけでも偉くなったわけでもなく、学校の先生や医者のように何かを教えたり治したりする人間になったわけでもないからです。

 加えて、これまで私も様々な政治家、議員の方々を見て参りましたが、中には、当選する前は「普通」あるいは「庶民的」だったのに、当選後、段々と「偉く」なっていく方が何人もいました。恐らく、そうなってしまう原因の一つが、周りから「先生、先生」と持ち上げられることにあると常々思っています。私は決してそうはなりたくはありませんし、いつまでも、同じ静岡県民あるいは静岡市民の一人として、地元の仲間としてお付き合いをして頂きたいと思っておりますので、自分への戒めの意味も込めて、「先生」とは呼ばないようお願いをしています。

 議員を「先生」と呼ぶのは慣例となってしまっていますので、必ずと言っていいほど、県の職員の方は「先生」「鈴木先生」と私のことを呼びます。それに対して私は「先生とは呼ばないで下さい。鈴木議員あるいは鈴木さんで結構です」とお願いすると共に、「私のことを先生と呼ぶのなら、私もあなたのことを先生と呼びます」と付け加えます。半分は冗談ですが、半分は、自分にとってはあなた方が先生だという意味で言っています。つまりは、県の様々な事業や実務については県の職員の方のほうが断然詳しいわけですから、少なくともその分野については私の方こそ学ぶことが多くあるはずだということです。

 それは県の職員の方に限らず、どなたにおいてもそうだと思います。皆様それぞれ様々な生き方をし、様々な分野で活躍されている、あるいはされてきたわけですから、どなたからも学ぶべきことはあると思います。ですから私にとっては皆様が先生であり、先生と呼ばれれば先生と呼びかえすというのは、そうした意味からです。

 ただ、私もそうは言いながらも、国会議員秘書時代から議員の方々を「先生」と呼んできました。今はなるべく、失礼な奴と思われることが無いように、「会長」「幹事長」という肩書きをつけて呼んだり、差し支えないと思える方には「○議員」「○先輩」「○さん」と呼ぶようにしていますが、どうしても、まだまだ「先生」と呼ぶこともあります。そういう意味では矛盾している部分もあるのですが、私自身は、やはり、議員を先生と呼ぶのは悪しき慣例だと基本的に思いますので、少しでも変えられるように、まずは周りから働きかけていきたいと思っています。

浜岡原子力発電所全炉停止に関する私見

2011-05-11 | 必見!の所見
 先月22日にふじのくに県議団で実施した浜岡原発視察について報告を書こうと思っているうちに、事態は大きく進展しました。ですから、まずは今回の浜岡原発全炉停止に関して、私の考えを簡単にまとめてみたいと思います。

 今回の菅総理の決断そして政府からの停止要請という政治判断について、私は基本的には止むを得ない判断だと思っています。御前崎市を中心としたご地元の方あるいは政治家の方からは「なぜ事前に説明が無かったのか」等のご意見も出されていますが、逆に、丁寧に地元や関係者に説明や相談をしていたら、こうした判断・政策転換はできなかったのではないでしょうか。勿論、理想を言えば、しっかりと関係者の意見を聞き、そして、全炉停止による影響を最小限に抑えるための手立て、例えば、計画停電無しで特に夏の需要期をどのように乗り越えるのか、等について万全の計画を立ててから全炉停止要請は行われるべきなのでしょう。しかし、そうした事前の準備や根回し・調整を行っていたら、どれだけの時間が掛かっていたことでしょう。残念ながら、いつ発生してもおかしくない東海地震に備えなければならないわけですから、原発を止めてから、あるいは止めながら対策を考えるというやり方は、浜岡原発のケースについては止むを得ないと思います。

 また、事前に説明をしなかったとはいえ、菅総理も全く地元の意向を無視していた訳ではありません。専門家のみならず、川勝・静岡県知事や静岡県の国会議員である細野豪志・総理大臣補佐官等から様々な情報や意見を聞いており、推測ではありますが、とりわけそのお二方からそれなりに地元の情報等を得ていたからこそ、一般的には唐突とも言われる決断が出来たのだと思います。

 言うまでも無く、これからの課題は山積しています。まず、全炉を停止したとしても、使用済みも含めた核燃料は既に廃止措置がとられている1・2号機も含めた5つの原子炉全てにあるわけですから、福島第1原発のような災害・事故を防ぐためにも、津波対策、大地震対策は全力で進めなければなりません。そして、短期的には節電努力と共に火力発電等の能力・稼働率引き上げで乗り切るしかないのでしょうが、同時に長期的な政策として、原発しかも大規模な発電所に大いに依存するのではなく、小型、分散型の水力、地熱、太陽光、風力あるいは間伐材等のバイオマス燃料を燃やす火力等の小規模発電所も各地に配置した電力供給体制に移行する努力を進めていくことが、災害や事故、更にはオイルショックのような世界情勢の変化にも強い日本を創り上げるのに必要なのではないでしょうか。

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すずきさとるの決意

2011-03-31 | 必見!の所見
 私が、来たる静岡県議会議員選挙におきまして民主党静岡県連から公認決定を頂き、記者会見を致しましたのは、2月14日のバレンタインデーでした。今からわずか、1ヶ月半ほど前のことです。私は、いわゆる、地盤、看板、かばんを持たない、全く無名の新人です。当然ながら、記者会見当時は、私のことを知っている方はごくわずかでしたし、今でも、知らない方が大多数だと思います。しかしながら、そんな私を、これまで、牧野聖修・衆議院議員を中心とする牧野後援会の皆様、TOKAI労働組合の柿宇土委員長を中心とする連合静岡の皆様、今回、私の応援団長を務めて頂いている鈴木祥夫さんをはじめとする中田、大坪、八幡、稲川等の地元の皆様など、実に多くの方々が、会って間もない、良くも知らない私のために、様々な活動や働きかけを展開して頂き、これまで活動することが出来ました。本当にありがたく思います。

 私は、ここまでに至る活動を通して、そして、今回の東日本大地震に関する映像やニュースを拝見し、改めて、人は一人では決して生きてはいけない、私が、これまで元気に活動に励むことができますのも、家族だけでなく、実に様々な方とのご縁やその後のお付き合いのおかげであるということを痛感致しました。東日本大地震では実に多くの悲しい出来事がありましたが、そうした中で、80歳のおばあちゃんと16歳のお孫さんが地震発生から9日ぶりに救出されたという奇跡的なニュースがありました。寒い被災地で9日も生き残ることができたのは、厳しい環境の中で様々な好条件が重なった結果だと思いますが、その中でも、最も幸運だったのは、私は、その場に、1人ではなく2人一緒にいたということだと思います。互いに励ましあい、互いに助け合ったからこそ、9日間も生き延びることが出来たのだと思います。その場に1人しかいなかったら、9日間も生き延びるのは極めて難しかったことと思います。

 私は防災において最も重要なのは、地域やコミュニティが、災害時に、如何に一体となって互いに助け合って活動できるかということだと思います。地域や近所の住民がお互いに良く知っていれば、誰かが逃げ遅れても、あるいは、とても1人では逃げ出せない方がいても、他の誰かが助けに行くことが出来ます。逆に、近所の人が誰も存在を知っていなければ、その方は逃げ遅れても、あるいは災害に巻き込まれて亡くなっても、誰もその事実を知らないということになってしまいます。どこに誰が住んで何をしているのか互いに知っているというのは、昔では当たり前のことでした。しかし、現在は、一人暮らしのご老人が誰にも知られずにひっそりと亡くなってしまうということがたびたび報道されるように、地域コミュニティは崩壊している、あるいは、無縁社会が到来していると言われます。先に述べましたように、人は一人では生きてはいけません。災害の際は特にそうです。誰もがお互いのことをよく知っている、日頃からちょっとしたことでも助け合っているという地域コミュニティを再生することが、災害に強い街づくりにも欠かせないはずです。言い換えれば、私は、住民の活力が発揮される、災害に強い静岡を目指します。そして、そのために必要な後押しを行政は積極的に行うべきだと考えます。

 とにかく、私たちは、様々な教訓を今回の大地震から学ばなければなりません。今回の大地震の規模はマグニチュード9、そして、10mから20mという強大な津波が各地を襲いました。現在の東海地震での想定では、マグニチュード8、起きる津波も10m以下だろうということになっています。ですから、今回の大地震のメカニズムやその後の避難、支援活動等について徹底的に検証した上で、東海地震に対する備えや避難計画等を全面的に見直さなければなりません。そのための努力は、既に始まっておりますし、私も1日も早く現地に行き、被災され避難された方への支援と共に、現地調査を行いたいと思っております。そして、専門家や防災担当者と共に、具体的に、例えば、避難計画や避難場所をどう見直すべきか、堤防や防潮堤をどこまで作り、補強すればいいのか等についてこれからしっかり調査し、検討したいと思います。

 まだまだ、皆様に訴えたいこと、お伝えしたいことはたくさんあります。しかし、時間には限りがありますし、何よりも、私の訴える能力に限界があります。私は、当然ながら、万能な人間でも、天才でもありません。ですから、私一人にできることは本当に限られています。ただ、私は、皆様から、一人でも多くの方から、ご協力やご理解を得ることができれば、何か大きなことをするきっかけ、あるいは、糸口にはなれるのではないかと思っています。そう思うからこそ、私は駿河区で活動しています。そこで、お願いがございます。私、すずきさとると一緒だとこれまでとは違うことができそうだ、あるいは、すずきさとると一緒に活動すれば、少しは静岡も元気な町になるかもしれないと思って頂ける方は、ぜひとも、そのことを一人でも多くの方にお伝え頂きたく存じます。私は、少しは何かに役立つ道具になれると思っています。ですから、一人でも多くの方にすずきさとるを使って頂ければ、それだけ少しは大きな仕事ができるはずだと考えています。私は、既に多くの皆様とのご縁を頂き、心から大変有り難く思っています。ですから、私は、そのお返しとして、皆様にとりましても、私との縁が少しはお役に立てるよう、すずきさとると知り合って良かったと思ってもらえるよう、これからも引き続き全力を尽くして参ります。41歳の若輩者ですが、ご支援とご協力を賜りますよう、何卒、よろしくお願い致します。

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大震災の教訓②「人は一人では生きてゆけない」

2011-03-22 | 必見!の所見
 東日本大震災が発生してから9日ぶりに80歳の女性とその方のお孫さんである16歳の男性が救出されたというニュースが駆け巡りました。災害時には、よく、発生から72時間経過すると生存している可能性が極めて低くなると言われますが、正にその3倍の期間を生き延びられたことになります。大変寒い中、よくぞお孫さんはお婆さんを守りきったと思うのと同時に、恐らく、お孫さんにとっても、お婆さんと一緒だったからこそ、「お婆さんを守らなければ」という強い意思、目標を持つことができ、時には励まされて、その結果、厳しい環境を耐えることができたのだろうとも推察致します。

 昨年発生した、チリの鉱山での落盤事故も同様だったろうと思います。33名の作業員が、事故発生から救出されるまでの69日間を地下数百メートルの坑道で生き抜きました。事故後18日目に発見され、その後しばらくしてからは地上から様々な支援を受けたわけですが、特に、この発見されるまでの18日間を如何にして全員が生き抜いたのか。33名いたために食べられる食料はわずかでしたが、現場監督だった方を中心に33名が互いに協力し合い、そして励まし合うことができたことが、生存を可能にした大きな理由だと思います。もしも坑道に残されたのが一人だったらどうだったでしょうか。食べ物は十分にはなりますが、一人で出来ることは限られますし、そもそも、救援が来る保証が全くない中で発見されるまでの18日間、あるいはその後の51日間を一人で行き抜くことは、特に精神的に極めて困難だったことでしょう。お婆さんとお孫さんの場合も、幸運にも一人ではなく二人だったからこそ、生き抜くことが出来たのだと思います。

 災害時だけでなく、普段の生活でも同様だと思います。私が現在、駿河区で活動ができますのも、家族だけでなく本当に様々な方々とのご縁や多くの方からのご支援があったからです。また、これからも、縁やご支援、ご協力が無ければ、本当に何も出来ないと思います。日々、ご縁やご支援の有り難さを痛感し、また、決して「当たり前」と思わないように心掛けています。

 今はインターネットが使える環境にあれば、外に出なくても大抵の物が手に入ります。しかし、災害時にはインターネットも使えなくなってしまいますし、誰にも存在を知られていなければ、誰も助けに来てくれません。昨今は地域コミュニティが崩壊し、隣に誰が住んでいるのか分からない、一人暮らしの老人が誰にも知られずに亡くなるという「無縁社会」になりつつあると言われます。現時点でも東日本大震災に遭って行方が分からない方が大勢いらっしゃいますが、誰も捜索願を出していない、行方不明者の数に含まれていない、つまり、「忘れられた行方不明の方」も相当数いらしゃるのかもしれません。やはり、人は一人では生きてはゆけません。何処に誰が住んで何をしているのか互いに知っているという、昔では当たり前の地域コミュニティを再生することが、災害に強いまちづくりにも不可欠なはずです。

すずきさとるの想い (プレス民主号外・駿河版 2011・2・19号より)

2011-03-21 | 必見!の所見
 国や地方自治体の財政難が叫ばれ、「孤独死」に象徴される地域コミュニティの崩壊が進む今こそ、「DIYの政治」が必要だと考えます。

 「DIYの政治」とは、日曜大工や家庭菜園のように、「自分達で出来ることは自分達でやろう!」という政治を意味します。これまで政治家や役所に政治を任せきりにしてきたために、行政のコストや無駄、そして債務は大きく膨らんでしまいました。

 自分達でも出来ること、例えば、近所の公園の草木の手入れや堆肥作りによる生ゴミ減らし等を自ら実践すれば、その分、行政のコストは削減できます。また、そうした活動を近所や地域で協力し合えば、地域コミュニティの再生にもつながります。

 まずは身近で出来るところから「DIYの政治」を実践し、一緒に、活気あふれる「ワッショイ!静岡!!」を創り上げていきましょう!

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大震災の教訓①

2011-03-14 | 必見!の所見
 想像を超えた、かつてない巨大な地震が起きてしまいました。被災された皆様には、謹んでお見舞い申し上げます。

 今回、改めて、地震の恐ろしさ、とりわけ、津波の巨大な破壊力を目の当たりにしました。今や「TSUNAMI」は国際語となっていますが、通常の波「WAVE」とは性質が全く異なることを再認識致しました。

 同様の大地震の可能性を以前から指摘されているのが、正に、我々が住むこの静岡県沖で起こるといわれている「東海地震」です。特に、海に面する駿河区は、耐震化だけでなく津波への備えを十二分にしなければなりません。

 偶然にも、震災が起きた日の午前中は久能地域におりました。穏やかできれいな海が広がっておりましたが、同様の地震が静岡沖で起きたらどうなるのか。今回、津波の被害を受けた地域もそれなりの備えをしていたはずです。にもかかわらず、甚大な被害を受けてしまいました。これから詳しく検証しなければいけませんが、マグニチュード9という震災の規模を初め、想定外の現象が複合的に発生したと考えられます。

 現在想定されている規模の東海地震が発生した場合、津波の大きさは、御前崎港で約5.7m、焼津港で3.6m、清水港で3.2m程度とのことですが、果たして十分な想定と言えるのか。総力を挙げて今回の震災のメカニズムを分析し、想定される東海地震における前提条件とそのための備えを徹底的に見直すことが不可欠なはずです。

※参考:静岡県「第3次地震被害想定

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