頑固だから、孤独な高齢者になるのではない。
歳をとると、体が衰え、収入も減少するから、好むと好まざるとに関わらず、孤独な高齢者になる。
それは自然の摂理に従ったことかもしれない。
高齢になると、知らず知らずのうちに、過去の成功体験に拘泥し、人の意見を聞かなくなる。
成功体験が無ければ、こんどは、無気力になる。
頑固と無気力、どちらがいいのか。
いずれにしても、若い頃のように、新しく何かにチャレンジするなんて不可能。
もし、いつまでもチャレンジしていたら、それこそ、病気にでもなって御陀仏。
大企業のエリートでも、定年後は、勤め先の再雇用でも無ければ、就職先を見つけるなんて無理。
最強の士業の弁護士ですら、高齢になると、弁護士会費や事務所費などを負担できなくなり、廃業するくらいだ。
所詮、人間関係は、利害関係。
家族も友達も、自分の得になる相手なら、我慢してでも付き合ってくれる。
悔しいが、資本主義社会では、金があれば何でもできる。
長年、生きてきて、これこそが真実だと認めざるを得ない。
子供の頃、金持ちになりたいと思ったことがある。
ガリ勉して、いい大学に入ろうとしたのも、今思えば、金持ちになりたかったからだ。
ところが、ある程度の年齢になると、親が金持ちでも無い限り、金持ちには、なれないという辛い現実に気づく。
そこで、悔し紛れに、仕事に生きがいを見出すことになる。
ところが、自分を洗脳して、「金より生きがい、働きがい」という価値観を身につけようと、何十年も努力していると、いつの間にか「孤独な高齢者にまっしぐらな自分」に気づくことになる。
気づいたからといって、どうしようもない。
理不尽なこの世の中を、何とか生き抜いていくためには、「孤独な高齢者にまっしぐら」な生き方しかないのだから。
利害、損得無しに付き合えるのは、運命共同体である家族、幼馴染、同窓生、勤務先のOBなどと思っていると、裏切られる。
人間、生きていくには金がかかる。
利害、損得無しなんて訳にはいかない。
資本主義社会は、厳しい社会。
競争に勝たなければ、生きていくための金すら得られない。
そんな社会を見回すたびに、「みんな我慢強く、立派に生きていて凄い」と尊敬する。
いつの頃からか、勢いを失った日本。
将来への不安を抱えながら、過酷な労働に打ちひしがれて、無気力となった中高年。
高度成長期世代のような成功体験を味わえず、自信を喪失した若者。
そんな、中高年や若者を尻目に、いまだにJapan As Number Oneのまま、頑固に突っ走る、自信過剰な政治家。
いつの間にか、政治家が、勝ち組になってしまった。
本来なら、国家の脇役の筈が、主役である国民を食い物にしている。
そんな勝ち組の政治家ばかりが、為政者となって、日本をコントロールしている。
これではいけない。
でも、もう手遅れかもしれない。