日本をはじめとする西側諸国は、民主主義こそが最高の政治制度だと、いつも自慢している。
ところが日本の選挙の投票率はと言うと50%にも満たない。
そのせいで、日本の民主主義は、一部の政治を商売にする人たちの家業か就活か起業のようになってしまった。
こんな形骸化した民主主義、本当に自慢できるのだろうか。
そもそも民主主義が最高の政治制度だと言う所以は、金持ちだろうと上級国民だろうと、庶民と同じ「1票」という平等の選挙権しか持てないことだ。
民主主義は、資本主義とは相容れないような平等な価値観に基づいているのだ。
考えて見れば、資本主義社会は、弱肉強食の過酷な競争社会。
競争の勝者による、富や地位や名誉の総取りが容認されている。
競争の勝者は、資本主義社会のヒーロー。
しかも資本主義では、資本家(上級国民)と労働者(庶民)の格差は、公平な競争の結果だから、甘受すべきということになる。
能力や努力不足や怠惰によるチャレンジの失敗は、全て自己責任。
公平な競争の結果としての不平等だから、負ける者が悪い。
とにかく自助努力で這い上がるしかない。
そんな競争を是とする過酷な資本主義。
それなのに、いつのまにか社会主義や共産主義を駆逐してしまった。
弱肉強食の資本主義が、世界の主流になったのは、不平等と不公平が大好きな欲深い人間の本能のせいかもしれない。
ただこの頃、事態が変わってきた。
資本主義の目玉だった「公平な競争」なんて実はどこにも無いということが、バレてきたからだ。
そりゃそうだろう、生まれた家が、金持ちか貧乏か、世襲の政治家や経営者の家系か、ただの庶民の家系かで、人生は何から何まで大違い。
そればかりではない。庶民の家系と言っても、親の学歴や教養レベルは違うし、本人のIQや運動能力、容姿や身長だって違う。
そんな、生まれながらに、家庭環境や個体差のある不平等な人間同士を、資本主義では同じ土俵で戦わせるのだから、結果は明らか。
勝つべき者が勝って、負けるべき者が負ける格差社会に真っしぐら。
戦いに負けたからと言って、黙って、おとなしくしていたら、いつまでたっても負け犬のまま。
かと言って、武器を持って、テロや革命を起こすなんてあり得ない。
どこにも救いは無いのだろうか、いや、思い出して欲しい「民主主義」と言う救いがあることを。
民主主義国家である日本では、上級国民であろうと、庶民であろうと、「1票」という平等の選挙権を持っているということを。
だから、よく考えて欲しい。
「たった1票」などと言って、選挙に行かないことが、どれだけ無責任かと言うことを。
とにかく、人生や日々の生活の中で、腹が立ったら、選挙に行こう。
民主主義国家の国民が持つ、真に平等な選挙権を行使しない限り、この国は変わらないからだ。
そんなことを考えていたら、心配になってきた。
国民が投票に行かなくなった日本は、民主主義国家とは言えなくなってしまうのではないかと。