日本では、ツイッターを買収したイーロン・マスク氏の情け容赦のない改革を、批判する人もいるようだ。
しかし、資本主義国家のアメリカで、イーロン・マスク氏が下した経営判断に、ステークホルダーでもない人間が、文句を言うのは筋違いだろう。
そもそも、資本主義社会では、金を持っているか否かが全て、「金持ち競争の世界」。
金持ちこそが、全知全能の神なのだ。
いくら自由と民主主義が大好きだと言っても、金が無い人間にとっては、自由や民主主義なんて無縁だということを、そろそろ理解すべきだ。
自由や民主主義なんて大嫌いでも、金持ちになれば、自由と民主主義の方が、すり寄ってくる。
それが資本主義。
自由も民主主義も、資本主義の勝者のイデオロギーであって、敗者には無縁。
最近、ようやくアメリカ人は、そのあたりを理解してきたようだ。
そのせいか、最近のアメリカ映画やドラマの主役は、スーパーヒーロー、ゾンビ、超能力者、エイリアン、怪獣、吸血鬼、魔術師、悪魔、魔女ばかり。
まともな人間には、興味がなくなってしまったらしい。
それは、そうだろう。
金のない人間にとっては、スーパーヒーロー、ゾンビ、超能力者、エイリアン、怪獣、吸血鬼、魔術師、悪魔、魔女こそが、資本主義で痛め付けられた自分のアバターとしては、もってこいだからだ。
まあ、アメリカの映画やドラマの主人公が、真っ当な人間でなくなったからと言っても、面白ければ、文句をを言う筋合いではない。
それにしても、最近のアメリカって、かなり変わってきた。おそらく、当のアメリカ人だって、気付いているだろう。
そんな、アメリカの変化は、直ぐに日本へ波及する。すでに、その変化は日本でも顕著になってきた。
映画やドラマが、現実逃避傾向になってきているのだ。そんな最近の、現実逃避傾向の理由を考えてみた。
独断と偏見で言わせてもらえば、その原因は「格差」だ。
方や無一文か、生きるのにギリギリな人間、方や国家レベルの富を持つ人間。そんな全く異質な人間が、自由と民主主義を共有するなんて、どだい無理だろう。
しかし、そんな無理がまかり通っているのが、格差社会アメリカ。
まだ、日本はそこまで行ってないが、アメリカのような格差社会になるのも、時間の問題だろう。
最近、若者がよく使うフレーズに、「違う景色が見たい」というのがある。なかなか、いい響きだが、現在の格差社会を象徴するフレーズのようで、もの悲しい。
このフレーズを聞くと、「上級国民になって、タワーマンションから、下界で人々が苦しむ様を、おのれの成功をツマミに、シャンパンでも飲みながら眺めたい」と言っているように思えるからだ。
「違う景色が見たい」と言う人たち。今、自分がいる世界に絶望し、いつかそこを脱出して、上流社会に這い上がりたいという夢に、生き甲斐を見出しているのだろう。
いつの時代も、若者が「違う景色が見たい」と願うのは、健全だ。
しかし、「自由や平等そして民主主義」を愛する若者が、自分を卑下するような悲しい願いを、簡単に口に出して言っちゃお終いなのに。口に出さずにはいられないのだろう。
為政者は、そんな若者の願いを真摯に考えて欲しい。
とにかく若者が、やむに止まれず。「自分たちが永久に見られないような景色なんてぶっ壊してやる」とか、「地獄の景色を見せてやる」なんて言い出す前に、なんとかしなければならない。
それが為政者の責任だ。