1. トップダウンの弊害
世界中で民主主義が危機に瀕している。
その原因の一つは、企業のトップダウン方式が政治に持ち込まれたことだ。
企業ではトップダウン方式が有効だ。
迅速な意思決定と効率的な実行が求められるからだ。
トップが決めたことを迅速に下まで伝え、実行することで市場の変化に素早く対応できる。
利益を追求する企業にとって、このスピードが競争力となるからだ。
しかし、政治にトップダウン方式を持ち込むと、状況は全く異なる。
政治は、多様な意見や利益を調整し、合意を形成することが重要。
トップが一方的に決めた政策を押し付けると、多くの国民の声が無視されることになる。
民主主義は、多様な意見を反映し、公正な手続きを経て決定を下すことが基本。
それが失われると、権力の集中と腐敗が進み、国民の信頼を失う。
最悪の場合、独裁政治をもたらしかねない。
それなのに政治の世界でもトップダウンがもてはやされるようになってしまった。
そのせいで経験と富と人脈を持つ長老政治家が圧倒的に優位なり、長老支配が蔓延しはじめた。
アメリカのバイデン大統領やトランプ前大統領がその典型例だ。
彼らのような長老が権力を掌握し、トップダウンの政治を押し進めることで、若者たちは全く太刀打ちできなくなってしまった。
ビジネス社会ではトップダウンが有効かもしれないが、政治にまで持ち込むのは問題だろう。
トップダウン政治の弊害を認識し、ボトムアップの民主主義を復権させる必要がある。
2. 高齢化社会の歪みが生み出す長老支配
かつて民主主義の礎を築いた長老たち。
今では社会にとって厄介者になってしまったのかもしれない。
彼ら彼女らが生まれたのは1940年代。
21世紀の現在よりは、19世紀に近い生活が普通だった時代。
日本などでは、テレビも冷蔵庫もなく、電気は電球程度。
まだ自動車や電車などは少なく、蒸気機関車が主役だった。
AIが人類を超えるシンギュラリティが到来するなんて想像もできない時代に育ったのだ。
そんな長老たちに、デジタルやAIを理解しろというのは無理な話かもしれない。
多くの長老たちは、サイエンスやテクノロジーとは無縁の人生を送ってきた文系人間ばかりだからだ。
彼ら彼女らは、自分たちが理解できる時代錯誤の古典的価値観を若い世代に平気で押し付ける。
夢や希望に満ちた若者たちが新しいサイエンスやテクノロジーを駆使して社会に変革をもたらそうとしても、長老たちの壁に阻まれてしまう。
残念ながら、年老いて死を意識して希望を失った長老たちに、挑戦する夢や気力を維持しろという方が無理だろう。
だから、彼ら彼女らは若者が提案する新しいビジョンを理解できないばかりか、「若者は夢ばかり見て現実を見ない」と突き放してしまう。
変革を理解できない長老たち。
そんな彼ら彼女らの存在は、若者の成長と活躍を妨げるだけとなってしまう。
しかし、それを自覚できない長老たち。
思考力も運動能力も低下した彼ら彼女らは、アクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こす高齢ドライバーのように社会のリスクとなりつつある。
3. 変化の兆しすらない世界
アメリカではバイデン大統領とトランプ前大統領という高齢の政治家が対立している。
若者たちは、そんな長老支配を象徴する光景に失望しているかもしれない。
ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ侵攻でも、過去の因縁に囚われた長老政治家たちが戦争を支援し続けている。
世界中で長老政治家による支配が、若者たちの未来を奪っているのに、誰もそれを声高に批判できない。
忖度なのか恐怖なのか。
経済格差と停滞が深刻化する中、大企業の経営者たちも高齢化している。
長老経営者たちは、過去の成功体験やしがらみのような人脈に固執して、若者たちが提案するビジョンやシステムを理解しようともせずに退ける。
そもそも理解できないのかもしれない。
権力や地位に固執した長老たちによるトップダウン政治や経営を打ち砕かなければ、若者に未来はないだろう。
長老たちによる過去の価値観や人脈に囚われた支配が続く限り、若者たちの革新的な夢やアイデアは実現されないだろう。
いずれにせよ長老支配が続く限り、社会の進歩は止まってしまうかもしれない。
輝かしい未来を切り開くためには、21世紀という、長老たちにとっては異次元となった世界を、正しく認識し理解できる世代が台頭し、長老支配を終わらせなければならないのではないか。