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50歳の新米パパ

能登半島地震(その2)

地震関連の仕事がひと段落
子供たちも新学期の準備もあるので、1/5に家族を迎えに
ママの実家に戻りました

『戻ったよ~』とママの実家に
子供たちが気が付き、次男くんが飛ぶように駆け寄ってくる

『お兄ちゃんと2人でお風呂入ったよ~』
『ママと3人で寝たよ~』
とパパ不在の生活を、廊下を歩きながら報告してくれましたが・・・

次男くん、急に泣き出してしまいました

パパを心配させないように、不安と寂しさを一生懸命ガマンしててくれたんだな・・・・と思うと、とても愛おしくていっかり抱っこしてあげました


ママの実家のご家族に、私の不在のお詫びとお礼を言って
今度は家族全員でわが家に帰りました
途中、高速道路のSAでお昼ご飯を食べたり、車中で他愛のない
話をしながら、家にたどり着きました

家は被災しておらず、学校も休校の連絡も無いし
日常の生活に戻るのかな、と何となく思っていましたが・・・

まだ小1の次男くんは、やはり地震がトラウマとなったようで、
ときどき『地震こわ~い』と訴えるように
さらに、学校やスポーツクラブ等に行くのをとても怖がりようになってしまいました
『みんな、いるよ~、大丈夫だよ~』となだめても
やはり家族、特にパパが一緒にいないのがとても不安のよう


夜中、いつもパパは家事や仕事で夜中に起きるのですが
それも許してはくれません
次男くん、毎日夜中に起きるわけではありませんが、
目が覚めた時に、パパが隣にいないと、翌朝怒りながら悲し気に抗議してきます

こちらも、用があって起きているのですが、突き放すわけにもいかず
『そうだね、じゃあパパが居ない時間をできるだけ少なくするよ』
『隣にはお兄ちゃんもいるし、パパも家の中にいるから探しにきてね』
と、なだめながらの毎日です


今回の地震では、私の地域は大きな余震はかなり少ないほうだと思うのですが、1/9に震度4の地震
わが家で感じた地震では最大規模でした
夕方で家族全員が家にいましたが、緊急地震速報が鳴り響き
子供たちの不安と恐怖が再びマックスに・・・
どんなに頭で理解していても、余震がくるかもと心の準備をしてても
恐怖と不安は抑えきれないんだなと感じました


ママも、東日本の震災の時、当時の勤務先の東京の高層ビルが
ありえないくらい揺れて(机が動くほどだった)、それから
しばらく地下鉄に乗るのも勇気がいるほど怖がっていたっけ・・・もちろん、今でも、子供たちよりパニックになりそうなくらい怖いままのようです


私はというと、2008年岩手宮城沖地震後に仕事で2週間ほど現地にいて、頻繁に震度4くらいの地震に遭遇して以来、多少の地震に対する耐性が増したような気がします
もっとも、東日本の時は、私は仕事で名古屋駅に震度3、今回の能登沖でもママの実家で震度4
震度5以上の揺れも避難生活も、家とかが被災した経験もないからかもしれませんが・・・


地震で思いま出すのが、長男くんが幼稚園のころ、長男くん喘息気味で点滴を受けていた時に緊急地震速報が鳴り響いた時のこと

わりと冷静に、まず長男くんと針をしっかり押さえ、待合の小さい子供やママたちにも聞こえるくらい大きめの声で
『地震来るよ~、落ち着いて~』
『揺れるけど怖くないよ~、みんないるよ~』
と、言い続けました。

幸い大した揺れではなく、長男くんも怖がることはありませんでした
小さい子供たちがいる時こそ、まず大人が冷静にならなくちゃと思ったものでした


最後に、先日、次男くんの近所の友達家族が遊びにきてくれましたが
友達の弟くん、幼稚園年少さんだけが、地震のとき迷わず机の下に避難したそうです
怖がる前に、まず避難!”訓練の賜物ってことですかね

近所の浜辺。津波で海の家がみんな流されていました
津波は大したことないと聞いていましたが、被害をみると呆然としてしまいます




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