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自分も 今を維持しよう

2009-05-11 06:55:31 | 個人フォルダ
昨日 たまに香をかぎ アロマローソクの明かりを眺める 母の年齢になるまであと20年ある 自分の生存確率を30%とすれば 自分は10人の内の3人に入るだろうか しかしこれは確率と自分の健康維持にかかっている 大酒のみでヘビースモーカー だが死ぬまで生きてりゃいいこと どうってことはない 子は知らず知らず親を未来のモデルにするものだ 反面教師ともなる やはり自分は頑丈でしぶとく そんな自分を . . . Read more

お袋のこと

2009-05-10 15:47:26 | 個人フォルダ
63のじじいに母が健在 その母が最近口癖のように言う 昔ならこんなんじゃなかった 年だねぇ この前 土産を渡しに行ったら 30分ほど 昔話 今の自分の体の情けなさを語る 今朝5時のお天道様 今日は母の日であることを思い出した ご近所の母が親しかった人は今は認知症で伏せっている その方のところへ 身寄りの無い親戚の方が同居していた 喪服を着ているのを見かけた 癌で亡くなったそうだ 身内だけで . . . Read more

しのぶぐさ

2008-02-02 10:16:41 | 個人フォルダ
朝 二人は休み 36Pの小さな手づくり本 本棚の整理してたら 去年の10月 米寿になったお義母さんに 俺と同じ年の 義姉がPCで作った本だ 短歌とか新聞に投稿してたのは知ってたが 同人誌なんかに こんな文章書くのは知らなかった 文箱から チラシの裏とかメモ帳の端切れとか雑然と入っていて 義姉は まとめんの大変だったのよ と言っていた 親子4人の米寿旅行の たった4冊の本 掃除の傍ら ちょ . . . Read more

34年前

2007-12-16 15:19:55 | 個人フォルダ
長女の出産直後 実家に帰っていた頃の写真を見つけた すっぴん 眉毛なしの妻 前髪ピンで留めて 26歳 とにかく元気だった ショックで もし子供に影響がでたらと思うと 親父が死んだのは 妻が家に戻るまで言わなかった 俺も 笑顔作るのがきつかったな ちょうど 親友のEちゃんが遊びに来てるとこだった 学生時代から 喫茶のマスターやってる頃まで 3人で一緒に飲んだ 阿佐ヶ谷のアパートによく遊びに来て . . . Read more

東京散歩 思い出散歩

2007-04-29 08:18:17 | 個人フォルダ
新宿駅 東北線湘南快速 混んでいた 赤羽に着いたとき 席が空いた どうぞ 前に立っていた 茶髪の青年に席を譲られた 生まれて初めてだ 好意に甘えて すみません と言って 座った 青年は大宮まで立っていた 感謝すると同時に 一抹の寂しさもあった いつの時代にも 優しい人はいる そして 自分の老いを思った 1時間立っているのは苦にもならないが 20代の彼には 老人に写ったのだろう 親切には感謝 . . . Read more

推定などしたくはなかった

2007-03-03 23:27:33 | 個人フォルダ
「ユダの謎解き」が大きなヒントになった この事は 昔から考えたくは無かった 子供の頃 祭壇の磔のイエスのクロスを見て 何故 人はこのような姿を崇拝するのか 人の犠牲の姿を何故モチーフにして 崇めるのか 何故 彼が裏切りによって 十字架にかかったのか 十字架は罪人の最後に行き着く所 その象徴 自分も常にクロスを付けている お守り程度の気持ちではいた でも何故だろうな イエスが何故ゴルゴダの . . . Read more

懺悔 あの日

2007-01-21 01:29:46 | 個人フォルダ
カミングアウトだな これ もし 彼女の事がなかったら まだ あいつの影を引きずっていたかも知れない やぁね 皺が見えちゃうでしょ 恥ずかしいから そんなに見つめないでよ 見つめると 笑いながら 下向いてイヤイヤをする はっとなって 我に返って笑い返す 今年になってから 妻の顔を無意識にじっと見つめることが多くなった 40年近くも一緒にいながら 顔を見ていながら 妻を見つめてはいなかった . . . Read more

1947か1948年教会

2007-01-14 13:05:15 | 個人フォルダ
俺が3歳の時 神父に抱っこしてたから その頃だろう 親父たちが協力して作った教会 南側に日があたり 雪掻きしている 休日のお昼ごろだ 夕張市立鹿島小学校グランド西の小高い場所 ギリシャ正教だった親父 何故ローマンカトリックなのか 死んだ親父に聞いておけばよかったと思う 多分 宗派などどうでもいいことだったのだろうと思う 放課後 時々通っていた 賛美歌の合唱を練習していた 小学6年頃には 周 . . . Read more

1957年 富士見町 妹

2007-01-14 12:08:07 | 個人フォルダ
積雪2メートル強 6丁目自宅の石炭庫の隣の鶏小屋脇で遊ぶ妹 12月生まれの妹Mはもうすぐ3歳になる頃だろう 夕張岳が見えるから 道路の方向 1段下の隣家が見えない 石炭庫の石炭は凍り付いている 夕方 石炭をつるはしで壊し二つの石炭入れを補充するのが 俺の役割だった  2台のストーブの煙突掃除 親父と弟と休日の屋根の雪下ろし 家の前の雪かきはほぼ毎日 吹雪の終わった朝 あちこちに雪の小山ができる . . . Read more

1952年頃 大夕張

2007-01-14 10:45:04 | 個人フォルダ
教会のある西側の山の上から 鹿島小学校のグランドを見下ろす位置 親父の写真 真正面に夕張岳がまだ雪を被っている 煙突の煙が北へなびいている 南風 春だろう 人の影が東南へ伸びている 夕方近くだ 根雪が完全に溶けるのは5月 9月10月には雪が降り始めていた 冬は 氷点下十数度の日が続く 冬の遊びは主に スキーか雪合戦 男の子は3,4歳からスキーを始めた それでも晴れの日 遊んでいる時は汗ばんだもの . . . Read more

1960高1

2007-01-12 00:03:34 | 個人フォルダ
中2 Kさんちに養子になり苗字が変わった 越境入学 札幌南4条西24丁目 結構覚えているもんだ 洋館風 洋梨の木が1本あった 満州で 女手ひとつで一旗挙げた 女丈夫のお母さんだった 無口なアイヌのお手伝いさんがいて 家事はまったくしない人だった 手回しの立派な蓄音機があり 俺は暗い廊下で座り込んでパットブーンをよく聴いてた 3年のとき 一人になりたかったのだろうか 今ではわからない その人の . . . Read more

1948年12月だろう

2007-01-06 00:09:13 | 個人フォルダ
個人フォルダを作る 家族兄弟以外の人は興味もないだろうと思うが ブログは 個人の記録ストレージでもある 孫や子供に残しておきたいものもある 妹が探し出しておいてくれた 北海道夕張市鹿島1番地 富士見町6丁目 夕張岳が真正面に見える 職員住宅 8畳の客間の記念写真 もう ダムの底だろう 訪ねることはできない ヤヌワリオ神父の膝に 3才 口をパカッとあけて 我ながら あほづらだが  まだわけも . . . Read more