スマホで簡単にいろんなブログを読めるようになっている現代。
5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を
私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。
引き揚げ船に乗る
家を出てから何日も歩き、野宿をし汽車に乗り、また歩いた。
汽車は 牛や馬や豚を乗せる貨物車だったり、囲いのない ただ土台だけの無蓋車だったりで、人が乗る汽車ではない。
そこに、潰れて死ぬのではないかと思うほど詰め込まれた。
現実に窒息死した人もいたと聞く。
汽車の中で死んだ人は、走っている汽車から捨てられた。
汽車が停車すると、男も女も一斉に降りて、いつ汽車が出てもすぐ乗れるように、
線路の脇で、何百人もの人が大便をする。
大変な景色ではあるが
それは今だから思うことである。
他のサイトより引用
船の先端が鯨の口のように大きく開く所から乗り込んだ、戦車上陸用舟艇はたいへんに揺れた。
わずかな船旅の間にも、日本を目の前にしながら たくさんの人が亡くなり、何度も水葬を見た。
水葬をした場所を、船は汽笛を鳴らしながら一周するのだ。
船に乗る前に、引き揚げ者全員、頭から服の中までDDTをかけられ、シラミ退治をした。
おかげで、痒さから決別できたのである。