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父の終戦と満州ひきあげ記 12〈引き揚げ〉

2021-03-06 19:29:00 | 日記
スマホで簡単にいろんなブログを読めるようになっている現代。

5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を

私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。

死体の山

わたしたちは、6畳ほどの広さに 2家族9人が暮らしていたので、狭くても独立した家であり、あまり周りの影響を受けなかったが、

工場のようなだだっ広いところに、大勢が住んでいる場所では、次々と病気がひろまり死んでいった。

また、日本に帰れないという失意のあまり、井戸に身を投げて死んだ人も多かった。

峰さんたち大人は、こうした人を○○を作って深い井戸から毎日のように引き上げていた。
死んだ人たちを空き地に積んで焼いていたが、
冬に雪が積もっている時は、空き地の雪の上にたくさん死骸が積んであり、野犬のエサになって、

春、雪が解け、骨だけになった人たちの、頭蓋骨や肋骨や手や足の骨がそこらじゅうに転がっていて、
わたしたち子供は そんな骨も遊び道具のひとつだった。

引き揚げ



終戦の翌年、夏のころだったと思うが、日本に引き揚げることができる!とみんなが喜んでいたのが印象に残っている。

食料を準備するためにと、おばさんがどこかへ買い出しに行き、わたしはついて行った。

腹に巻いてもらっていた胴巻きの金は、底に穴があいていて、とっくに無くなっていた。

その時は、大事な金がなくなったと、おばさんはオロオロするし、「わしは死ぬる」と大騒ぎした。

おばさんの買い出しについて行き、乾パンを買った記憶がある。

鍋をもったか、釜を持ったか、何を持ったかは さっぱり思い出せないが、人並みには荷物を背負って出発した。









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