浦頭引揚記念資料館
日本に数ヶ所しか無かった引き揚げ港
終戦で一番多く外国から引き揚げて来た市民や兵隊さんたちが故国に上陸した場所がこちらでした
東アジアなどから大勢の人が引揚げて来るのには佐世保が距離や港湾設備・鉄道網などから最適だったようです
約140万人もの方々が・・・
- 引揚者内訳
一般邦人 陸軍海軍合計
758,879人 |
613,411人 |
24,178人 |
1,396,468人 |
実に約200万人もの邦人・軍属・兵隊さんという名の国民が塗炭の苦しみの中、此処佐世保港から上陸して故郷に戻れました
あの 田畑義男さんの名曲『かえり船』はこのことを詠っていたとは知りませんでした
佐世保市長や田畑義男さんも列席して この碑の除幕式が行われたそうです
1,396,468人という大勢の引揚者のほかにも 祖国を目前にして無念にもご遺体
となって無言の帰還をされました4,515人の方々もいらっしゃったとか。。。
ご遺体は1日に160体づつ海岸で荼毘に付され 1月13日から2月12日まで掛かったと記録
引き揚げ船上で出産したご婦人に「和の女神として『和子』」と船長さんが命名してくださったという命名書も
狭い船中での長旅で全てが不足のなかで亡くなる人や産まれる子。艱難辛苦の帰国路だったと偲ばれます
着岸した埠頭から援護局施設まで延々と徒歩移動する引き揚げ者の列
歩くのも難儀な人もいたでしょう、小さな子供もいたでしょう。
国や政府に文句も言わずお互いが助け合って援護局へ向かったといいます
佐世保引き揚げ援護局 まるで収容所の様相
『これが私たちの全財産』 現代の贅沢さに忸怩たる思いです (恥じ入る思い・穴が有ったら入りたいほど恥いる思い)
アレもコレも全部不足! そんな中でも皆が明るい笑顔をしています
子供たちも澄んだ眼をして素直そう。
子供たちは、きちんと正座して行儀よく食事中。赤ん坊を背負ったお母さんの笑顔もあります
現代ニッポン人の多くに見られるようになってきた「アレしてくれ・コレしてくれ」「アレが不足・コレが不足」と「おんぶに抱っこ」で腐ったような目つきで訴えている最近の映像をみているとペリー提督が「この国の国民は貧しいのにみなが笑顔で暮らしている」との発言に納得です
先人のご苦労の上に今の豊かなニッポンがあるのに
「いただき女子?」「ホスト?」
「闇バイト?」
「働いたことのない40代50代?」
「パラサイト?」
「〇〇ハラ?」
1日18時間くらいは働けよ 死にゃあしないよ 国に寄生するダニになるなよ