愛媛県の佐多岬からフェリーで1時間と少しで大分県の佐賀関に到着しました
日田市近郊の旧来の友人宅訪問に向かいます
友人宅の手前に 殆ど観光客の来ていない「猿飛渓」というのを見つけて立ち寄り
猿飛渓の田畑に 地元の方が手造りの色々な今風の案山子。。。
少しバテた スパイダーマン? 後方の人影も全て案山子です
懐かしい「後ろの正面だ~れ」遊び
【近所の子供たちが手に手を取ってヒト同士の触れ合いを学んでいました】
お相撲ごっこ
【転んで擦りむいても恥ずかしいから泣かないガマンを覚えたり。怪我をさせられた等 警察沙汰にする親はいませんでした】
綱引き
【力を合わせる、一致団結などを身体で覚えました】
美しい 晩秋の渓谷
当然、ゴミひとつ落ちていません
渓谷の小さな吊り橋を渡ると
お茶屋さんが
近所の奥さま方がやっておられるお店のようです
数百円の買い物をしたら少し「オマケ」をしてくださいました
現代ニッポン人と違って「何でも儲けよう」とは考えない旧来の日本人なんですね
同じ猿飛村に魔林渓というのもありました
この地域は美しい風景に溢れています
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当日の宿泊先は この近くに在る、昔の同僚宅
初めて行ってみたら、横浜の幼馴染み友だちが10年ほど前に5億7千万円の自宅を建てましたが その家よりずっとずっと広くて、豪華で、重厚なお宅でした
このお宅以上の住いは国際外交の場としても使っていた大磯町の旧吉田茂邸しか拝見したことはありません。
神奈川県大磯町の旧・吉田邸
劇場などの設計で名高い建築家・吉田五十八 氏の設計の吉田茂邸
楓の間 【畳40畳分の洋間】
ジョン・ダレス米国務長官やアデナウアー西独首相などと会談した場所。
昭和54年6月26日には、当時の大平首相とカーター大統領の日米首脳会談が行われたそうで大統領にもこの部屋で対応していました。
ジョン・ダレス米国務長官やアデナウアー西独首相などと会談した場所。
昭和54年6月26日には、当時の大平首相とカーター大統領の日米首脳会談が行われたそうで大統領にもこの部屋で対応していました。
吉田茂邸の寝室
大分県の友人宅
私が泊めていただいた寝室 ~ 奥のベッド
吉田邸に勝るとも劣らないレベルでした
35畳ほどのダイニングの一部
竹に見える物は『本竹』、革に見えるものはコノリーの本革、木の板に見えるものは一枚板のヒノキと欅材 レプリカや新建材は無し!
柱や大梁と小梁はとても太い材料を惜しみなく使っています
広大な日当たりの良い庭には 人懐こいニワトリが放し飼い。当家より大きくてキレイな作業場の建物や物置もありました【この家の作業小屋は当家全部より大きく、かつ立派】
幼馴染みのお宅の話をすると友人は
「とんでもない、そんなにお金は掛かっていませんよ~」
「ここは地下鉄も都市高速も通ってない所ですから」
と笑いながら話してくれました。
家にカギを掛けたことはなく、近所の人も留守中に勝手に入ってお茶を飲んだりしていますよ との話を聞いて二度ビックリ
土地代に大きな差もあるのでしょうが、安価なのに豪邸に住めて澄んだ空気と美しい星空が見えるこちらの地域がヒトという生き物にとっては、ずっと価値がある気がしました。