中3死亡事故、2度目の判決は公訴棄却 親の執念実らず3/18(月) 17:44配信 朝日新聞デジタル記事から引用
事故は2015年3月、長野県佐久市の市道で起きた。近くに住む中学3年和田樹生(みきお)さん(当時15)が車にはねられて死亡した。
当時の捜査では、男性は基準値未満の酒気帯びで、法定速度を10~20キロ程度超えた状態ではねたと認定された。
被告は警察などに通報するより先に、近くのコンビニで酒の臭いを消すための商品も買っていたことも判明したが、起訴されたのは自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)の罪のみ。同地裁支部は禁錮3年執行猶予5年の判決を言い渡し、検察は控訴せず確定していた。
両親はこれに納得がいかず、支援者らの協力を得て自費で調査をはじめた。事故直前の被告の車が映った映像が見つかり、測量や映像解析のプロに依頼。時速110キロに達していたとの結論を導き、検察に告発した。
一度判決が確定した交通事故を巡り、その後判明した速度違反を改めて罪に問えるのか。こうした点が争点となった裁判
長野地裁佐久支部は18日、長野県御代田町の会社員男性(46)に公訴棄却(求刑懲役3カ月)の判決を言い渡した。
事故で中学3年の息子を失った両親が、男性を執行猶予とした1度目の判決に不満を抱き、独自の調査で大幅な速度超過の疑いを訴え実現した2度目の裁判だったが、思いは届かなかった。
被告側は今回の裁判で、一つの事件について再び罪に問えない「一事不再理」の原則を訴えて免訴を求めた。
この点、勝又来未子裁判官は「(両事件は)社会的見解上、別個のものと評価できる。一事不再理には当たらない」と判断。
そのうえで、法定速度を36キロ上回る時速96キロだったとする検察側の主張については「合理的な疑いが残る」とし、時速76キロだったと認定。道路交通法上の反則行為に当たると判断したが、裁判を起こすには本人に通知したうえ、未納のまま納付期間を経過する必要があるが、それを踏んでいない形式上の不備があるとして公訴を棄却した。 朝日新聞社
飲酒して、車を一般道で時速110キロで走らせて、15歳の中学生の子供をひき殺して、禁錮3年執行猶予5年。結果的に犯人は罰金も払わず解放されたということ。
殺された子供の親御さんは、自ら長期間の血の滲むような努力と大金を費やして 『これは、おかしい!』 と訴えたのですが やる気のない警察と検察、常識はずれの裁判所に潰されました。
まず、市民が事件・事故に遭ったときに
警察官は、
・誰が死のうが生きようが関係ない。犯人を捕まえようが未検挙だろうが自分の給与や成績にも関係ない。ただし、捕まえても誤認逮捕だったら致命的なマイナスになる。無理はしない。
・世間の耳目を集める事件は犯人を検挙しなければまづい、検挙できれば成績と評価がアップする。
・世間の耳目を集めないような小さな事件は、面倒だからやりたくない。してもしなくても、捕まえても捕まえなくても 給与・待遇・成績に関係ないから。これは人情としても当然。
・検事が公判に採用するかどうか分からないから証拠なんてテキトーにしか集めない。検事に催促されてからやればいいという考え。
検察官は、
・誰が死のうが生きようが関係ない。犯人が罪になろうがなるまいが自分の給与や成績にも関係ない。ただ、起訴したのに無罪になると成績に大きなマイナスになる。だからなるべく起訴しない。最近は起訴猶予が多いのも分かる。
・世間の耳目を集める事件はやらなければまづい、立件して有罪に持って行ければ成績と評価がアップする。
・面倒な捜査はしたくない。してもしなくても給与・待遇・成績に関係ないから。
そもそも捜査自体をよく知らない。
裁判官は、
・浮世離れした生活で現場を知らない。
・世間知らずなのに前後を見ないまま法律だけを厳格に解釈して判決や決定を出す
※裁判官が警察・検察に 覚せい剤の使用の有無を判定する尿検査時に 「尿道口から尿が出て、それを採取するところまで犯人の顔画像つきの動画で出して証拠として欲しい」 との要求を捜査機関に出した。というのは裁判官の非常識を顕著に表しているとして有名な話です。
犯人が女性で、顔を含む陰部から放尿し、カップに採取するところを立会人を含む数人に見せながら撮影して公判に持ち込まないと捜査機関を信用できないということです。こんな事は人権上も非常識極まりない話なのですが裁判官にこのレベルは割と多いのです。
しかし、こんな警官や検事ばかりではありません。今では少数派の正義感の塊のような刑事、検事も確かにいます。
・取り調べの録画、録音やその他の犯罪者側に有利になる沢山の新しい規則は事件解決に真剣に取り組む捜査員の手足をがんじがらめに縛ります。
・捜査員の100に一つ、1000に一つのミスも許さない世間とマスコミ論調は事なかれ主義の捜査員を増やします。
国民は、刑事や検事が懸命に捜査に取り組み、名も無い被害者の力になっても僅かな手違いやミスがあれば袋叩きで刑事・検事生命を終えてしまうことになり
・刑事、検事の妻子は表を歩けなくなる、子供は学校でいじめに遭う、引っ越ししなければならなくなる等々。。。
こんなリスクを背負って危ない事件やどうでもよい事件に真剣に取り組んでもらえるのか?
結果として、 『真面目に、真剣に取り組んでますよー』 という本音と違う検事や警官が増えるのも自然の流れなんだということを理解できました。
事故は2015年3月、長野県佐久市の市道で起きた。近くに住む中学3年和田樹生(みきお)さん(当時15)が車にはねられて死亡した。
当時の捜査では、男性は基準値未満の酒気帯びで、法定速度を10~20キロ程度超えた状態ではねたと認定された。
被告は警察などに通報するより先に、近くのコンビニで酒の臭いを消すための商品も買っていたことも判明したが、起訴されたのは自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)の罪のみ。同地裁支部は禁錮3年執行猶予5年の判決を言い渡し、検察は控訴せず確定していた。
両親はこれに納得がいかず、支援者らの協力を得て自費で調査をはじめた。事故直前の被告の車が映った映像が見つかり、測量や映像解析のプロに依頼。時速110キロに達していたとの結論を導き、検察に告発した。
一度判決が確定した交通事故を巡り、その後判明した速度違反を改めて罪に問えるのか。こうした点が争点となった裁判
長野地裁佐久支部は18日、長野県御代田町の会社員男性(46)に公訴棄却(求刑懲役3カ月)の判決を言い渡した。
事故で中学3年の息子を失った両親が、男性を執行猶予とした1度目の判決に不満を抱き、独自の調査で大幅な速度超過の疑いを訴え実現した2度目の裁判だったが、思いは届かなかった。
被告側は今回の裁判で、一つの事件について再び罪に問えない「一事不再理」の原則を訴えて免訴を求めた。
この点、勝又来未子裁判官は「(両事件は)社会的見解上、別個のものと評価できる。一事不再理には当たらない」と判断。
そのうえで、法定速度を36キロ上回る時速96キロだったとする検察側の主張については「合理的な疑いが残る」とし、時速76キロだったと認定。道路交通法上の反則行為に当たると判断したが、裁判を起こすには本人に通知したうえ、未納のまま納付期間を経過する必要があるが、それを踏んでいない形式上の不備があるとして公訴を棄却した。 朝日新聞社
飲酒して、車を一般道で時速110キロで走らせて、15歳の中学生の子供をひき殺して、禁錮3年執行猶予5年。結果的に犯人は罰金も払わず解放されたということ。
殺された子供の親御さんは、自ら長期間の血の滲むような努力と大金を費やして 『これは、おかしい!』 と訴えたのですが やる気のない警察と検察、常識はずれの裁判所に潰されました。
まず、市民が事件・事故に遭ったときに
警察官は、
・誰が死のうが生きようが関係ない。犯人を捕まえようが未検挙だろうが自分の給与や成績にも関係ない。ただし、捕まえても誤認逮捕だったら致命的なマイナスになる。無理はしない。
・世間の耳目を集める事件は犯人を検挙しなければまづい、検挙できれば成績と評価がアップする。
・世間の耳目を集めないような小さな事件は、面倒だからやりたくない。してもしなくても、捕まえても捕まえなくても 給与・待遇・成績に関係ないから。これは人情としても当然。
・検事が公判に採用するかどうか分からないから証拠なんてテキトーにしか集めない。検事に催促されてからやればいいという考え。
検察官は、
・誰が死のうが生きようが関係ない。犯人が罪になろうがなるまいが自分の給与や成績にも関係ない。ただ、起訴したのに無罪になると成績に大きなマイナスになる。だからなるべく起訴しない。最近は起訴猶予が多いのも分かる。
・世間の耳目を集める事件はやらなければまづい、立件して有罪に持って行ければ成績と評価がアップする。
・面倒な捜査はしたくない。してもしなくても給与・待遇・成績に関係ないから。
そもそも捜査自体をよく知らない。
裁判官は、
・浮世離れした生活で現場を知らない。
・世間知らずなのに前後を見ないまま法律だけを厳格に解釈して判決や決定を出す
※裁判官が警察・検察に 覚せい剤の使用の有無を判定する尿検査時に 「尿道口から尿が出て、それを採取するところまで犯人の顔画像つきの動画で出して証拠として欲しい」 との要求を捜査機関に出した。というのは裁判官の非常識を顕著に表しているとして有名な話です。
犯人が女性で、顔を含む陰部から放尿し、カップに採取するところを立会人を含む数人に見せながら撮影して公判に持ち込まないと捜査機関を信用できないということです。こんな事は人権上も非常識極まりない話なのですが裁判官にこのレベルは割と多いのです。
しかし、こんな警官や検事ばかりではありません。今では少数派の正義感の塊のような刑事、検事も確かにいます。
・取り調べの録画、録音やその他の犯罪者側に有利になる沢山の新しい規則は事件解決に真剣に取り組む捜査員の手足をがんじがらめに縛ります。
・捜査員の100に一つ、1000に一つのミスも許さない世間とマスコミ論調は事なかれ主義の捜査員を増やします。
国民は、刑事や検事が懸命に捜査に取り組み、名も無い被害者の力になっても僅かな手違いやミスがあれば袋叩きで刑事・検事生命を終えてしまうことになり
・刑事、検事の妻子は表を歩けなくなる、子供は学校でいじめに遭う、引っ越ししなければならなくなる等々。。。
こんなリスクを背負って危ない事件やどうでもよい事件に真剣に取り組んでもらえるのか?
結果として、 『真面目に、真剣に取り組んでますよー』 という本音と違う検事や警官が増えるのも自然の流れなんだということを理解できました。
私も人の親、このご両親の気持ちを考えると、法律には‟感情”がなく、‟便利性”だけで進むような‟物”の感じがします。アメリカも同じです。悲しいです。
だから、いつまでたっても銃が無くならないのです。
私の主人は確かに男前です。単純な私はそこに惚れたのです。結婚して35年ですが、そんなことで結婚を決断した私の浅はかさは毎日感じています。でも私の親父と違って、‟酒におぼれない、金には慎重”なので、‟ま、いいか”なのです。息子、娘もかわいいですよ。性格もいいし。親の私が言うのもなんですが。
ブログに個人の写真をのせるって、みなさんしないですが、私は地球の反対側にいるので、‟何ができる”と安心しきっています。まちがいのもとかな?!
でもいつも言うように、ブログは所詮‟たかがブログ”。個人を傷つけなければ好きなことを書けばいいと思っているので。中傷メールは一度だけ来たことがありますが、私は‟なめるなよ!”なので、大丈夫。
いつも長くなります。