『佐原の大祭』
『江戸勝り 佐原の大祭』 と、江戸より凄い 『大祭り』
過日、関東3大山車祭りと自称する千葉県香取市 (旧佐原市) の山車祭り行って来ました。
佐原の市街地で行われる 毎年7月の本宿の祇園祭と10月の新宿の秋祭りの双方合わせたものの総称で2016年12月にユネスコ世界無形文化遺産に登録されたそうです。
自慢の山車は24基。小野川を挟んだ両岸の本宿(ほんじゅく)と新宿(しんじゅく)にある10基と14基の山車の合計数です。
2区に分かれて、夏と秋に市内を殆ど通行止めにして10基と14基の山車が市内を練り歩きます。
この祭りを観るのは3回目。
★本宿地区は八坂神社の祇園祭で山車10台
(10町内・10区)
★新宿地区は諏訪神社の秋祭りで山車14台
(14町内・14区)
が市内を練り歩きます。
この祭りの祭礼を仕切るのが 「年番」 と呼ばれる町内で、前期に年番をした町内を 「前年番」 で当年を 「年番」 、翌年に年番を務める町内を 「後年番」 と呼んで前後3年間に渡って役番になります。 ※前後三町と呼びます。
山車の運行などの行事計画は前後三町が協議して決定します。 3年交代になるので次回は何十年も先になります。
年番区長さんが、たまたま古くからの知り合いだったのでゆっくりお話を伺えました。
『江戸勝り』 というのは?
『江戸勝り』 というのは?
江戸はたかだか400年。佐原は、飛鳥時代から下総国の香取郡・海上郡に属していて香取郡は大化5年 (649年)には香取神宮の神郡になったべ。
鎌倉時代には、香取神宮と大戸地区に荘園ができた。また、各地で定期市が開かれるようになり隣接する茨城県からも佐原に買い物や娯楽に人が集まる下総の中心地であったことは間違いない。
茨城県にある鹿島神宮は兄弟社だが香取神宮の家来レベルの関係で佐原は昔から日本一の中心地的な地域だったんだ。
佐原の大祭で山車の周りに居る人たちが首の周りに色が違う手拭いを巻いているけれど?
町内の役職別にひと目で分かるように色を変えているんだ自分は区長なので最高地位を示す白色を巻いている。
24区(24町内)の山車行事の町内での役職は
★ 区長・・・町内を代表する者
★ 古役・・・・当役を終えた者
★ 当役長
★ 当役・・・町内の山車行事を運営する
★ 責任者は若連(若衆)頭
★ 若連(若衆)・・・実際に山車を曳き回す若者の集まり
それぞれ下から段階を経なければ、絶対上位に上がれないし、上位の者の言う事は下は素直に従う伝統がある。 これが日本の家長制度に繋がって今も年長者の言う事を聞く子供や若者が育っている。
※これは今の日本に必要なシステムかも知れません!!
山車の巨大飾り物のいわれは?
町内それぞれが勝手に好きな飾り物と彫刻を勝手に乗せたり彫ったりしている
山車の飾り物
★ 太田道灌 ★ 鯉 ★ 金時山姥
★ 鷹 ★ 山姥 ★ 神武天皇
★ 鎮西八郎為朝★ 源頼義 ★ 浦嶋太郎
★ 日本武尊 ★ 小野道風 ★ 源義経
山車の彫刻
★ 獅子 ★ 龍 ★ 勧進帳
★ 羅生門 ★ 金太郎 ★ 川中島
★ 平家物語 等々。。。
これは、昔は荘園の主などが住民を少ない報酬で過酷な労働をさせて死んでしまう寸前まで働かせていたた名残りでな
このままでは住民の不満が爆発して一揆や今でいう革命が起きる可能性があったんで荘園主がいわゆる 「労働者のガス抜き」 のために年に一度だけ、「良いべべ着て」 「立派な山車を曳けて」 「美味しい物を食べて」 「酒を飲める」日を設定した訳さ。
◎その楽しい祭りの準備に何ヶ月も掛けて山車を造り、 山車に乗せる人形を作り、山車に彫り物を入れ作業を少しづつ楽しみに続けることで日頃の不満の芽を育たないようにしていたのさ。
◎各町は今なら東京工場、千葉工場、茨城工場みたいなものかな。
◎各工場の工員には競争意識を持たせて、自分の工場の自慢になる 「立派な山車」 を他工場にお披露目・自慢させるのに大きな山車は必要だった訳さ。
◎知識レベルの低かった工員たちは、自分たちが知り得る 「立派な物や人」 というだけで、金太郎でも義経でも太田道灌でも何でもよかった、ましてや 太田道灌や金太郎が何処のどんな偉人か? なんて知っているような工員はいなかったんだ。
◎大きな飾り物を立派に造ること、山車の 「のの字廻し」で木製の車輪が壊れること、又作らなければならないこと。こんなのが労働者を使う側の人間にとって好都合だったんだろうね。
等々の非常に興味深いお話をうかがえました。
古くから延々と続くお祭りの背景にはそんなこともあったのかなと考えさせられる日でした。
佐原の名物は
★ 鯉の甘露煮
★ 筏焼き
★ 黒そば
★ うなぎ
などが名物です。現在は事業に失敗して都内から土地価格の安い佐原で捲土重来を期して新規に店舗を出しているよそ者の店が多く、本来の佐原名物ではなく最近発想して自称佐原名物としているものが多くなって嬉しいやら困るやらで痛し痒し状態だともお聞きしました。
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香取市 (旧佐原市街) 小野川沿いの旧市街は、戦後発展することができずに昔の姿のまま放置された地区にしか残っていない 「歴史的建造物群」 に関東初で指定されたそうで地元の住民はその理由や経緯など構わずに大いに喜んでいるそうです
よかったです