ハマのメリー
白塗りの厚化粧をしてドレスを着て、夜・時には昼下がりから伊勢佐木、吉田町辺りの街角に出没していたメリーさん。
ザキの山下とともに街娼として街角に立ち、顔を合わせれば菓子パンやあめ玉をくれました。
メリーと山下は、自分で地方出身者であること、商売上の技術の高さから常連客がいて食べるのには困らないと話してくれましたが自分も若かったために殆ど聞き流しており今では記憶に残ることは余りありません。
若い頃には横須賀のドブ板通りで洋パン(外人専問の娼婦)だったらしいのですがいつの頃かザキ周辺で商売を始めたようです。
過去に伊勢佐木町4丁目の「根岸家」という大型酒場があって、2人は出入りしていたのですが…
1990年頃までは見掛けたという人もいましたが… 今ではその名も知らない人ばかりになってしまいました。
根岸家総本店 【根岸屋でなく、根岸家】
跡地は駐車場になっていました。
横浜を象徴する飲食店が根岸家。東神奈川の『根岸家』は今も健在。 ※画像は他HP引用
かつて伊勢佐木町4丁目にあった終戦直後に開店したこの店は、社長さんから会社員、やくざ、パンパン、米兵、世界中の外国人が客として大挙して訪れ、ありとあらゆる人間が集まり、生バンドの音楽が流れ、煙草の煙が漂い、歓声や女性の嬌声が飛び交う“不思議な店”
24時間営業・年中無休(盆暮れ、大雪、台風でも いつ行っても営業中ということ。)、生バンドが入り酒類は何でも揃っており料理も洋食・中華・和食(ステーキ、ラーメン、うどん、刺身、うなぎ、イタ飯、フランス料理、おにぎりまで)何でもありで全て格安。
店内も広くて色々な言語が飛び交い、何時も満員大繁盛。
店内で客同士が刃物を振り回すなんてザラ。 ケンカも最初は2人でも周囲が参加して10人20人の大ケンカも日常茶飯事。
そんな根岸家の用心棒だった片腕の日高さん。
いつも真っ白なスーツに黒とか赤とか青のワイシャツに派手目のタイ。 エナメル靴を履いて、当時は高価だった洋モクのウィンストン2~3カートンを顔を合わせれば私にくれました。
生きていれば80歳を過ぎているでしょうが、その便りを知っている人はいませんでした。九州出身でしたから帰られたのでしょうかねぇ。片腕になった理由も聞かないままでした。
黒澤明監督の映画「天国と地獄」にも登場したこともある名店?は、1980年11月の火災で終戦直後から続いた楽園、根岸家は閉店となってしまいました。
不二家レストラン
場所も根岸家跡地の近くなので、何だか懐かしさを感じて伺いました。
明治時代に横浜元町の菓子屋がレストランを開業。
不二家レストランの1号店は我が国初の『歩行者天国』でもあり初の『モール』のイセザキモールの中央付近で玄関脇に大きなペコちゃんの人形が置かれている、ちょっと食堂ぽい店舗でした。
店内は2階建てになっていて1階が洋菓子売り場、奥と2階がレストラン。喫茶店代わりによく利用させてもらいました。
当時の伊勢佐木周辺は午前2時3時でも渋谷駅前のような賑わいでしたが、今のザキや黄金町・真金町・日の出・吉田、清正公通り等々見る影もありませんでした。
昔馴染みの映画館や根岸家がなくなり 山下やメリー、アッコ、日高さんは故人となっているかもしれないけれども風の便りも聞けなかったことが寂しい気がするなかで
不二家の様子は全く変わってしまっていましたが現存していることに僅かですが安堵感を感じました。
白塗りの厚化粧をしてドレスを着て、夜・時には昼下がりから伊勢佐木、吉田町辺りの街角に出没していたメリーさん。
ザキの山下とともに街娼として街角に立ち、顔を合わせれば菓子パンやあめ玉をくれました。
メリーと山下は、自分で地方出身者であること、商売上の技術の高さから常連客がいて食べるのには困らないと話してくれましたが自分も若かったために殆ど聞き流しており今では記憶に残ることは余りありません。
若い頃には横須賀のドブ板通りで洋パン(外人専問の娼婦)だったらしいのですがいつの頃かザキ周辺で商売を始めたようです。
過去に伊勢佐木町4丁目の「根岸家」という大型酒場があって、2人は出入りしていたのですが…
1990年頃までは見掛けたという人もいましたが… 今ではその名も知らない人ばかりになってしまいました。
根岸家総本店 【根岸屋でなく、根岸家】
跡地は駐車場になっていました。
横浜を象徴する飲食店が根岸家。東神奈川の『根岸家』は今も健在。 ※画像は他HP引用
かつて伊勢佐木町4丁目にあった終戦直後に開店したこの店は、社長さんから会社員、やくざ、パンパン、米兵、世界中の外国人が客として大挙して訪れ、ありとあらゆる人間が集まり、生バンドの音楽が流れ、煙草の煙が漂い、歓声や女性の嬌声が飛び交う“不思議な店”
24時間営業・年中無休(盆暮れ、大雪、台風でも いつ行っても営業中ということ。)、生バンドが入り酒類は何でも揃っており料理も洋食・中華・和食(ステーキ、ラーメン、うどん、刺身、うなぎ、イタ飯、フランス料理、おにぎりまで)何でもありで全て格安。
店内も広くて色々な言語が飛び交い、何時も満員大繁盛。
店内で客同士が刃物を振り回すなんてザラ。 ケンカも最初は2人でも周囲が参加して10人20人の大ケンカも日常茶飯事。
そんな根岸家の用心棒だった片腕の日高さん。
いつも真っ白なスーツに黒とか赤とか青のワイシャツに派手目のタイ。 エナメル靴を履いて、当時は高価だった洋モクのウィンストン2~3カートンを顔を合わせれば私にくれました。
生きていれば80歳を過ぎているでしょうが、その便りを知っている人はいませんでした。九州出身でしたから帰られたのでしょうかねぇ。片腕になった理由も聞かないままでした。
黒澤明監督の映画「天国と地獄」にも登場したこともある名店?は、1980年11月の火災で終戦直後から続いた楽園、根岸家は閉店となってしまいました。
不二家レストラン
場所も根岸家跡地の近くなので、何だか懐かしさを感じて伺いました。
明治時代に横浜元町の菓子屋がレストランを開業。
不二家レストランの1号店は我が国初の『歩行者天国』でもあり初の『モール』のイセザキモールの中央付近で玄関脇に大きなペコちゃんの人形が置かれている、ちょっと食堂ぽい店舗でした。
店内は2階建てになっていて1階が洋菓子売り場、奥と2階がレストラン。喫茶店代わりによく利用させてもらいました。
当時の伊勢佐木周辺は午前2時3時でも渋谷駅前のような賑わいでしたが、今のザキや黄金町・真金町・日の出・吉田、清正公通り等々見る影もありませんでした。
昔馴染みの映画館や根岸家がなくなり 山下やメリー、アッコ、日高さんは故人となっているかもしれないけれども風の便りも聞けなかったことが寂しい気がするなかで
不二家の様子は全く変わってしまっていましたが現存していることに僅かですが安堵感を感じました。
本物が完全に出てくるのは、藤田敏八監督の『新宿アウトロー・ぶっとばせ』です。
ここでは、渡哲也と原田芳雄が酒を飲みます。外観も出てきます。
『天国と地獄』の場面は東宝のセットだったんですね。
1年365日24時間営業でいつも満席状態なので撮影なんてできないはずですが別の映画には撮影させていたようで不思議ですね。
私も根岸家には、週2くらいで行っていましたが撮影なんてできる状態じゃなかったです。
ハマの3辰のひとり塚◯辰雄さんの舎弟と聞いてます。
隻腕の理由もご自身の舎弟の不始末から指から始まり腕までも……と云う話です。
当時同店の支配人を務めていた叔父から聞いた話です。
日高さんをご存知ですか?
その後の消息がわかりません、もしお知りでしたら是非知りたいと思っています。 是非。