『雀の学校』の歌詞
チイチイパッパ チイパッパ
雀の学校の先生は
むちを振り振り チイパッパ
生徒の雀は輪になって
お口をそろえて チイパッパ
まだまだいけない チイパッパ
も一度一緒に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ
雀の学校の先生は
むちを振り振り チイパッパ
生徒の雀は輪になって
お口をそろえて チイパッパ
まだまだいけない チイパッパ
も一度一緒に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ
童謡「すずめの学校」は、清水かつら氏が、戦前に作詞しました。
すずめの先生がムチを振るって命令し、生徒のすずめは一方的に自己思想を禁じられ、国策に向かって突き進む事を歌っています。
すずめの先生がムチを振るって命令し、生徒のすずめは一方的に自己思想を禁じられ、国策に向かって突き進む事を歌っています。
また、雀のたった1つの鳴き声である「チイパッパ」を比喩的表現として、全ての日本国民が1つの言葉を胸に、日本国を守ろうとする事も同時に歌っています。
生徒に向かってムチを振るう? 生徒は自己思想を禁じられて国策に突き進む? こんなのは今の日本人には文句こそ出ても耐えられないでしょうね。
昨今のウクライナの国民を思い出しました。思い出したことがもうひとつ・・・
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2016.10.14日の当ブログ記事 おしら様
曲がり家 (母屋で馬と住人家族が一緒に暮らす家)
馬は一家の生活の柱で、女房・子供は死んでも家族の生活はできるが、馬が死ぬと一家全員の生活が壊れてしまうから生活の糧である馬を主人の次に大切にしていた暮らしだったそうです。
昔の遠野の住民は、姥捨て山の「デンデラ野」にも見られるように 大局的にみると何が一番大事で、大事なものを守るためには人情を捨てなければならないことがあるのを知っていた、といいます。
昔の遠野の住民は、姥捨て山の「デンデラ野」にも見られるように 大局的にみると何が一番大事で、大事なものを守るためには人情を捨てなければならないことがあるのを知っていた、といいます。
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曲がり家の土間
土間の板障子が開いているところが囲炉裏端の家主の席。
家主が首を横に向けてみるだけで曲屋の馬小屋部分の馬が見えるようになっており 家主にとって馬が家族の誰よりも大切だったからだそうです。
家主が首を横に向けてみるだけで曲屋の馬小屋部分の馬が見えるようになっており 家主にとって馬が家族の誰よりも大切だったからだそうです。
長方形の囲炉裏端の対面部分がお客さんの席で、主人の席との間には囲炉裏と自在鉤に吊るされた鍋や五徳があって、不意に客から主人に危害を加えられないようになっており、囲炉裏の長辺には家族が主人を護るように座るのが常で、カマなどの刃物や棒は絶対に置かなかったそうです。
現代だったら間違っても口にできない【男尊女卑や人命軽視】とされて非難の的でしょうが
安っぽい人情論で全てを失うよりも、冷酷なように見えても大きな暖かさに包まれていた岩手県・遠野のお話は今日のウクライナ人の心根と相通じるものを感じました。