滋賀県 高島市 びわ湖
びわ湖の畔にて......
広大な びわ湖には、瀬田川しか排水路が無く、たび重なる水害に悩まされていた。
江戸時代の後期、現在の高島市 新旭 深溝の庄屋であった
藤本太郎兵衛さんは琵琶湖治水に命を懸け、立ち上がりました。
一代目 藤本太郎兵衛(直茂)
周辺の湖畔の村々に川さらえを呼びかけ、177ヶ村を取りまとめに尽力した。
1784年、幕府に瀬田川のさらえを認めてもらったが、
人夫の統制が取れず、工事は2年で中断してしまった。
二代目 藤本太郎兵衛(重勝)
1791年に、委任状を持ち、打ち首覚悟で単身江戸へ
しかし、川さらえの許可を得る事は出来なかった。
三代目 藤本太郎兵衛(清勝)
親の遺志を継ぎ、瀬田川の反対者の説得や幕府への嘆願を続け
1831年に、念願の許可が下り『天保の御救大浚え」を成し遂げた。
大工27人 人夫 延べ約31万人
工事費7,654両(約2億5千万円)
1月4日撮影
OLYMPUS OM-D E-M1 MarkⅢ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED
12-100mm F4.0 IS PRO
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